
魅力的な方ばかり、興味深いエピソードいっぱいでした。
P25
―・・・ノルウェーで「すごい!」と思ったことは?
同調圧力が全然ないですね。周りの目を気にしなくてもいい。日本は「世間体」重視ですが、ノルウェー語では「世間体」を意味する言葉すら、パッとは思い当たらないですね。
・・・
―そのほか、ノルウェー生活で驚いたこととかありますか?
子ども向けの吹奏楽のレッスンが終わったときに、「私、この子の母親です」って一人の女性がAという子を迎えに来たんですね。そして、その後すぐに別の女性が来て、「Aの母親ですけど、子どもを迎えに来ました」って言われて、え⁉やばい!さっきの母親は別人で、Aは誘拐されたのかも!って、パニックになって……。そしたら、その二人目のお母さんが「私セカンドママなんで、心配しないで」って。
―なるほど。二人は同性パートナーで、両方母親だったと。
そうなんです。ノルウェーでは同性婚が実現していて、子どもも持てます。それが普通で、私もある程度認識はしていたんですけど、いざこういうことが起きると驚きますよね。
P30
―スウェーデンの教育現場の雰囲気はどうですか?
主体的に考えて行動する学生が多い気がしますね。先ほど話した平等意識にもつながるんですが、基本的に先生と学生の関係はフラット。・・・
―そういった傾向はビジネスシーンでも同様ですか?
はい。私の勤務する大学のトップは学長ですが、「学長」と呼んだことはなく、基本的にはファーストネームで呼んでいます。そこに役割の違いはあれど、上下関係はありません。スウェーデンの平等主義は男女、年齢、社会的な階層に左右されない。日本のように上下関係が強い国から来ると、慣れるまでは戸惑いがあると思いますが、私はこちらの方が合いますね。
―上下関係が強い社会にはなにか弊害があると思いますか?
困っている人の声が届きづらいのではないかと思います。権威がある人の発言力は強くなり、そうでない人は弱くなりますよね。スウェーデンでは発言する人の立場と意見の内容を区別して考えることが多いので、立場によってなにかを言いづらいということは少ないと感じます。
―逆に、権力を振るいたい人には都合が悪いわけですね。
スウェーデンのよいところは、権力を持つ人ほどオープンな姿勢でいることが多い点です。これは政治家もそう。分け隔てなく人の話を聞けるような人でなければ、そもそも評価されず、組織をまとめる立場には当然つけないのです。
P32
―・・・移住を決意した理由はなんですか?
年齢に関係なく、建築の設計に集中できる環境が大きな理由ですね。当時の日本の建築事務所は徒弟制度のような文化が残っていて、上下関係を気にしながら仕事をしなければならなかった。いわゆる下積みですね。私なんかはいちばんの下っ端でしたから、ひたすら設計図の窓枠を描かされたり、お茶汲みをすることもありました。一方、フィンランドでは建築家は設計以外の仕事はしなくていいんです。20代でも自由に設計の仕事に集中することができる。先輩/後輩という上下関係も存在せず、所長をファーストネームで呼び止めて設計上の意見を聞いたりできる。そんな環境に居心地のよさを覚えていくうちに、だんだん日本に帰ることが億劫になっていきました。・・・
―フィンランドで働いて、驚いたことはありますか?
当時から女性の建築家が多いことには驚いていました。フィンランドでは性別で職業が制限されることはないので、女性がさまざまな業種で活躍しています。・・・
2019年にフィンランドで30代の若い女性が首相になり、世界でも話題になりましたが、彼女は就任挨拶で「この国の教育制度がなければ私は首相にはなれなかった」と話していました。フィンランドでは教育機関の学費がすべて無料なので、生まれた環境や年齢、性別に関係なく夢を追えるんです。
―大人の学び直しも、よくあるのでしょうか?
それは当たり前ですね。たとえば、私の妻の妹は子どものときから看護師になりたいと思っていたそうですが、違う仕事をしているうちに、結婚して、子どももできました。でも、40代になり、子どもたちも手がかからなくなったタイミングで、看護学校に入ったんです。彼女はいまでは看護師として働いています。もちろんこのケースでも看護学校の授業料は無料です。
・・・
―お話を聞いていると、フィンランドに憧れない人はいないように思うのですが……?
でも、「どんどん成り上がって人の上に立ちたい」みたいな人には合わないと思います。フィンランドは相対的な勝ち組、負け組が生まれづらい社会になっていますから。お医者さんと工場勤務の方の給与も、多少の差はあれど、日本に比べれば誤差のレベルです。むしろお金を稼げば稼ぐほど累進課税で税金をたくさん納めることになりますから、「勝ち組」になりたい人はこの国では厳しいと思います。この社会をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかは人それぞれですね。
P50
―海外移住に心理的なハードルはありませんでしたか?
むしろチェコの方が心地よく生きられると感じましたね。
もともと私は引っ込み思案で、人の目を気にする性格。違和感があっても自分の意見を言えず、同調圧力の強い日本社会に浸っていたんですが、チェコに来て少し変わったというか。
今でも覚えているのが、チェコの友人とごはんを食べたとき。「私もそれにする」って友人と同じメニューを選んだら、「いま、周りに合わせたでしょ」ってその友人に言われたんです。
―うわ、それはびっくりしますね。
はい。指摘すること自体にも驚いたんですが、それ以上に自分が無意識に人に合わせていたこと、それに自分で気づいていなかったことがショックでした。些細な出来事ですけど、それがいまでも心に残っています。こんな感じで「自分の意見を持っていい、自分の選択で生きていい、自分自身を肯定してもいい」というマインドセットにしてくれたのがチェコなんです。
チェコでの生活は、こういう大切なことすべて教えてくれたような感覚があるんです。複数の国と国境を接しているので、いろんなルーツを持つ人がたくさんいます。外見もバックグラウンドも多様だからこそ、日本のような「普通」があまり存在しない。
・・・
―仕事面で文化の違いを感じることはありますか?
残業で怒られたのには驚きました。働きはじめて半年間で合計40時間くらい残業したんですが、日本ではそんなに多くない方なのに大問題になって、上司から直接指導を受けました。
―なんで怒られるんですか?
「あなたには健康に働いてほしいから、このまま体調崩したら大変だし、仕事を嫌いになってほしくない」って言われました。でも日本人の感覚だと、今日中にやらないといけない仕事があったら、帰れないですよね。それを上司に言ったら「それでも帰らないといけないんだよ」って言われました(笑)。
あと、「土日に仕事のメールが来たら、返信しないといけないじゃないですか」とも言ったら、「それは返信するあなたが悪い」と。・・・
「仕事が生活を脅かしてはいけない」という意識をとても強く感じますね。・・・
P117
―カーボヴェルデとはどんな国なんでしょうか?
アフリカ大陸の西にある小さな島国です。・・・
―そんなカーボヴェルデに移住した経緯とは?
私はもともと・・・ダンス講師、ダンサーとして活動していました。でもそこにコロナ禍が到来して・・・この状況下でも前々からの夢に向かっていく自分の背中を見せたい、と思うようになりました。
そこで、「HIPHOPダンスで世界タイトル獲得を目指す」とみんなに宣言して、HIPHOP文化の根底にあるものを理解しようと、黒人国家が多いアフリカへの移住を決めました。
カーボヴェルデを移住先に決めたのは、好奇心ですね、情報が少ない国に冒険しに行ってみたいという気持ちが大きかった。あと、カーボヴェルデでは米が主食で、マグロの名産地だと知ったんです。私、好物が白米とマグロで(笑)。この二つさえあれば生きていけるなと。もしうまくいかなくても、モロッコやセネガルといった別候補もあるし、日本に帰ってもいい。とりあえず行ってみることにしたんです。
P136
―・・・住みたいと思わせるモーリシャスの魅力とは?
まず、治安がよく、生活インフラも整っていること。あと、あまり知られていないですが、モーリシャスは日本とほぼ同じ野菜が手に入るので食生活にも困らないんです。しかも、いろんなルーツの人が住んでいるので、いろんな国の料理も食べられる。そして自然も豊か。文句なしです。・・・
・・・
―どんなときに「人種のるつぼ」を実感しますか?
ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、そして仏教。それぞれの宗教行事が、それぞれの信者内で完結せず、すべて「国民の祝日」になっていることですね。普通、一つの国に複数の民族が集まると、学校や会社で「○○の人たちは宗教行事で休みです」といったことが起きますが、この国ではそれがない。キリスト教徒もそれ以外の人も、クリスマスはみんなで休むんです。互いの文化をリスペクトして、共有し合うのが、この国が平和であり続ける秘訣なんじゃないかなと思います。
P151
農業をはじめたきっかけは二つあります。一つは、コロナ禍の21年に「食料が手に入りづらくなっている」という話を聞いたこと。二つ目は、その直後にロシアのウクライナ侵攻による影響で、ウガンダでも物価が高騰し、お金があっても食料が手に入らない状況になったこと。こうしたことが重なって、できるだけお金を使わずに暮らせる生活をつくる必要があると感じ、自給自足を目指して農業をはじめてみました。
・・・
農業は手間も時間もかかるのですが、いざやってみるとおもしろいんです。こちらでは、種を植えたら水も農薬も与えず放置します。はじめに畑を耕すのは大変ですが、あとは勝手に育つので、自然のたくましさに毎回驚かされています。
あと、「なにが起きても大丈夫かも」という気持ちが芽生えてきました。農業は土地と種さえあればできるので、「今後なにか困ったことが起きたとしても、自分達で食料をつくりだして生きていける」という安心感があります。本当の豊かさとは、お金があって裕福なことではなく、たとえゼロからでも自分たちで手間をかけてなにかを生み出せることだと気づきました。夫と「農業は錬金術だね」って話してます(笑)。
P170
―世界一周中にアルメニアを訪れたのでしょうか?
はい。初訪問は2000年でした。・・・
・・・
・・・首都のエレバンに行き、当時アルメニアで唯一日本語学科があった大学を訪れました。そこの学生たちは日本に行ったこともないし、行ける見込みもないけど、日本語が好きだったんです。・・・当時のアルメニアは貧しい人が多く、ネットもいまほど普及しておらず日本の情報も乏しかったのに、彼らの目はキラキラしていて。自分の悩みがちっぽけに感じました。
・・・
―・・・アルメニアに、なぜ移住することに?
世界一周中の03~06年にコロンビアで3年間日本語教師をして、その仕事にやりがいを感じたんです。その後、日本で資格を取得して、1年間フィリピンでも教えましたが、やはりアルメニアで教えたいと思い、09年にアルメニアに渡りました。・・・
・・・
―現在はどんなお仕事を?
いまはIT系の翻訳の仕事をしています。他にも日本企業の社長秘書、日本語教師や観光ガイドなど、いろいろな仕事を組み合わせていますが、不思議と向こうから声をかけてもらうことが多いです。私は「自分から動かない」と決めていて(笑)。
―「自分から動かない」!
いくら社会が発展しても、漠然とした不安に対して「なんとかしよう」と思うから、人生はしんどくなり、自由に生きられない。「なんとかする」のではなく、「なんとかなる」と愚直に信じて自分らしく生きていれば、結果的になんとかなったりします。・・・
P204
―ラオスの男性の優しさはかなりの驚きでしたよね?
はい。会えばひと言目に「今日もきれいだね」って自然に褒めてくれて、道端で会っただけでも花束やお菓子をくれる人もいます。でも、突然告白して関係を迫ってくるわけでもない。
―それは外国人だから、ということでもないんですか?
ラオス人同士でも同じです。この背景には母系社会があると思います。ラオスでは結婚後に夫が妻の家に入り、家や財産を女性側が継ぐことも多いです。だから、女性が気分をよくしている方が家庭も仕事もうまく回るとみんな体感で知っているんでしょうね。ラオスはとくに働く女性におすすめですよ(笑)。
―ほかには、どんな人にラオスをすすめたいですか?
「こうじゃないとダメ」に押しつぶされそうな人ですね。働かないとダメ、学校に行かないとダメ、生産性がないとダメみたいな「べき論」に疲れを感じている人。ラオスでは、働いてもいいし、働かなくてもいい。失恋して寺に1週間こもる人もいれば、いきなり屋台をはじめる人もいます。もちろん全員に合うとは思いませんが、数週間でもラオスに身を置くと、肩の力がふっと抜けて、「別の選択肢がある」と体感すると思います。
P262
―ラロトンガ島の生活で驚いたことはありますか?
住所がないことですね。島と村の名前はあるんですが、日本の番地のようなものが存在しないんですよ。なので、郵便物も最寄りの私書箱か郵便局に取りに行くしかないんです。
―なるほど……誰かを家に呼ぶときはどうするんですか?
ただただ困ります(笑)。うちの近所には目印になるものがないので、なんとなく近くまで来てもらって、あとは電話で誘導するか迎えにいくしかないですね。
・・・
日本の書類に住所を書かなければならないときは困りますね。あと、クック諸島では電話番号が5桁なので、WEB上で記入するときは「番号が短過ぎます」とかエラーが出て、詰むことがあります(笑)。
―ラロトンガ島の魅力はなんでしょうか?
簡単に言うと、「人が優しく、気候がよく、景色がきれい」ですね。・・・日本と同じくらい、ゴミがほとんど落ちていません。島の人はみんなきれい好きで、家の周りや街がとても片づいています。そして、景色や街と同じくらい人々の心もきれいな気がします。・・・
P283
・・・ある日、ダイビングでジンベエザメを見に行ったとき、テンションが上がり過ぎて私がサメに触ってしまったんです。でも、サメに触れるのは罰金や禁錮刑の対象でした。そこで、監視員に対して、ガイド役だった友人の男性が「説明不足は自分の責任」とかばってくれたんです。彼とはそれをきっかけに交際するようになり、結果的に婚約。それもあってベリーズに残ることにしたんです。
・・・
―ベリーズでの生活をとおして、麻子さん自身の価値観になにか変化はありましたか?
かなり変わりましたね。最初の10年間で「大事なものの優先順位」が変わった気がします。日本にいたころは「仕事→自分→家族」の順に優先していましたが、自然にベリーズの人々と同じく「家族→自分→仕事」になっていきました。日本で働いていたころには空虚感を感じていましたが、20年経ったいまでは、朝起きたときにきれいな鳥の声を聞いたりだとか、身の回りの植物の些細な変化に気づくだけで幸せを感じるようになりましたね。
―では、ベリーズ生活で衝撃を受けたことは?
いちばんショックが大きかったのは、いわれのない罪で指名手配されて、刑務所に入れられたことですね(笑)。
―え!一体なにが起きたんですか?
ベリーズでは、一度結婚したら浮気されようが暴力をふるわれようが、基本的には合意離婚ができません。キリスト教の教えに基づいて、関係を修復するよう促されるだけなんです。
結婚して10年近く経ったころ、夫と経営方針などで衝突することが多くなったので、「限界だな」と思い、子どもを連れて「家を出るね」と告げたんです。そしたら、夫に言いがかりをつけられて、刑務所に入れられてしまいました。ベリーズでは賄賂などで警察に話を通したりすることもできるので、突然指名手配されて、捕まって、刑務所へ。日本大使館の協力もあって、数日後に出られましたが、あれは驚きましたね。
―大変でしたね……。ベリーズの刑務所内で記憶に残っていることはありますか?
ある日、隣の独房から差し入れで黒茶色の飲み物を渡されました。「なんだこれ」と思いながら恐る恐る飲んでみたらカカオで、不思議とすごく救われた気持ちになりましたね(笑)。