寄せ場のグルメ

寄せ場のグルメ

 著者の他の本が面白かったので、こちらも読んでみよう、と思いました。

 知らない世界が広がっていて興味深かったです。

 

P273

 二〇一九年に始まった本連載「寄せ場のグルメ」が、いよいよ最終回を迎える。・・・

 この連載を思いついたのは、東京最大のドヤ街の一角にある酒場だった。「山谷」以外の「寿町(横浜)」「西成(大阪)」などの「寄せ場」に暮らす日雇い労働者が、どこで何を食べているのかを記録しようという趣旨だった。

 しかし、考えてみるとバブル崩壊後の日本社会は、派遣労働、アルバイト、パートなど、雇用の形態は様々あれど、確実に非正規雇用労働市場が拡大。最低賃金はおろか、実質賃金そのものは下がり続け、富裕層と貧困層の格差は開く一方だ。つまり、私は社会全体が「寄せ場化」していると考えたのだ。そこで、この連載では特定の場所としての寄せ場はもちろん、現代社会で働く広い意味での労働者らがいったい何を食べているのか、という広義の視点で取材を進めてきた。だからこそ、今やファーストフードの代名詞である「牛丼」も、深夜労働の現場の一つであるファミリーレストランも、私にしてみれば「現代の寄せ場」を垣間見る現場だった。・・・

 寄せ場社会には「飯屋は孤独の吹きだまり」という言葉がある。本連載で取り上げてきた店の多くは、「早い、安い、旨い」の三拍子はもちろんだが、友人や家族ら大勢でワイワイやれる店はほとんどない。どちらかといえば、一人でもふらりと店に入って、なおかつ静かに食事にありつける店ばかりだった。そういう店には、必ずと言っていいほど「偏屈で寡黙な親父」、もしくは「強面の女将」がいて、客の一挙手一投足を凝視しているものだ。

 ピリッと張り詰めた空気、完全に差配されたアウェーの空間。ある種の緊張感の中で、飲んだり、食ったりすることを、安易に窮屈と考えてはならない。私は繰り返し、このことを書いてきた。確かにそうした親父や女将は、いっけん口が悪く、ぶっきらぼうで、とくに初めての客には冷たい。サービスなどの概念が全く通用しない世界だ。しかし、そこに意味がある。

 もともと、ドヤなどに暮らす高齢の労働者は単身世帯が多く、またそれぞれに口にはできない複雑な過去を持ち合わせている。彼らは家族や友人などの煩わしい人間関係のしがらみを捨て、寄せ場で生きることを決めたのだ。そもそも狩猟採集の時代から、「食べる」という行為は家族や友人らと、食べ物を分かち合い、一日の終わりに、火をくべたかまどを囲み、その日の狩猟の成果について語り合う、いわば家族単位の「団欒」と深い関わりがある。だからこそ余計に、寄せ場で暮らす者にとって、日々の飯を食べる場所が、孤独の吹きだまりに思えてしまうのだ。

 つまり、あの偏屈で頑固な親父、女将らは、団欒とは無縁の「個」として生きる人々の生存権を守ろうと必死なのだ。彼らの一日の疲れを癒やし、つかの間の安堵にふけるその空間を、自分が悪役になることをいとわず、全力で守ろうとしているのだ。

 そう分かった時、無性に彼らの存在が尊く、愛おしく思えるようになった。作家ヘンリー・ミラーではないが「そこに神はいた」のだ。そして、しばらく通っていると、こんなにも居心地のよい空間は他にはないとさえ思える、私の居場所となった。

 かつて寄せ場でなくとも、こうした誰もが一個人として、安心して食事にありつける店は、東京のあらゆる場所にあった。・・・

 考えてみると、東京は全国から仕事を求めてやってきた人々で構成されている。大げさにいえば、東京という大都市そのものが、寄せ場的な社会そのものなのだ。都市は群衆の集合体であるが、だからこそ、他人のことなど気にもかけない「無関心」が存在していて、個人のプライバシーを曖昧なものにしている。だからいいのだ。群衆の中の孤独。これもまた本連載のテーマだった。

 ・・・

 食べるという行為は、「食べる喜びと、食べなくては生きていけない辛さ」を内包している。食べるという行為が人間にとってどんな意味をもつのか。あなたの街の酒場で、飯屋で、喫茶店で、ホルモン屋で、時には一人になって確かめてほしい。最後に詩人、清水哲男さんが書いた詩を紹介して、この連載を結ぶとする。

「赤提灯の楽しさとは、人間に触れる楽しさである。と同時に、人間に触れない楽しさである」

 

P129

 ・・・円山町のはずれにある一軒の赤提灯に入った。カウンターには先客が二人いる。さつま揚げを肴にビールをやっていると、隣の男性客の会話が偶然、耳に入った。どうやら二人は三十代前半で、一人は妻子あり。円山町と隣接する高級住宅街「松濤」にある某著名人の自宅の警備員だった。私は身分を明かし、渋谷を取材していると打ち明けた。すると、渋谷という街の本当の奥深さの一端を二人が本当はオフレコと言いながらも教えてくれた。二人に言わせれば「松濤の中でも一丁目以外は松濤ではない」そうだ。

「表玄関からリビングにたどり着くまで、五回のセキュリティーをくぐらないといけない家でも、泥棒は度々、入るんです。もちろん素人ではありませんよ。だから、一丁目の住人は本当に価値があるものは、一切、自宅には置かないんです。泥棒は宝石でも絵画でも、価値のあるものしか盗みません。所有者も目利きなら、盗みに入る側も目利きなんです」

 円山町から目と鼻の先にそんな世界が広がっているのかと、改めて驚いた。いったいどんな人が暮らしているのか。マンションを借りるのでさえ、松濤ではたとえ億単位の預貯金があっても、審査が通らない例もあるのだそうだ。皇室関係者も多く暮らしているという。そんな人々から道を一本隔てた円山町はどう見えているか、と聞いたら笑いながら即答した。

「円山町の方向を見たくないと言いますよ。松濤には学校もあるのですが、円山町には足を踏み入れるなが、親子ともに暗黙の了解です。彼らにしてみれば、ないような町なんです」

 それでも……と一人の警備員が続ける。

「どっちの町が落ち着くかというと円山町でしょ。ここに来ると、ああ、生きているって思う。ウン千万円する高級外車が当たり前のように一家に一台以上あって、百貨店の買い物はどんな高価な時計でもツケ払い。そんな世界があるのかと。もちろん、仕事なので警備していますが、時々、自分は何をしているんだろ、と考え込んでしまいます」

 カウンターを先に立った二人の背中を見送りながら、必ずしも街の本当の「奥」は影の世界にあるとは限らないと悟った。・・・

母、野際陽子

母、野際陽子 81年のシナリオ

 娘から見た野際陽子さん。あったかい気持ちになったり、え~?!というエピソードに笑ったり、楽しく読みました。

 

P20

 本人はきわめて普通に振る舞っているつもりなのになんとなくおかしい、不思議な特有の波長―つまり天性の〝陽のオーラ〟のようなものが母にはあって、それが周囲の人たちを巻き込み、その場を支配してしまうという感じだったのではないでしょうか。

 ・・・

 NHK時代からずっと昵懇の間柄でいて頂いた黒柳徹子さんの番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で、母が何度も話したエピソードは、その〝代表作〟でしょう。母はこの番組に20回以上も出演させて頂きましたが、

「ねえ、またあの泥棒のお話しして下さる?私、あのお話、大好きなの」

 黒柳さんのリクエストにお応えして、何度もこの珍事件を振り返っています。

 NHKへ入局後、名古屋放送局に赴任し、局が借り上げているアパートに住んでいた母の部屋へ、ある給料日の晩、強盗が押し入りました。マスクで顔を隠した男に包丁を突きつけられ、「キャーッ」と母はものすごい悲鳴を上げました。

 とっさに「騒ぐと殺される」と思った母は、最初の一声だけで叫ぶのをやめて、ガタガタ震えながら「何が欲しいの」と尋ねました。「金だ」と当然の返答。そりゃあそうだろうと思いながら何かしゃべっていないと怖いので、「いくら欲しいの」と母は質問を続けました。

 母のペースに引き込まれかけたのか、強盗は「有り金全部だ」と決まり文句は言わずに、「200円」と控えめな希望を明らかにしました。現在の5千円くらいに当たります。

「あ~、200円なら助かった」と少し冷静さを取り戻した母は、頭の中で、もらったばかりの給料袋には1万3千円余りが入っていて、細かい200円は財布の中にもないことに気づき、男に問いかけました。

「千円札しかないから、お釣りくれる?」

 そういうおかしなことを言うから、強盗のほうもますます調子が狂って、ガタガタ言わずに千円寄越せ、と凄むべきところを、

「800円あるくらいなら、200円寄こせって言うか」

 と、コントみたいなマイ突っ込みをしてしまいました。母は、この泥棒、頭はいいんだなと感心したそうです。その感想も少しズレているとは思いますが。

 とにかく命は大丈夫そうだと思った途端、今度はケチ全開になり、少しでも安く済ませたいと必死になって、

「じゃあ、もうすぐ誰か局から帰って来るから、200円借りて、あなたにあげる。あなたのことは絶対に言わないから」

 頭のいい泥棒は、信用出来ないとこれを却下し、「それなら一緒にこれからタバコ屋に行って千円札を崩そう」という母のさらに驚くべきプレゼンにも取り合いません。

 ここで恐ろしさが限界を超えた母はわっと泣き出し、無我夢中で訴えました。

「どうしてこんなことするの。私、こんな怖い目に遭ったの初めてよ」

「オレだって、こんなことするの初めてだ」

 これで強盗の態度が変わりました。女房が子どもを置いて出て行った。子どもはシャツ1枚で震えている、シャツを買ってやりたかったのだ、と涙ながらに語り出したかと思うと、マスクをガバッと外し、母の手を取って頭を下げ、懇願したというのです。

「ネエさん、オレをサツに突き出してくれ」

「いやいやいや、まだあなたは何も取ってないでしょ。サツがどこにあるか、私、知らないし」

 立場が完全に逆転しました。結局、強盗が母から千円借りる、ということで話がまとまり、強盗はおとなしく帰っていったのです。

 後日、局の野際陽子宛てに手紙が届き、「この間はすみません、働いてお返しします、心のやさしい姐さんへ、後悔している悪魔より」と書いてありましたが、全然お金は返ってなんかこないし、「悪魔」ってなんですか、だいたい「姐さん」というのがどうも気に入らない―というのがこのエピソードのオチです。

 あの時の悲鳴だけは芝居に生かしたくてもどうやっても出せないとも、よく母は言っていました。

 ただし、「徹子の部屋」の他でも、このお話は度々披露しており、あんまり何度も何度も話しているうちに、自然に細部に磨きがかかり、盛ったり脚色したりもしたのでしょうか。

「野際さんのあの話、聞く度におもしろくなってるんだよなあ」

 そんな声もあったことを付け加えておきます。

酒を食べる

酒を食べる-エチオピアのデラシャを事例として

 え?というタイトルで思わず手にとってしまいました。

 著者は現地でフィールドワークをされた訳ですが、私から見るとかなり過酷な環境で(実際現地の方に止めといた方がいいと説得される場面も)、若い女性がよく・・・とびっくりしてしまいました。

 

P20

 デラシャ社会には、酒を食事とする以外にも、とてもユニークな農法や穀物の貯蔵方法があった。そうした研究の糸口となったのはデラシャの酒文化であり、いつしか私は地酒を農業と文化の接点として捉えるようになっていった。デラシャ地域のように食=酒となっている社会はきわめて珍しいが、世界には酒を食事の一部とする食文化は世界各地に存在する。・・・

 

P32

 酒の用途は多岐にわたる。しかし、これらの薬、娯楽、宗教、報酬、富の分配、関係性の継続や明示、権力の誇示といった用途が世界各地で残っているのに対し、食事という用途をもつ地域はきわめてかぎられてる。ただし、酒が食事とされてこなかったわけではない。

 ビールは中世まではヨーロッパの広い地域で食事として飲まれていた。・・・古代エジプトで生まれたビールは、もともとはパンづくりの失敗の末に生まれたものとされており、現在のビールよりも固形に近い状態のものがカロリー源として飲まれていた。それよりも時代が進み中世ヨーロッパでは、ゲルマン民族から伝わった方法により各家庭で自家用ビールが醸造されており、ビールは酒というよりは主要な栄養源の一つとなっていった。・・・当時のビールは、現代のビールと異なり、未精製でアルコール度数も低い飲み物であった。中世後期におけるヨーロッパのビール地帯におけるビール消費量はビールを食事としていたため大量だったとされている。・・・また中世において避けるべき飲み物は生水であり、人間にとって有害なものとみなされていた。下水設備がない中世において井戸水は、チフスコレラの感染源であった。危険な井戸水に比べてビールは発酵の過程である程度滅菌されており、肝臓への負担を除けば、非常に安全な飲み物だった。・・・イギリスにおいてもビールは大衆的な飲み物で、一九世紀初期に紅茶やコーヒーが普及するまで、ビールは朝食時の飲み物だった。・・・

 

P72

 エチオピア人にデラシャの印象を尋ねると、まずあがるのが「いつも酒を飲んでいる人たち」という返答が多い。しかし、これは誤解であると私は思う。パルショータは、デラシャにとって「酒」ではなく「主食」なのである。・・・

 ・・・

 ある日、私は近所に暮らす三〇代の男性S氏と結婚式に出掛けた。S氏は、はじめ「おいしい!肉を食べるのは、ほぼ半年ぶりだ。この時期は肉が食べられるから最高だな」と言って、インジェラにかぶりついていたが、徐々に食べる早さが遅くなり、「もう無理。あげるよ」と私に料理を押し付けてきた。私は、「いや!私も無理。お腹いっぱい。インジェラは胃の中で膨れるから、あんまり食べられない。肉は半年ぶりなんでしょ。半年分の肉を詰め込みなよ!」と勧めた。するとS氏は満腹のあまり虚ろな目をしながら、「僕たちは普段はそんなに〝噛む〟食事をしないから、(インジェラや肉を)そんなにたくさん食べることはできないんだよ。もう、お腹一杯だよ」と訴えてきた。私はそれもそうかと思い、「しょうがないなー。じゃあ、お皿をそこに置いといて。食べられる分だけ食べるから」と答えると、彼は、「ありがとう。口をすすいで来るね」と言って席を離れた。しばらくは気にせずに黙々とインジェラを食べていたが、さすがにお腹がいっぱいになってくると、S氏が戻ってこないことが気になりだした。・・・男性用のパルショータ飲酒スペースを覗いてみたところ、ごくごくとジョッキに入ったパルショータを飲み干すS氏を発見した。私は思わず、「お腹一杯って言ったじゃない!パルショータを飲める余裕があるなら、滅多に食べられないインジェラと肉を食べなよ。意味が解らないよ!」と言うと、・・・S氏は「えー。パルショータは別腹だよ」と答えた。さらに、S氏が言うには、「僕たちは噛む料理を普段は食べないから、あんまり量は食べることはできないんだよ。でも、美味しいパルショータはするすると喉を下っていくので、どれだけでも飲むことができるよ」ということであった。・・・

 

P169

 ・・・食料の消失を防いできたのがポロタである。ポロタは地下貯蔵穴であるため、焼失することはない。さらに、ポロタがつくられている場所には目印がないため、同じ村の住人でもないかぎり、どこにポロタがあるのかわからない。そのため、盗難にも遭わない。・・・

 ・・・

 デラシャにとって、ポロタをもつことはパルショータを確保するうえでも、独立したと認められるためにも重要である。・・・

 ・・・

 ・・・ポロタをもてない間は凶作年への備えがない。通常は、親や親族が穀物を分け与えるが、数年間も深刻な凶作が続いてしまうと、親や親族にも援助する余裕がなくなってしまう。そのようなときは、余剰のポロタをもつ者たちが、ポロタを開けて無利子・無期限でモロコシを貸与してくれる。多くのポロタをもつ人は、アパオラ〔apaora老齢の場合ショルギア(偉大な老人)と呼ぶこともある〕と呼ばれている。

 ・・・

 二〇世紀にエチオピア全土で数万人の死者を出した大飢饉が二回も起こっているが、生産性が低いとされるデラシャでは、このとき一人の餓死者も出なかった。かれらは、ポロタという優れた貯蔵システムが基幹穀物を守り、穀物から醸造酒をつくるという食文化によって総合食品をつくりだしていたのである。・・・

 

P190

 ・・・デラシャの食事は主食と副食に分けることができない。かれらは日常的にはほぼパルショータしか食べない。この発酵食品を、主要なエネルギー源とし、すべての栄養の供給源にしているのである。

 かれらが暮らす過酷な生態・社会環境がこのような食文化を創り出したのかもしれないが、そこには、極限的に少ない作物種を省力的に育て、そのわずかな糧をパルショータという濁酒に濃縮することで、上述した主食と副食に求められるすべての要素を満たしているのであろう。・・・

 

 

 ところで3日間ほどブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

 息子さんに伝えたいことがまとめられた本・・・印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P44

 息子は歩き出し、2歳になり、自我のようなものが芽生えてきた。

 僕はできる限り、息子自身にじっくり選ばせようと決めている。とはいえ、いきなり「どう、どこの保育園がいい?」と選択させたわけじゃない。

 スーパーでお菓子を買うとき、ファミレスで注文するとき、息子が自分で選ぶのを、じっくりと待つ。ルールは、必ず子どもの選択を受け入れること。決して「それじゃなくて、これにしなさい」と自分の意見を押しつけないこと。

 ささやかだけれど、実は大きなことでもあると考えている。

 そんなの理想論だと言う親も、なかにはいるだろう。僕だって「それじゃなくて、こっちにしなさい」と言う親の気持ちはわかる。

 子どもは、食べられないものを選ぶかもしれない。金額的に高いものかもしれない。

 何より、親には時間がない。仕事を大急ぎで切り上げてお迎えに行き、「帰ったらご飯をつくって、お風呂に入れて、洗濯機を2回は回しながらちょっと片付けもしないと」と過密スケジュールをこなしている親が、いつまでもいつまでもお菓子の棚の前で悩み続ける子どもにつきあうのは大変なことだ。

 しかし、「限られた時間のなかで、予算にあった程よいものを的確に選ぶ」というのは大人の合理性だ。僕たちは何かを選ぶときいつもそれに縛られていて、自分の「これがいいな」を忘れている。

 大人の合理性から自由でいられる、わずか数年のわが子の幼児期につきあうというのも、愛情ではないだろうか。

 仕事が忙しい親には時間がない。僕はガンになって仕事が激減したぶん、日中時間はあるけれど、残された人生の時間は多くない。つまりはみんな、時間は限られている。

 それでも自分が持っている時間を、子どものために差し出す。これも親の優しさではないだろうか。

 

P64

 大人になって思う。おそらく学校とは、理不尽さを学ぶ場所なのだと。

 そもそも社会は理不尽なものだから、理不尽さを知らないまま大人になると、理不尽さにやられてしまう。だから僕が息子を学校に行かせる理由は2つ。

 ひとつは、年齢相応のことを経験させるため。

 もうひとつは、予防接種のごとく理不尽さの免疫をつけさせるためだ。

 これ以外、学校に求めるものは何もない。

 

P108

 僕自身は、ほめられたことのない子どもだった。自己肯定感のなさの塊だった。

 たぶん時代のせいもあると思うが、親にも先生にもほめられることがほとんどなく成長した。

 だから、好きなこともやりたいことも、なかなか見つからなかった。控えめに考えても写真家として成功したとは思うが、下積み時代は「日の目を見ないまま終わるんじゃないか」という不安だらけだった。

 ようやく自己肯定感を持てるようになったのは、ニコンの賞をとってからだ。

 親の世代からすると、雑誌や新聞に自分の息子が載ったというのは一大事で、大喜びしてほめてくれた。それで自信までついたわけではなく、逆に「手のひらがえしだ。くだらないな」としか思わなかったけれど、自分の中にくすぶっていた承認欲求が満たされたことで、自己肯定感が芽生えた。

 得てしまえばたいしたことはない通過点だとわかるけれど、得ていなければそれすらわからない。また、自分の承認欲求が満たされないと、人をほめることもできない。

 だから自己肯定感がない人は、まず何か、自分の承認欲求が満たされる行動をするといいのではないだろうか。

 ・・・

 今は僕も妻もほめているけれど、もっと大きくなったら、息子には自分で自分をほめてほしい。そうやってほめられることに慣れれば、人にほめられたとき、「そんなことないです」と否定したり「お世辞だろう」と疑ったりしなくなる。

 自分で自分をほめて自信がつけば、人のこともほめられるようになる。

 自信がある面白い人がお互いをほめ合える世の中は、幸せな世の中だと僕は思う。

 

 

心が震えるか、否か。

心が震えるか、否か。

 サッカーに詳しい方は、もっとここに書いてあることのすごさがわかるのだろうなと思いつつ、あまり詳しくない私でも、とても興味深く読めました。

 

P7

 よく、「選択」をする際にいわれることとして、タイミングが重要だ、とか、より困難な道を選ぶべきだ、というものが多いように感じる。

 それはなんとなくは理解できる。でも、僕の場合はちょっと違う。

 

 自分の「心が震えるか、震えないか」。

 それが判断基準なんだ。

「ワクワク」という表現でもいいのだけれど、「武者震いする」という方が近いかもしれない。

 

 仙台の街クラブの練習を見て、心が震えた。

 ドルトムントの試合を見て、このスタジアムの熱気に包まれたいと思った。

 ファーガソンのおもてなしは、粋に感じて、心につき刺さった。

 

 僕が本を出すにあたり、主に2つのことは伝えられると考えている。

 ひとつは、先に書いた「心が震えるか、震えないか」によって様々な「選択」をすることにより、後悔をしないでほしいということ。

 もうひとつは、そうはいっても、一方で僕は数多くの失敗をしてきたし、後悔することもたくさんある。でも、そうした苦い経験があったから、色々なことを考えられるようになったし、歯を食いしばって頑張り続けることができた、ということだ。

 

P333

 香川が移籍を決断するにあたって大切にしているポイントは、大きく分けて以下の2つだった。

・心から挑戦したいと思えるような環境があること

・そのクラブが自分のことを本当に必要としてくれていること

 

 クラブの熱意というのは、自分ではコントロールできないものである。コントロール不能の要素を条件に挙げることに疑問を抱く人もいるかもしれない。そこにピントを合わせるのはおかしい、と。

 でも、香川はもう30歳になっていた。

 21歳でセレッソからドルトムントへやってきたときの9年前と比べれば、30歳からの9年間で得られるチャンスはその3分の1にも満たないだろう。それが移籍市場の常識だ。

 だからこそ、このタイミングでの移籍では妥協したくなかった。

 納得のいくクラブからのオファーが来るまで苛立つ気持ちと焦りにも、耐えていた。

「悪くないオファーじゃないか!」

 2018年のロシアW杯が終わってからの1年間で、いくつかのオファーを、周囲は勧めてきた。でも、香川が首を縦に振ることはなかった。

「ヨーロッパであと1,2年プレーするだけであれば、『良いオファーだね』と言えるかもしれない。でも、将来のことを考えたら、今、挑戦しないといけないんだよ!ヨーロッパのなかでも一番シビアな舞台でやるべきでしょ」 シビアな舞台というのは、もちろん、スペインである。EU圏外のパスポートを持つ選手は3人しかチームにいることができず、UEFAのランキングでも1位に君臨するリーグである。

 それでも納得のいかなそうな顔をしている人に対しては、こう答えた。それを聞けば、たいていの人が理解してくれた。

「情熱が燃やせる場所じゃなきゃ、もう嫌なんだ」

 

P374

 サラゴサとの契約を解除してすぐにPAOKに来たのと、4ケ月近くもスペインでプレーする道を模索したうえでPAOKに来たのとでは、全く違う。

 ここに至るまでの間に別の選択をしていたら、いつか必ず、後悔することになっただろう。

 この浪人期間中に、たびたび聞かれた質問がある。

「日本でプレーするつもりはないのですか?」

 僕は今のところ、日本に帰ってプレーしようとは考えていない。Jリーグのレベルを下に見ているからではない。

 自分の志を曲げたくないからだ。

 僕はブレたくない。

 貫くべきは、僕がヨーロッパに来た理由だ。

 サッカー選手として成長したいから、ヨーロッパを選んだ。

 最初にドルトムントに来たときから、目標は変わらない。今振り返れば生意気だったとは思うけど、当時は「少しでも早く次のステップに進みたい」と口にしたほど。あのころからサッカー選手としての階段を上ることに夢中だった。

 自分の成長を考えたとき、サッカー界の頂点へ地続きでつながっているヨーロッパで戦い続けるのが最善の道だと考えている。

 そして、もうひとつ、理由がある。

 日本代表の存在があるからだ。

 過去に参加した2回のW杯を通して感じたのは、ギリギリの戦いに身を置いた経験こそが、大一番でものをいうということ。

 そんなギリギリの戦いを続けて手にできるのが、強さだと思う。

 W杯のような舞台では国中の注目と期待が注がれるから、プレッシャーは大きい。

 相手も必死になって戦ってくる。プレーの強度、いわゆるインテンシティーは高く、一つひとつのプレーで相手から受けるプレッシャーもそれまでとは段違いだ。

 そんな試合のなかで訪れる苦しい時間帯や逆境に立たされたときに求められるのが、精神的な強さだと気づいた。

 ・・・

 ヨーロッパでは、日本にいるときとは比べものにならないほどのストレスがかかる状況でサッカーをやるから、結果を残したときの喜びもひとしおだし、そこでの戦いを通して、僕らは強くなれる。

 だから、2022年のW杯までは、ヨーロッパで戦い続けると心に決めているのだ。

 2019年1月末にベシクタシュに移籍してから、2020年の5月ごろまで、僕が悩まされ続けていたのは、理想のイメージと、目の前にある現実とのギャップだった。

 ・・・

 理想ばかり高くしてもダメ。かといって、現実から目をそらすのも良くない。

 少し余裕を持っていないと、心はパンクしてしまう。何となくわかっていたつもりだったけど、この1年半でついに理解した気がする。

 僕はようやく、自分の心を上手にコントロールできるようになった。

 サッカーに夢中になっているときにしか感じられない、あのしびれるような瞬間をこれからも味わいたい。

変えたいからこそ、そのひとの色に染まる

ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け

 この管理栄養士さんの姿勢、印象に残りました。

 

P270

 国外に滞在する吉村俊亮とオンラインで会話をしたのは、まだ寒い二〇二一年二月半ばだった。・・・吉村は、サッカー元日本代表で、当時ギリシャPAOKテッサロニキに所属していた香川真司選手、バドミントン日本代表桃田賢斗選手などプロのトップアスリート数名の専属栄養士を務めていた。

 ・・・

 ・・・

―第一線のアスリートに自分が求められるのはなぜだと思いますか。

「アスリートとの関わり方が大きいのかなと思います。

 もし、食事についての選手の意見や考えが間違っているなと思っても突っかからないですし、その場で自分の意見をぱっと返したり、専門的な話に水を向けたりもしません。トップのレベルにいるアスリートって、食に関していえば、ときどき別人格のように昨日と今日とで好みが変わって驚かされることもありますし、自分のルーティンを大事にして、だれがなんと言おうと貫き通す選手もいる。でも、相手に向かって、『それは困る』『違う』というやりとりは絶対にしません。選手自身、納得がいかない感じを引きずってしまうと、翌日の練習に影響する場合もありますから。

 話すべきときには、第三者のトレーナーも選手といっしょに同席するミーティングできちんと、と心掛けています。媚びを売ることもしないですし、結果に対するフィードバックも受け取らない。契約事は非常にシビアですから、切るときは切って下さいというスタンスです。そういうところが、むしろさっぱりしていて気持ちがいいと捉えてもらえることが多いようです」

 人間同士だから、そのつもりはなくてもよけいな感情が生じて、目の前の食事にべつの感情がまとわりつくことがある。その可能性をできるだけ遠ざけるために一定の距離感を保つというのが、プロとしての吉村の思考法だ。そのうえで、徹底的に信頼関係を築く努力をする。LINEでつながっている相手から休日や時差に関係なく連絡や相談が入ってくることも多く、そのたびに厭わず返事を送る。二十四時間仕事のスイッチが入っている状態だけれど、「自分はひとより何かが秀でているわけではないから、この十年、より高いレベルの専門家になるために時間を使って成長しようと考えてきました」。この謙虚な粘り腰が、アスリートに伝わるのだろう。

 食事だけではパフォーマンスは上がらない、と吉村は強調する。

「まずトレーニングあってこそ、です。トレーニングがなければ、食事はパフォーマンスの向上につながらないし、メンタルが崩れたら結果は出ない。体力、食事、精神面、これらがひとつの輪になってはじめて、サポートの成果を生むことができます。食事だけ突出していてもだめなんです。逆に言えば、そこがこの仕事の結果がわかりにくく、むずかしいところでもあるんですよね」

「食事はトレーニング」の意味が少し見えてくる気がした。体力と技術のトレーニングを支え、さらに押し上げるトレーニングとしての食事。だから、管理栄養士もチームの一員として「体力、食事、精神面」のバランスを成立させるところに仕事の要諦がある。

「僕らはそのひとを変えたいからこそ、そのひとの色に染まりながらやっていかなきゃいけない。居心地がいい、安心できると感じてもらえなえれば、最終的に目指すところには行けない」

「変えたいからこそ、そのひとの色に染まる」という言葉にはっとさせられた。それが結果を求めるための一食であっても、おいしい、楽しい、うれしい、ほっとする、人間の根源的な喜びに結びつかなければ身体には取りこまれていかない。無意識の領域や脳の働きに関わるところにもまた、スポーツの現場における食事の奥深さとむずかしさ、あるいは無限の可能性があると思われてならない。

ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け

 ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け

 トレーニング、栄養管理など、筋肉と脂肪をめぐる深い話が満載の本。

 知らなかったことばかりで、興味津々で読みました。

 

P149

 桑原は前章の通り、江崎グリコが一九九九年に売り出したスポーツサプリメント「パワープロダクション」を開発した中心人物で、・・・現在、江崎グリコから独立して「桑原塾」を取材、コンディショニングやボディメイクのスペシャリストとして活躍している。・・・

 ・・・

「そもそも僕がトレーニングを始めたのは、最初は商品を実際に試して精度を上げるためでした。ところが、杉田(茂)会長に弟子入りしてボディビルのコンテストに出ると、やっぱり成績を上げたくなる、優勝したくなる。いつのまにかがむしゃらになっているんです。会社員時代は部長職でしたから、役員会議にも出なくちゃならなかったのですが、自分にまったく関係のない会議だと、何食わぬ顔で退席して、空いた場所で筋トレしてから席に戻ってきたりしていました(笑)。そのくらい、僕のなかではトレーニングの位置づけが上になっていった。

 じゃあ、なぜ自分はそれほどまでしてトレーニングをするのか。これは深い話なんです」

 桑原が本気でトレーニングに取り組みはじめたのは、三十八歳頃だった。それから二十年余り経ち、白髪も増えた、老眼も進んだ、歯も一本抜けた、でも。

「筋量だけは増えているんですよね。たまに棚橋選手と会うと、彼がいまだに言うのは『最初に会った頃の桑原さんはこんな身体じゃなかった、ごく普通の細いサラリーマンだったんだからね』。それを聞くと、まだ進化しているのかなと思えてうれしいんです。もう筋肉以外はすべて衰えている、いや、衰えている自信がある。でも、筋肉については、五十になっても六十になっても対前年比プラスになれる。まずこれが、僕が筋肉にのめりこんでいる大きな理由なのかなと思うんです」

 筋肉は、負荷をかけて刺激をあたえなければ、加齢とともに確実に衰えてゆく。しかし、明確な意識をもって負荷をあたえ、同時に栄養や休息の条件を整えれば、高齢者でも筋肥大することが実証されている。

 

「高齢者だから神経系だけの要因で筋力が上がるということではなく、若い人と同じように、神経系とサイズの両方の要素が改善していくことがはっきりわかってきている」

    (『石井直方の筋肉の科学』石井直方著 ベースボール・マガジン社

 

 つまり、筋肉は何歳からでもつけられる。

 筋肉は年齢にかかわらず成長する。この事実が、「筋肉は裏切らない」という言葉の根拠だ。

 ・・・

 ・・・

「筋肉は、僕はいちばん身近な宇宙だと思っているんです。目に見えない空気や酸素は解明されているのに、すでに自分が持っている、しかも目に見える筋肉が、科学的に解明されていない。まさに筋肉は宇宙です。そもそも筋肉は分解してエネルギーに換える因子が多く、量をむやみに増やさないようにできている。でも、ある環境を整えたら、年齢にかかわらず筋肥大するという秘密の匣を神様がとっておいてくれた。このブラックボックスを僕は開けてしまったから、中身を掴むしかない、そんな心境です」

 ・・・

「筋肉はお金ではけっして買えない。現代社会ではお金は万能に近いのかもしれないけれど、筋肉はけっしてお金では手に入れられないんです。しかも、どんなに稼いだとしてもお金や物欲には限界がある。いっぽう、筋肉は無限です。この先どのくらい筋肉が増えるのかなと思うと、十年後、六十八歳の自分が楽しみでさえある。だれもがそんなふうに平等に思えるものは、僕の知るかぎり筋肉しかないんですよね」

 

P358

 とても好きな小説の一場面がある。『我が友、スミス』(石田夏穂著 集英社)。二十九歳の女性会社員の「私」が筋トレに打ち込むうち、ひょんな成りゆきからフィジークの大会を目指すことになる。

 

「腕立て伏せの間、私の胸には奇妙な感慨が芽生えた。多幸感とでも言おうか、私は、自分は幸せだと感じたのである。気の済むまで、誰にも邪魔されず、自分の身体を鍛えられること。それだけの時間と、金と、環境と、平和と、健康な身体が、私の手中にはあること。つまり、私は例えようもなく自由だということ。この瞬間がどこまでも続けば、私は何も言うことはない。そうした多幸感が筋トレ中に湧き上がるのは、これまでにも何度かあった。何やら突然の悟りというか、天からの啓示のように、私は今の状況を、掛け替えのないものだと感じるのだ」