仲野教授のこの座右の銘が効きまっせ!

仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!

 仲野徹さんのエッセイを読みました。

 この表紙の絵、なんかいい味出てるなぁと・・・

 

P30

Part of being a big winner is the ability to be a big loser.

(偉大なる勝者たるには、偉大なる敗者たれ)

 by エリック・シーガル

 

 今回は英語、エリック・シーガルの言葉である。といっても、今やその名は忘れ去られているような気がする。昭和四十六年に日本で封切られ大ヒットした「ある愛の詩」の原作者、といえば思い出される方もおられるだろうか。・・・

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 この後「There is no paradox involved. It is  a distinctly Harvard thing to be able to turn any defeat into victory.」と続く。「これは逆説などではない。どのような敗北をも勝利へと反転させることができる。それが間違いなくハーバード的なのである」といったところか。なにもハーバードの専売特許ではなかろう。誰だって勝ち続けることなどできるはずがない。負けた時にどう立ち直るかが大事なのだ。「負けるが勝ち」などというちょっと悔しさのまじった言葉より積極的なところが気に入っている。

 なんやねんそれはと言いたくなるが、驚くべきことに、わが妻の座右の銘は「不戦勝」だ。とことん運がいいのか、なにか問題が生じても、相手が勝手にこけてくれるように見えるから恐ろしい。経験上よくわかっておりますので、当然のことながら、できるだけ争いは避けて逆らわないようにいたしております、ハイ。その対極にあるのが、畏友であるミステリー作家、久坂部羊の亡くなられた御父君のモットーで、なんでも、戦わずして負ける「先手必敗」だったそうな。なんだか泣けてくる。

 世の中にはいろいろなタイプの人がいるから、勝ち負けの判断は意外に難しいかもしれない。・・・

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 失意泰然という言葉も今回の銘に通じるものだ。明時代の陽明学者、崔後渠による六然のひとつである。

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自処超然(じしょちょうぜん) 自分自身に関しては世俗にとらわれない
處人藹然(しょじんあいぜん) 人と接する時は藹々として楽しませる
有事斬然(ゆうじざんぜん)  事ある時は勇断を持って迅速におこなう
無事澄然(ぶじちょうぜん)  何もない時は心を澄んだ状態におく
得意澹然(とくいたんぜん)  得意な時ほど淡々と謙虚にふるまう
失意泰然(しついたいぜん)  失意の時こそゆったりとかまえる

 

 雨ニモマケズ風ニモマケズサウイウモノニワタシハナリタイ。

 

P45

『The Top Five Regrets of the Dying』(邦訳:『死ぬ瞬間の5つの後悔』新潮社)という本がある。著者のブロニー・ウェアはオーストラリアの看護師で、緩和ケア病棟の末期患者から聞いた話をまとめた本である。そのエッセンスは以下の五つ。

 

「他人に左右されず、自分らしく生きる勇気を持てばよかった」

「あんなに働かなければよかった」

「自分の感情をもっと表に出す勇気を持てばよかった」

「もっと友達といっしょにいればよかった」

「もっと自分自身を幸せにすべきだった」

 

 この本を読んだ時は衝撃を受けた。考えてみればあたりまえのことばかりである。周囲からどう思われてきたかはわからないが、主観的にはあまりできていなかったような気がした。以来、考えを改め、こういった後悔をしないように心がけている。必ずしもすべてできているわけではないが、今はかなりいい線だ。客観的には行きすぎと思われているかもしれないのがやや腹立たしいけれど、まぁそれは不徳の致すところである。

 

P190

 生きてるだけで丸もうけ

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 明石家さんまがこの言葉を座右の銘にしているのは、師匠である笑福亭松之助の影響が大きい。・・・

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 ・・・松之助師匠が生涯大切にしていた言葉がある。それは「人は生かされて生きている」と「急がず慌てず、あるがままに生きていく」というものだ。だからだろう、さんまの「生きてるだけで丸もうけ」という言葉は、松之助師匠との会話の中で浮かんだという。しかし、この座右の銘ができるにはいくつもの悲しい出来事があった。

 ひとつは最愛の弟の死である。十九歳という若さでの焼死であった。それも、火事の状況から自死ではないかという検分がなされている。その週は、当時爆発的な人気があったテレビ番組「オレたちひょうきん族」で、自ら考案したキャラクター「アミダばばあ」を登場させなければならなかった。大きな悲しみをこらえてお笑い芸人として生きなければならない状況に、さんまは大きく変わったという。ある種の開き直りだったのかもしれない。

 翌年には、これも大人気だったバラエティー番組「ヤングおー!おー!」以来、さんまと抜群のコンビネーションで笑わせ続けていた落語家・四代目の林家小染が亡くなった。三十六歳だった。酔っ払った小染が国道に飛び出してトラックに轢かれたのだ。さらにその翌年の一九八五年、祖父の音一が逝去する。むちゃくちゃに面白い人で、さんまは小さいころ、この祖父にお笑いのセンスを鍛えられたという。

 これら三人の死に加え、音一が亡くなった一ヵ月すこしあとに御巣鷹山での日航機墜落事故があった。いつも月曜日の羽田発伊丹行き一二三便に乗っていたのだが、自ら申し出たスケジュール変更で、一ヵ月前から日曜日の便を利用するようになっていた。その偶然のおかげで難を逃れることができたのだ。あまりのショックに、直後のラジオ番組ではなにも話さず、ひたすら音楽をかけ続けたという。

「生きてるだけで丸もうけ」、いかにも明石家さんまらしいあっけらかんとしたイメージがある。けれど、こういったエピソードを知ると、決してそのようなものではないことがわかる。相当に奥深い。