ひとり出版社の代表者や、出版に関わりの深い人々の声を集めた本。
あの本はそんな思いの出版社から出ていたんだな~など、興味深い内容でした。
P165
ゆめある舎・谷川恵
あるときから小さなブックカフェや雑貨屋さんなど、雰囲気のいい店できまって目にする。一冊の美しい本があった。タイトルは『せんはうたう』、詩は谷川俊太郎、絵は染色や装画で活躍する望月通陽。・・・
谷川恵さんはふだん、音楽家、谷川賢作さんのマネジメントオフィスを妻として支えている。・・・詩人の谷川俊太郎さんは義理の父にあたる。・・・
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―きっかけは、賢作さんの楽譜集『歌に恋して』の制作にあたり、大ファンだった望月通陽氏に表紙の絵を依頼したところ、六一枚もの絵が届いたことだった。
恐る恐るお願いして「いいよ」と引き受けてくださったんですが、しばらく連絡が来なくて心配していたんです。そうしたら「いやあ、僕、描けて描けて描けちゃって」と望月さんからお電話があって。「恵さんの好きに使っていいですよ」と、新幹線に乗っている間に描き上げたという、スケッチブック一冊分の絵が届いたんです。表紙の一枚だけのために六一枚も描いてくださって、残りの六〇枚があまりにも素晴らしく、表紙が決まったあとも気になって仕方がなくて。ずっとスケッチブックを眺めていました。
―「これに俊太郎さんの詩がついたら」と夢がふくらんだ。そこから先は「身内の強み」という恵さん。・・・
初めは、書きおろしという図々しい気持ちはなかったんです。俊太郎さんの詩には音楽的な詩がたくさんありますから、そのなかのいくつかを絵と組み合わせて、掲載許可をいただこうと考えていました。ところが、俊太郎さんまで「書けちゃった」と言うので、これは大変なことになったと。届いたテキストにはひとつひとつの絵にあてた言葉が、もう揺るぎない作品としてありました。「ああ、天才とはこういうことなんだ」と深く感じ入ったんです。お願いしたことに対していいものが返ってくるだけではなく、予想もしなかったもっと大きなものが返ってきたことで、「ああ、谷川家の嫁でよかった」という気持ちとともに、「ちゃんとした本のかたちにしなければ」という責任を強く感じました。それが出版社を立ち上げる原動力にもなりました。
―企画を考えついた当初は、どこかの出版社に持ち込むつもりでいたのが、本のイメージがどんどんふくらんだ。どこまでも自分の手でやってみたい。募る想いが勢いとなって、俊太郎さんの原稿が届いた二日後にはデザインを依頼。デザイナーの大西隆介氏(direction Q)とはほとんど面識がなかったが、娘が知り合いだった。その翌日には美篶堂の上島明子さんを訪ねている。こちらは妹の友人。依頼を受けた上島さんは、親方(美篶堂創業者・現会長)をはじめ、工場のスタッフ全員に「なにがなんでも」「無理してもやりたい」と伝えたという。恵さんの熱意は、上島さんの感激を通して製本現場の隅々にまで共有された。
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本当は布張りにしたかったんです。でも、俊太郎さんに「二〇〇〇円でお釣りが出る本にして」とはっきり言われたので、それが縛りになって本体価格は一八〇〇円。・・・
―手製本で気になるのはコスト。少部数で価格を高くするなら、いくらでも贅沢なつくりにできるが、二〇〇〇円以下となるとそうはいかない。初版は最低二〇〇〇部は刷らなければいけなくなった。「詩で食べていく」という難題を乗り越えてきた一流の詩人は、助言もまた一流だった。読者の手にとりやすい価格にしたことが功を奏し、本の世界には珍しくリピーターが続出したのだ。
ひとり一冊ではなく、ひとりの方が二冊目、三冊目をプレゼントとして再購入いただけるのが、さらにうれしいことです。暮れにも一般の方から、お年賀用にまとまった数の注文をいただきました。・・・俊太郎さんには「原稿料はいいよ」と言われていたのですが、幸い二刷、三刷と版を重ねることができたので、印税はきちんとお支払いいたしました。・・・
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―「突っ走ったわりには、すごく緻密ないい仕事でびっくりした」と義父の俊太郎さんも喜んだ『せんはうたう』は、日本タイポグラフィ年鑑二〇一四エディトリアル部門で、ベストワーク賞を受賞。・・・
夫の仕事でCDやブックレットをつくるのを、手伝ってきたのが大きいと思います。・・・
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―ふだん夫の会社の仕事では、納期とコストばかりを気にして、CDなどの制作時も「ちょっと待って、それはいくら?」と水を差す役まわり。人もうらやむ文化系セレブと思わせて、やはりそこは自営業者の妻である。ちなみに簿記二級。取材の冒頭「最初に私は大事なことを言わなくては」と話しはじめたのも、自身が「出版で生計は立てていない」という内容だった。
ゆめある舎は原価率の高い本を出していますが、私の場合、夫の会社の経理の仕事が本業です。従業員としてのお給料を貯めてゆめある舎をはじめたので、なんとかなっているんです。仕事場も自宅ですから、かかる経費は本の原価に関わるもの、送料、接待交際費、ホームページの運営費程度。若い方が自分で事務所を借りて、出版で稼いでいこうというのはね……。
―そう言って、若い人への影響をしきりに心配する。・・・
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―「タイミングでこうなってしまった」という恵さん。思い詰めたときのエネルギーに満ちたエピソードとは裏腹に、語りは肩の力が抜けた自然体。家族を助け、自分も助けられながら、やりたいことに向かっていく姿には、世代を感じさせないしなやかさがある。
自分でもあれよあれよ感がありますね。文学少女がブレずに出版を目指して行き着いた、というわけではなく、周りの人との関わりのなかで自分の生き方が決まってきた。自然体というとカッコいいですけれど、私も常に機嫌よく生きてきたわけじゃない。あたふたしながら、もっと働きたいと思ったり、もっと子どもの世話をちゃんとしてやりたいと思ったり、右往左往しているうちに、ふたりの子どもも大きくなっちゃって……。半分主婦で、半分自営業者みたいな時期が長かったから、主婦の気持ちも、働くお母さんの気持ちも両方感じることができました。世間ではすぐに、その人のいる立場をある枠で括ろうとしたり、例えば「公園デビュー」なんて言葉をつくって物事をパターン化しようとしたりする。けれども、実際にはいろんな人がいるし、ひとりの人間のなかでも、いろいろな境を行ったり来たりしている。もっといい加減でもいいのに、とは思いますね。女の人って自分の時間が細切れになりやすいから、「これはさせてもらいます」みたいなことが、ひとつはあってもいいんじゃないかな。その人がやりたいように。