小川糸さんのエッセイ、この空気感好きです。
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4日間、穂高の山の中で時間を過ごした。
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目的は、ずばり「養生」で、とにかく心と体を休めたかった。
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ここ最近は特に、きれいな水を欲している。
とにかく、清らかな水のそばに行きたくて行きたくて仕方がない。
そういう水辺にいるだけで、心の中がスーッとして、心身が癒される。
宿のそばにも、とてもいいプライベートビーチ(河原)があった。
北アルプスから流れてくる水は本当にきれいで、水そのものが宝石みたいに輝いている。
この場所で、思う存分、時間を過ごした。
冷たい水で、魂の丸洗いをしている気分だった。
最終日、有明山神社の近くの山をテクテク歩いた。
安曇野にくるたびに感じるけれど、本当にいい気が流れている。
水と空気は、わたしたちが生きていく上で、必要不可欠なもの。
なんとなく、当たり前すぎて後回しになっていたけれど、ふと、おいしいものを食べたり素敵な服を着たりすることより、水と空気にこだわることの方が、もっともっと大事なんじゃないかと思った。
道祖神の並ぶ山道の奥に、とりわけ気持ちのいい場所を見つけ、シートを広げて瞑想をしてみた。
これから先の人生を、自分はどう生きたいのか。
磁場が安定しない場所に行くと、方位磁石の針が定まらずにぐるぐると回ってしまうけど、わたしはしばらく、その状態が続いていた。
昨日考えていたことと今日こうしようと思うことが、全然違ったり。
そして、明日どうなるのかも、自分で予測がつけられなかった。
今もまだ、くるくるしている。
だけど、その場所で瞑想していたら、だんだん心の中に大きな重石が降りてくるような感覚があった。
目の前に、なんとも神々しい巨石があり、そこに降り注ぐ光が美しくて、なんだか幸せな気持ちになる。
と、そこまでは良かったのだけど、ふと視線を感じて後ろを向いたら、猿たちに囲まれていた。
5,6頭の集団で、一頭が片手に栗の実を持っている。
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猿は、栗を拾いたかったのだ。
わたしがシートを広げて瞑想していた場所は、ちょうど栗の木の下で、よく見るとあちこちに栗のイガが落ちている。
猿たちは、この栗のイガを道路に置き、それを車に轢かせて実を食べるのだ。
とにかくじっとしていたら、猿たちがまた別の場所に移動してくれたので、助かった。
やれやれ。
猿と格闘せずに済んで、良かった!
清らかな水とおいしい空気に癒されて、励まされて、心も体もすっかり元気になった。
知らず知らずのうちに、自分は疲れていたのかもしれない。
最後の食事は、外のテーブルで、山を見ながら堪能した。
土の香りが、懐かしく胸に響いた。