昨日のパスタ

昨日のパスタ (幻冬舎文庫 お 34-20)

 小川糸さんのエッセイ、この空気感好きです。

 

P110

 4日間、穂高の山の中で時間を過ごした。

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 目的は、ずばり「養生」で、とにかく心と体を休めたかった。

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 ここ最近は特に、きれいな水を欲している。

 とにかく、清らかな水のそばに行きたくて行きたくて仕方がない。

 そういう水辺にいるだけで、心の中がスーッとして、心身が癒される。

 宿のそばにも、とてもいいプライベートビーチ(河原)があった。

 北アルプスから流れてくる水は本当にきれいで、水そのものが宝石みたいに輝いている。

 この場所で、思う存分、時間を過ごした。

 冷たい水で、魂の丸洗いをしている気分だった。

 最終日、有明山神社の近くの山をテクテク歩いた。

 安曇野にくるたびに感じるけれど、本当にいい気が流れている。

 水と空気は、わたしたちが生きていく上で、必要不可欠なもの。

 なんとなく、当たり前すぎて後回しになっていたけれど、ふと、おいしいものを食べたり素敵な服を着たりすることより、水と空気にこだわることの方が、もっともっと大事なんじゃないかと思った。

 道祖神の並ぶ山道の奥に、とりわけ気持ちのいい場所を見つけ、シートを広げて瞑想をしてみた。

 これから先の人生を、自分はどう生きたいのか。

 磁場が安定しない場所に行くと、方位磁石の針が定まらずにぐるぐると回ってしまうけど、わたしはしばらく、その状態が続いていた。

 昨日考えていたことと今日こうしようと思うことが、全然違ったり。

 そして、明日どうなるのかも、自分で予測がつけられなかった。

 今もまだ、くるくるしている。

 だけど、その場所で瞑想していたら、だんだん心の中に大きな重石が降りてくるような感覚があった。

 目の前に、なんとも神々しい巨石があり、そこに降り注ぐ光が美しくて、なんだか幸せな気持ちになる。

 と、そこまでは良かったのだけど、ふと視線を感じて後ろを向いたら、猿たちに囲まれていた。

 5,6頭の集団で、一頭が片手に栗の実を持っている。

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 猿は、栗を拾いたかったのだ。

 わたしがシートを広げて瞑想していた場所は、ちょうど栗の木の下で、よく見るとあちこちに栗のイガが落ちている。

 猿たちは、この栗のイガを道路に置き、それを車に轢かせて実を食べるのだ。

 とにかくじっとしていたら、猿たちがまた別の場所に移動してくれたので、助かった。

 やれやれ。

 猿と格闘せずに済んで、良かった!

 清らかな水とおいしい空気に癒されて、励まされて、心も体もすっかり元気になった。

 知らず知らずのうちに、自分は疲れていたのかもしれない。

 最後の食事は、外のテーブルで、山を見ながら堪能した。

 土の香りが、懐かしく胸に響いた。