生きてるって、幸せ

生きてるって、幸せー! Love &Peace (Peace編)

 田口ランディさんのエッセイを読みました。

 

P52

 一時期「子どもは褒めて育てる」という内容の本が売れて、親が子どもを褒めるようになった。この「褒める」というのが「いいことをしたときに褒める」のでは、褒めたことにならない。それは、やっぱり評価の一種なのだよね。

 良いことをすると褒められるから、褒められるようにがんばってしまう。その結果として褒められない自分ってダメなんだ、と感じてしまう。

 私も子育てをしてきて、さんざん子どもを評価してきた。うちの子にも劣等感がある。その劣等感が青年期になると顕著になる。子どもの劣等感を目の当たりにしたとき「あー!ごめん。それは私の劣等感だね」と思った。

 私にも劣等感があった。親の劣等感は形を変えて子どもに受け継がれていく。

「ごめん、それはお母さんの劣等感なんだよ。だからあなたが背負わなくていいから」

 と言ったら「えっ?」と子どもはびっくりしていた。

「お母さんが人の評価を気にしていたの。それで怒ったり、褒めたりしたの。あなたはピカピカで生まれてきたんだよ」

 丸ごと大好き。子育てはそれでよし。

 

P124

「生きてるって、幸せー!」やたらとストレートなタイトルに決めたのは、このタイトルを口にするたび「生きてるって、幸せー!」と、脳に刷り込めると思ったからです。

 ・・・担当記者さんも校正のたびに「生きてるって、幸せー!のゲラが上がってきました」って、笑いながら連絡をくれました。連載中に何回「生きてるって、幸せー!」と言ったでしょうか。もう数え切れません。脳はそのたびに「ふーん、コイツ幸せなのか」と認識し、きっと脳内に幸せを感じたときの物質を出してくれたんじゃないかな。

 ・・・

 ・・・思いこみこそすべてです。人生はどう思いこむか、にかかっているのです。思いこんだらそれが現実になります。だって私の脳のなかで私は生きているのだから。ありがたいことに、自分に起きてしまったことを「良い」と思うか「悪い」と思うかは、自分で決められます。

 いろんなことがあります。人生、山あり谷ありです。誰の人生だって同じです。困難が続くこともあります。大切な人が死んでしまうこともあります。およそどんなことでも起こりえます。それが人生。神様の視点で見たら(お会いしたことはないけれど、もしお空に神様みたいな人がいると仮定しての話しです)、誰もが限られた生をいっしょうけんめいに生きている。その大事な生に「良い」も「悪い」もあるわけない。ああ、みんな尊い、みんな愛しい、そう思っているに違いありません。

「良い、悪い」「幸せ、不幸せ」を判断しているのはそれぞれの脳です。大した根拠はないのです。常識に照らし合わせたり、周りの人と見比べたり、テレビで見知ったことを基準にしたり、そうやって「幸せ」と「不幸せ」を分けているのです。

 ・・・

 みんな尊い、みんな愛おしい。

 Love&Peaceって、なんだか古くさくてダサい感じだけど、言うのはタダだから堂々とタイトルにしてしまいました。

新しい考え

新しい考え どくだみちゃんとふしばな6 (幻冬舎文庫)

 吉本ばななさんの、noteでの連載が文庫になったものを読みました。

 さりげなく、ものすごく大事なことが書かれていました。

 

P168

 そんなにていねいではなくっても、てきとうで。

 毎日コンディションは違う、気分も違う。天候も違う。

 それに合わせて今日は今日のことを考えるのが、生きているということの中でいちばん贅沢なことだ。

 お味噌汁、ていねいに出汁をとって、具もたくさんにするときもある。

 ポトフ、キューブのコンソメを入れて、全部大きくてきとうに切って、鍋にぶっ込むだけの日も。

 友だちからしいたけをもらって、バター炒め、きのこ汁、炊き込みご飯としいたけづくしの日もある。

 それは私が半分、その日と、そして未来からの流れが半分決めてくれるすてきな何かなのだ。

 決して過去の経験が決めるのではないのだ。

 セーターに小さなしみがついているのに外で気づいて、なんとなく冴えない日もあれば、全身ばっちりと決まっていてどんどん外に出ていきたいときも。

 靴だけはこれと決めて、あとはでたらめでもいい日も。

 山を歩くように、嵐の中を行くように、そのときどきに風向きを見ることができたら、それに合わせて日常を紡いでいけたら、それが人生を楽しんでるっていうこと。

 そう思えた瞬間から、いきなりひとりお昼ごはんのポーク卵を完璧に作れるようになった。

 卵のベタッとした感じがどうしてもできず、オムレツみたいになっちゃって下手だったんだけれど。

 そんな形で恩恵を受けるなんて思わなかった。

 近所にまだ沖縄そば屋があった頃、おじさんがほんとうにてきとうにベタッと作るポーク卵を作る手順のさくさく感が、さくさくにしようとすればするほどできなくて、ちょっと放っておくとか、ポークの脂に手伝ってもらうとか、理屈でいうとそんな感じ。

 でもそれだけじゃない。

 イメージだけして、さささっと。

 ポーク卵とあまったごはんのランチ。

 やがて夜にも好評な、冷蔵庫に卵以外なにもないときのふつうのメニューになった。

 イメージすることがいちばん大切だったのだ。あとは遊び心が。

地下おじさん

パリのすてきなおじさん

 これぞ満喫しているなぁと・・・ほんとにいろんな方がいて驚きます。

 

P106

 パリの地下は、十二世紀から十九世紀まで石切り場だった。おかげでものすごく長く込み入った地下坑道と、石を切り出したあとの巨大な空洞ができて、それはいまも残っている。・・・

 さて、そんな地下世界の虜になったのが、ジル・トマさん。パリ市役所に勤める公務員……というのは、むしろ仮の姿。「地下おじさん」こそが、ジルさんの真の姿である。・・・

「やぁどうも」

 待ち合わせ場所にやってきたジルさんは、Tシャツにジーパン姿。手にヘッドライトをぶら下げている。挨拶が終わるか終わらないかのうちに、

「さぁ、行ってみよう」

 せっかちだ。忙しいのかと思えばそうではなく、とにかくわたしたちを早く地下へ案内したくて仕方がないらしい。・・・ジルさんは「ぼくの地下」を紹介する気満々なのである。

 ・・・

 地下二十メートルまで降りると、そこは巨大なアリの巣のようだった。照明があり、足場の安全は確保されている。ほとんどの場所は背を伸ばしたまま歩ける高さで、圧迫感もそれほどない。それでも地下道の入り組み方が複雑過ぎて、慣れている人と一緒じゃないととても歩けない。迷子になったら二度と地上に出られない気がする。

 ・・・

「ジルさんは、そもそもなんで地下に魅せられたんですか」

と問うと、

「それ、知りたい?」

と思わせぶり。・・・「うん、知りたい。教えて」・・・ジルさんは満面の笑みを浮かべ、

「じゃ、もう一か所、とっておきの場所に連れていくよ!」

 ・・・

 ジルさんが大学生だったある日、友だちが「廃線跡のトンネルのなかに、おもしろい地下道を見つけた」と言うので、一緒に探検しにいった。

「その日以来、ぼくはすっかり地下に魅せられてしまった」

 それは二十五歳のことだった。それでジルさんは、何度年齢を聞いても「二十五歳」と答えるのだ。地下に出会ってぼくの人生ははじまったから、と。これまでに地下に関する本を七冊出版し、十五以上の記事を発表している。パリの地下に関しては第一人者だ。第二、第三がいるのか不明だけれど。

 おしゃべりをしながら歩いていくと、片側が草むらになっている道路に出た。

「着いたぞ!ぼくが地下にハマるきっかけになったトンネルを案内するよ」

 ・・・

 トンネル内はひんやりとして、ところどころに水が溜まっている。光がまったく届かない内部で、子どもたちの声が聞こえる。む?なんで?

「ずっと上のほうに通気口があるんだよ。それが公園に通じてるんだ」

 天国で遊ぶ子どもたちと、地獄を行軍する我ら。まったく別の時空を生きているような不思議な感覚がわく。

 ・・・

「ジルさんは、どのくらいの頻度で地下に潜っているんですか」

「週に一回のときもあれば、週に十回のときもあるなぁ」

 週に十回って、おいおい仕事はどうしてるんだと思ったら、

「ぼくは、みんなみたいにバカンスに出かけたりしないのさ。夏休みも有給休暇も、すべて地下に潜ることに費やしている。

 車も、時計も、パソコンも、テレビも、クレジットカードも持っていないという。地下に潜るか、地下について図書館で調べものをするか、興味があるのはそのふたつだけ。徹底している。あえて確認しなかったけど、妻やパートナーも持っていなそうだなぁ。

「ぼくの人生のモットーは、満喫すること」

 そうだよなぁ、荷物が多いと満喫できないもんなぁ。モグラのように地下に生きるヘンテコなおじさん。その姿はなんだかすがすがしく、まぶしいのだった。

芸術家と職人

パリのすてきなおじさん

 すてきな生き方はいろいろあるんだな~と、自由な気持ちになりました。

 

P44

 モンマルトルの小さな坂道に、こじんまりと素朴なたたずまいのギター工房があった。こういうところにはいい顔のおじさんがいそうだなぁと覗き込んだら、果たして。ギターを弾いていたおじさんが顔を上げて、「こんにちは」と日本語で挨拶してくれた。妻は日本人だという。

「ぼくはスペイン人。しゃべれるのはねぇ……スペイン語、フランス語、日本語、ポルトガル語カタルーニャ語、イタリア語、ギリシャ語、グアラニー語……」

 ニコニコしながら指折り数えていく。カタルーニャ語は主にスペインのバルセロナ付近で使われる言語、グアラニー語は南米のパラグアイとかウルグアイに住んでいる先住民の言語だ。いいなぁ。

 スペインのアルメリアで生まれた。地中海に面した港町。海の向こうはアフリカだ。七歳のときにギターを弾きはじめた。

 ・・・

「それからずっと、頭のなか、ギターだけ」

 十四歳で地元アルメリアの弦楽器職人の見習いに。それからグラナダに行き、バレンシアに移り、イタリアへ渡り、ドイツやアメリカにも住んだ。演奏家としても頭角を現し、二十七歳でフランスの国立音楽学校の先生になり、三十五歳でパリにギター学校を設立。世界じゅうからギターの注文と演奏会の依頼がやってくる。キューバで伝統的な弦楽器トレスの復興に奔走したこともある。ギター作りを教えに北朝鮮へ行ったこともある。

「ぼくはねぇ、どこにいても自分の家にいる気持ち。昔からそう」

とゆったり話すのを聞いていると、こちらまでゆったりした気持ちになる。・・・

 スペイン生まれなのに、なんでフランスにいるの?って聞かれることがあるんだけど、ぼくは地球生まれだからって答えるんだよ。みんな同じ球のなかに住んでいるんだからねぇ。隣人を尊重しなければいけないよねぇ。ぼく自身は信じている宗教はないけれど、みんなの信仰は尊重するよ。ぼくの宗教は、まぁ、あえて言えばギター教だね、ふふふ。

 ・・・

 工房を辞し、モンマルトルの坂を下りながら、広岡さんにフランス語を習う。「Art(アール)」は古代ギリシャ語を起源とすることばで、「技」とか「芸」の意味。そこから生まれた単語が、芸術家を意味するArtiste(アルチスト)と、職人をいうArtisant(アルチザン)。芸術家と職人は根っこが一緒なのだ。・・・

 

P48

 フレデリックさんは、トレードマークのつなぎの作業服を着て、すでに仕事をはじめている。

 ・・・

 シズラーという仕事をしている。日本語でいうと「彫金師」。ただしオリジナル作品を手がけるのではなく、修理専門である。

 古いアパートを改装した地味な工房で、一日の大半を過ごす。そこそこの広さがあるが窓はない。使い込まれた作業台と使い込まれた道具たちが無口に、頑固に、あるべき場所でじっとたたずんでいる。

「これはナポレオンの時代の壺の取っ手。こっちはルイ十三世の頃の家具の飾り」

 フレデリックさんが、奥から作業中の部品を出してきてくれた。・・・

 ・・・

 若い頃は、国立造幣局に勤めていた。フランスの造幣局は九世紀から硬貨、勲章、教会の鐘などを連綿と作り続けている、おそらく国内最高峰の彫金職人が集まっている場所だろう。月給は四千ユーロ。

「でもなぁ、十年経って気づいたら、おれより技術のある人間がまわりにいないのよ。それで、もういいや、やーめたって」

 自分の仕事を批判する人がいない職場はつまらない。同じことを繰り返していても技量は下がっていくだけ。

「おれは金のためにこの仕事してるわけじゃねぇし」

 フレデリックさんは、技術の向上にしか興味がなかった。それなら古い時代の作品をたくさん見て、独学で腕を磨いたほうがいい。そう考えて造幣局をやめ、独立した。このおんぼろ工房を買い取って、十数年かけて「自分の場所」にしていった。

 ・・・

「おれは細かいところまで丁寧にやりたいの。機械を使えば二時間でできる仕事を、手で百時間かけてやりたいわけさ。その気になりゃいまの三倍は稼げるかもしれないけど、それはおれの仕事じゃねえから」

 ・・・

 偏屈な道を選べば、貧乏は当然のこと。日々のお金の心配をしないでよくなったのはつい五、六年前だという。妻と十一歳の息子と八歳の娘、それから猫が一匹。家族がそれなりに暮らしていけるだけ稼げればいい。一日はたらいて、気持ちよく疲労するくらいがちょうどいい。

 

パリのすてきなおじさん

パリのすてきなおじさん

 金井真紀さんの本、また見つけて読みました。

 ほんとにどれも味わい深いです。

 

P246

 本書のテーマは、「パリ」の「おじさん」である。「おじさん」はともかくとして、あいつぐテロ事件があって以来、日本に帰ると、挨拶代わりのように「パリ、大変ですね、大丈夫ですか」と聞かれる。実際、渡航禁止にしている大手企業もある。

 たしかに、街のあちこちで軍隊や警察が三人一組になって機関銃を手にパトロールしている姿を見かける。でも、茂みの陰に隠れたテロリストを捜索しているわけではない。あくまでも万が一への備えである。むしろ安全が確保されている証拠だ。でも、そんな物々しい映像を目にすると危険だと思ってしまうのだろう。

 ネットだ、SNSだとテクノロジーがいくら発達したからといっても、正しい情報を伝えるのは至難の業だ。

 いや「正しい」というと「なにが正しいのか」とツッコまれそうだから、「現実(ありのまま)」と言い換えておこう。いやいや、現実といっても、しょせんはみんなで象をなでているようなもので、一部しか見えない、といわれるかもしれない。

 しかし、遺跡から掘り起こされる破片から壺の全体像を再現することができるのも事実だ。ひとつひとつは小さなカケラかもしれないが、うまく全体を想像させる破片を拾い上げることはできるのではないか。

 とはいえ、あまりはじめから仕込んでしまっては、固定観念を追認、予定調和させるだけになってしまう。そこで、最低限のおじさんはおさえたものの、あとは、真っ白な真紀さんとテクテク歩きに歩いて、街の雰囲気を感じながら取材を申し込んだ。

 あがってきたゲラを見ながら「そうだよ、パリってこうだよ!」と叫びたくなった。

 だが、これは、パリの旅日記ではない。パリはあくまでも手段に過ぎない。

 この旅は、人間というもの、生きるということの破片を集める旅だった。

 

P228

 通りがかりの小さな書店。店先のウィンドウにHAIKUの本が置かれていたので立ち止まった。フランス語読みで「アイク」、すなわち俳句はフランスでも人気らしい。

 店の奥から、東洋人の顔つきをしたおじさんが出てきた。「やぁ、どうも。どこから来たの。お、日本人ですか。ぼくはベトナム出身」なんて、親しげに話しかけてくれて、「なに?おじさんの取材?そりゃまた、おもしろそうなことをしていらっしゃる」なんてほめてくれて、「立ち話もなんだから」「そうですね」という展開。

 で、お茶を飲みに行った。こういう流れこそ旅の醍醐味。立ち話もなんだから、の「なんだから」はふしぎな言い回しだなぁ。フランス語でなんていうのだろう。

 ・・・

 タイさんは医者だった。長くパリのキュリー研究所に勤務し、癌の研究をしていたという。・・・

「さっきあなたに会った本屋さんね、あそこで貧しい家庭の子どもたちの医療や教育をサポートする会をやっていてね。今日はそこに用事があったんですよ」

 ・・・

 タイさんはハノイの生まれ。おじいちゃんはマンダリン(高級官僚)、お父さんは校長先生というから裕福なおうちだったのだろう。長男であるタイさんは医者に、妹は建築家に、弟は弁護士になった。エリート一家だ。だが、おそらくは裕福なエリート一家だったが故に、ベトナム現代史の荒波に翻弄されていく。

 ・・・タイさんがフランスに留学したのは一九六六年。医学部で、遺伝子学を専攻した。

 ・・・

 そのうちベトナム政府からの奨学金が途絶えた。といって、がっつりアルバイトができるほど医学部は甘くない。困窮したタイさんは先生や同級生に「なにか仕事ない?」と聞いて、研究室の掃除をしたり、試験管を洗ったりして、生活費を稼いだという。

 ・・・

 一九七五年にサイゴンが陥落し、ベトナム戦争は終わった。だがタイさん一家にとっては、それからが闘いだった。共産党の国になると、旧体制下の政治家、軍人、資産家、知識人などは弾圧された。・・・

 ・・・

 ・・・タイさんは・・・非番のときは、ボランティアの医師としてパリやアミアンの難民収容施設に通いつめた。そこにはベトナムからフランスへ逃げてきた難民があふれていた。

 ・・・

 難民にしてみれば、たどり着いた土地にベトナム語を話す医師がいたことはどんなに心強かっただろう。タイさんは休みなしではたらいた。そうすることでしか、やるせない気持ちを紛らわせることができなかった。

 タイさんはフランス人女性と結婚したが別れて、いまは十三区の小さなアパートにひとりで暮らしている。一日一本、バナナを食べる。オレンジとキウイも好き。二十八になる娘は、ベルギーで文化遺産を守る仕事をしている。

「娘はね、フルートが得意なの」

 娘さんのことを、うれしそうに話すのが印象的だった。

 最後に訊いた。

「人生で大切なことはなんですか」

「いま、このときを味わうこと」

 即答だ。ベトナム戦争とその余波のなかで、そして癌の研究を通して、じつに多くの死を見てきた。だからこそそう思うのだと語った。

「大事なのは将来ではない。いまですよ。いま、この瞬間に大事なものをちゃんと愛することです」

これだけで、幸せ

これだけで、幸せ 小川糸の少なく暮らす29ヵ条

 小川糸さんにとっての、幸せな生活が紹介されていて、心地いい本でした。

 

P118

 たっぷり息を吸って、ゆっくり吐く。

 ベルリンで過ごす時間は、私にとって深呼吸の「吸う」にあたるものに近いと感じます。あるいは、呼吸そのものを整えるようなもの。

 ・・・

 心地いい自由と自立の空気を吸えるベルリンでの時間は、私にとって大事な呼吸の一部になっています。

 ・・・

 思えば、ベルリンに通い始める前の私の暮らしや考え方は、「こうあらねばならない」という固定観念に縛られていたのかもしれません。

 誰からいわれたわけでもないのに、「40歳になった立派な大人はこうなっていなければならない」「仕事とはこういうもの」という執着が何となく生まれて、自分で自分を苦しめているところがありました。・・・

 そうじゃないよ。自分が心地よければ、隣の人と比べなくたっていいじゃない。

 ベルリンの暮らしの風景に触れると、そんなメッセージを受け取れて私は楽になれるのです。

 ・・・

 街ゆく人の装いも本当に多彩です。年配の方も、サングラスをかけたり、大胆な色やデザインの服をかっこよく着こなしています。素敵な帽子をかぶったマダムの後姿に引き寄せられて、思わずついていきたくなってしまったこともあるくらい。

 自分自身が心地いいと思う気持ちを第一に過ごす。それがかなうと、他人に対する接し方にもゆとりが生まれるのだと思います。

 感動したのは、レストランで見かけたある家族の風景。家族の一員として、なんとペットの犬もきちんと椅子に座ってテーブルを囲んでいたのです。公共の場でもマナーよく過ごせるようにしつけられているのでしょう。飼い主の食事中はがまんをして、家族の輪の中におとなしく溶け込んでいました。

 つまり、動物も「家族の一員」として社会に受け入れられ、尊重されているということ。飼い主も、社会のルールを守れるように、責任を持ってしつけをする。個人が自分の幸せを尊重するのと同時に、公共意識も高いレベルで大事にするからこその光景だと、憧れてやみません。「ペット同伴OK」でも制限の多い日本の生活文化に慣れていた私は、またも鮮やかに固定観念を壊されて、心地いいしびれにひたっていました。うちのゆりねもいつか……と、夢を見ています。

 いつのまにか自分の中にためてしまった「こうあるべき」とか「こう決まっているから、しかたがない」を捨てられる場所。だから、ベルリンの旅はやめられないのです。

 

P132

「携帯電話を持っていません」

 そういうと、ほとんどの方はとてもびっくりした顔をします。・・・

 ・・・

 自宅で小説を書くのがメインの生活になってからは、固定電話とメール、ファックスだけですべての連絡を済ませています。

 ・・・

 ・・・こういう生活、ほんのひと昔前は普通だったのですよね。それがいつの間にか、携帯電話があっという間に普及するとともに、私たちの生活の基本形が一変してしまったのです。無意識のうちに。

 この「無意識のうちに」というのが、私が怖いなと思う点です。

 生き方や暮らし方は、本来は自分自身で選択していくもの。時代の流れや「みんながそうだから」という理由だけで決めたくない。そう思います。

 ・・・

 情報からあえて「離れる」という決意。リアルな世界を見る楽しみを満喫したいから、これからも私は「ケータイなし」の生き方を貫くだろうと思います。

 

P142

 生活道具をつくる職人さんがそれぞれの〝持ち場〟で力を発揮されるように、本というものづくりも幾人ものプロの仕事が連携して成り立っているのです。

「任せる」「委ねる」。その力を信じると、自分だけの力では到底成しえなかった世界が開けます。

 私が集中すべき仕事は、私に与えられた役割で、かつ、私にしかできないと思えること。そう判断するようにしています。

 書き仕事でも、たまたま同じ時期に複数のオファーをいただくことがあります。そんなときは、「私ができること、やるべきことは何かな?」と考え、ほかの方のほうがきっとうまくいきそうな仕事を選択肢から外すようにしています。

 ひとつひとつの仕事に丁寧に向き合っていきたいから、「何でも安請け合いをしない」のが、きっと相手にとっても自分にとっても誠意ある行動になるはず。今の私にとって何をやり遂げることがベストで、何を人に託すべきか。じっくり考えて、仕事も調整しています。

秩序と無秩序

世間とズレちゃうのはしょうがない

 印象に残ったところです。

 

P81

養老 ・・・意識のおもしろいところは、意識がある間は自分が指揮系統のトップに位置して、体は自分が命令して思うように動かしていると思っているところですよ。自分がいちばん偉いと思っている。

 ・・・

 要するに、人の意識は「主人公になる」んですよ。意識がすべてを支配していると思っている。だから逆にいつも僕は聞くんですよ。「あなた、昨夜から今朝の間に八時間ぐらい意識なかったでしょう。その間、何をしていたんですか。何を考えていたんですか」と。寝ている間、何をしていると思います?

 

伊集院 その間、意識がないから……。

 

養老 完全に無意識でしょ。人生の三分の一は意識がないんですよ。赤ん坊なんて半分以上意識がない。大学で講義しているときの学生も意識がない(笑)。その間、何なの、人って。それでいて、みんな「眠ること」は「休むこと」と思っているんですよ。

 

伊集院 思ってますね。あれは別って感じで。

 

養老 僕が助手のときにいちばん驚いたのは、脳が使う酸素量です。酸素量を測れば使ったエネルギーが分かります。起きているときと寝ているときで、どのくらい使うエネルギーが違うか測れるんですね。当然、起きているときのほうがエネルギーを使うと思うでしょ。でも同じなんですよ。起きていても寝ていても、意識があってもなくても、脳はちゃんと働いているんですよ。

「じゃあ脳は何してるんだよ」という話になる。意識というのは「秩序活動」といって、完全に無秩序なことができないんですよ。ランダムなことができない。だからこそ今でもサイコロがあるんですよ。一から六までデタラメに目を出せといわれても、意識に任せるとできないんです。「さっき一を出したから今度は二だ」と必ず秩序的に働く。・・・

 脳は意識があるときは秩序のある活動をして、意識がないときは秩序的ではない活動をしているんです。意識が脳の活動をすべて支配しているわけではないんですよ。

 そして、この秩序と無秩序は、完全に表裏一体の関係になっています。「熱力学の第二法則」で、宇宙はどこかに秩序が発生したときは、必ずどこか別なところで同量の無秩序が発生するんです。・・・

 

P106

伊集院 ・・・落語の与太郎って生産性は低いけど、なぜかいつも仲間の中にいるんですよね。

「錦の袈裟」という噺の中で、街のみんなで吉原に飲みに行くのに、与太郎を連れて行くかどうか迷うんですよ。金もないし馬鹿だから(笑)迷うんだけど中の一人が「あいつがいると場が持つんだよ」と言って連れて行くことにする。「場が持つ」ってよく分からないけど、本当は必要なんですよね与太郎

 

養老 昔はどんな共同体にもそういう人が必ずいましたね。

 

伊集院 で、そのことに気づくと、うまくいくことがあるんじゃないかと思っているんです。必要不必要を見極めようとすると、直接的な効果や効率化だけを基準にあいついらない、こいついらないってなるんだけど、もっとよく考えてみると、巡り巡って一見不必要と思って排除しがちだったけど、実はそうともいえないものは残さないといけないと気づくのではないかと。

 ・・・

 結果「他人に優しくなるほうが得」ということになるんじゃないかな。損得だけで考える人が究極の損得を考えるときに、実は僕たちが優しさとか愛情とかに似たものに近づく、というか近づいてくれと思っています。