素敵なお友達

いつも私で生きていく (小学館文庫 く 15-1)

 岸恵子さんと兼高かおるさんと草笛光子さん。豪華メンバー過ぎます(笑)。

 

P139

 岸恵子さんとは、長いつきあいです。女優同士としての友情というより、普通の女同士としてのつきあいをしてきた、掛け替えのない女友達です。

 同じ横浜生まれで、学年は1年違いますが、女学校が一緒で、彼女も私も舞踊サークルに入っていました。

 芸能界に進む生徒はめずらしい学校だったにもかかわらず、同じころに、彼女は映画の世界に、私のほうは歌劇の世界に入りましたので、芸能界への入り口は違えど、一緒に育ってきたという気がします。

 お互いに忙しいし、いろんなことがありましたから、何年間も会わなかった時期もありますが、会わない期間がどんなに長くても、会って顔を見たら、「それでね」と、まるで先週の話の続きをするかのように、しゃべり始めます。

 普通、女優同士では、相手に聞いたり、言ったりしないようなプライベートなことを、彼女とはたっぷり語りあったものです。

 私の打ち明けた辛い話に彼女が涙を流したこともあるし、もちろん、その逆もありました。

「男の好みは全然違うけど、私たちに共通しているのは、金持ち面した男は嫌いだということね」

 なんて、笑いあったこともありました。

 性格は対照的かもしれません。岸さんは考えがはっきりしていて、それをちゃんと言葉に出す人で、情熱的で行動的。私は、考えや気持ちをうちに秘めて、あまり外に出さないタイプ。

 ・・・

 それにしても、人と人の関係というのは面白いものです。自分と似た相手なら理解できるというものでもないようです。

 ようは〝心の言葉〟が通じるかどうか。普通の女として、人間として、お互いを信頼して、胸のうちを見せられるかどうか。

 そういう女友達がいることは嬉しいことです。

 話の尽きない女友達といえば、兼高かおるさんも〝心の言葉〟で語り合える、得難いお友達です。

 ・・・

 年齢は兼高さんのほうが5つぐらい先輩ですが、余計な気を遣わなくてよくて、気も合うのです。

 自分自身はずっと東京で生活しているのに、なぜか私は、世界を旅したり、世界をまたにかけている人と気が合います。兼高さんがまさにそうだし、岸恵子さんもフランスで暮らしていた人だし、朝倉摂先生もしょっちゅう海外と日本を行ったり来たりしている方です。

 必要に迫られてとか、勉強のために行くとか、目的も事情もそれぞれですが、彼女たちは外国に行くと、胸も広がってホッとするような、ラクな気持ちになれるのよ、とおっしゃいます。

 縛られるのが好きじゃない。群れるのがイヤ。そういう気質が彼女たちに共通してあり、私は東京暮らしだけれど、気持ち的にはそういうところがあるので、〝海外組〟と気が合い、楽しいつきあいができるのかもしれません。

 ・・・

 若いときは、男性と女性の関係といえば、恋人か夫婦か、または、男女としての感情はぬきの気の合う仕事仲間、というふうにわりとシンプルに区分けができるものだったように思います。

 年齢を重ねると、そのどれにもあてはまらないようなつながりができることがあります。

 兼高かおるさんと、彼女の仲良しの男性の関係も、そんなふうな、どれにもあてはまらない、素敵な関係です。

 ・・・

「今日はね、このあと、もうすぐ彼が来るのよ。なにかおいしい食べ物を買ってきてくれるのよ」

 とおっしゃるのです。しばらくして登場したのが、40歳前後ぐらいの、スラッとした男性です。

 どうやら、仕事でつながりのある方らしいのです。仕事で一緒になることもあるし、けれど、仕事を直接していないときにも、時々、仕事場に顔を見にきてくださり、兼高さんが海外に旅行に行くというときに、空港までの送り迎えをしてくださったりするのだそうです。

 年下のボーイフレンドとか恋人、というのともちょっと違う感じで、ただの仕事の相手でもない。その方が兼高さんのことをとても尊敬なさっていて、彼女のことを大切に思われている。だから、お姫さまを扱うように接していらっしゃるのだなと、私には感じとれました。

 兼高さんが椅子から立ち上がるときには、脚をいためている兼高さんを気遣って、さりげなく、さっと手を差し出して支えていらっしゃる。その姿がなんとも、優しくて清潔感のあるジェントルマンな感じで、いいのです。

「いいわね」と私が言うと、兼高さんは、

「いいでしょ。外を歩くときは、ころばないように彼が手をつないでくれるの。ステッキがいらないのよ、だから、名づけて、素敵ボーイ」

「あっ、ステッキボーイね」

「ええ、そうそう」

 などと、話しました。

草笛光子さん

いつも私で生きていく (小学館文庫 く 15-1)

 あさイチ中谷美紀さんが出演された時、草笛光子さんがコメントを寄せていらして、ステキな方だな~と改めて思い、本を読みました。

 

P10

 毎朝、ストレッチをする前に、一杯のジュースを飲みます。小松菜、セロリ、キャベツ、にんじん、りんご、レモン汁をジューサーにかけ、バナナ、すり胡麻、きな粉、飲むヨーグルトをミキサーで混ぜた〝健康ジュース〟。ちょっと複雑な味だけど、おいしいです。

 新聞のコラムを読んで、飲み始めたのはずいぶん前のことです。私は「これはいい!」と思うと続けるたちで、気がつくと、飲み続けて、何十年にもなってしまいました。

 目覚めてすぐ、このジュースをいただいて、ストレッチをしたあとに朝食です。朝食にはなるべく野菜を食べるようにしています。

 週1度のパーソナルトレーナーとのトレーニングのあとは、トレーナーと一緒に、たっぷり食べます。筋肉を使ったあとはタンパク質を摂ったほうがいいということなので、肉や卵をしっかり食べます。

 トレーニングをするときは、粉末のアミノ酸を水で溶いたものをボトルに入れておいて、まめに水分補給をします。タオルで汗をぬぐいつつ、ゴクゴクとアミノ酸飲料を飲み、トレーナーと「ここの筋肉が足りないわね。ここを強化するには……」などとやっているときは、自分が女優という気がしません。なにかの運動選手、まるでアスリートなのではという気さえしてきます。

 健康によい食生活というと、時間は規則正しく、摂取カロリーを考えながら、好き嫌いなく、いろいろなものから栄養を摂るというのが理想的なのでしょうが、私の場合は、食事の時間はまちまちですし、ウナギやレバーは苦手、魚の光りモノもダメ、と食べず嫌いも多いです。カロリー計算のような、手間のかかることもしません。

 舞台に出ていない時期、仕事でそれほど体を使わないときは、気持ちもゆるんでいますし、好きなものを好きなように食べます。

 トレーナーに言わせると、その時期は〝放牧〟なのだそうです。とはいえ、食べ過ぎることはないように、頭のすみっこで、なんとなく、気をつけているとは思いますが。  

 そして、舞台が決まれば、稽古を始めるスケジュールが決まり、そこから日程を逆算して、体を徐々に絞っていきます。

 このようなおおざっぱながらもメリハリのある管理で、これまでさいわいなことに「困った!急いでダイエットしなくちゃ」なんていう事態になったことはありません。

 実は体重計には何十年ものったことがありません。体重計はどこへ行ったやら……。

 動きが軽いか重いか、体を触ってみて、お肉がたるんでいるかひきしまっているか、自分の感覚が〝体重計〟です。

 実際、〝放牧〟の時期など、おなかのあたりを触ると、おや?と思う分量のお肉がついていることもあります。

 鏡に全身を映せば、鏡もウソはつきません。体重を測るまでもなく、「これはマズい。明日からもうちょっと気を入れてトレーニングしなくては」という気持ちになるというわけです。

 健康ジュースと同じくらい長いあいだ、朝の習慣として続けているのが、ベッドの上での柔軟体操〝背伸び体操〟。これは何十年も前、ご一緒に舞台の仕事をした前進座の三代目中村翫右衛門先生から教わったことです。

 朝、目覚めたら、仰向けの姿勢で背伸びをします。足の指先から脚全体、手の指から腕全体もぐーんと伸ばします。それから、はぁ~っと脱力します。少しずつ伸びを大きくしながら、何度か繰り返して、背中も腰も固まっていないことを感じとってから、身体を横向きにして、ゆっくりと起き上がります。この横向きの体勢が、腰に負担をかけずに起き上がるポイントのようです。

 25歳のときに、外科のお医者さんから「あなたの骨盤は少しずれているから、腰には気をつけなさい」と言われた私ですが、慢性的な腰痛にもギックリにもこれまで無縁でこられたのは、寝起きの背伸び体操を続けてきたからではないかと思います。

ちょっと死んでみる

心身養生のコツ

 神田橋先生が患者さんにおすすめしている方法の一つに、「ちょっと死んでみる」というワークがありました。これはいいなぁと思いました。

 

P217

 うつ的な気分になったとき、死にたくなる人は多いものです。これは症状です。ですから、ここにも自然治癒力の表れがあります。それを活用するのが、『ちょっと死んでみる』法です。これはヨーガの死体のポーズの応用です。・・・仰向けに寝ます。このとき、掌を床に向けてください。掌と足の裏は同じ方向を向いているほうが体にとって『気持ちがいい』です。・・・

 そして、目を閉じて「わたしは死んだ」とこころのうちでつぶやきます。次に、死んだわたしの体から、皮膚や肉が溶けてゆき、大地に吸い込まれてゆき、きれいな白骨だけが残るとイメージします。そして、白骨をつないでいる靱帯も溶けて流れ、白骨はパラパラになるとイメージしましょう。ここで、「風が吹くと骨が揺れる」と「こころ」でつぶやいて、風が吹く代わりに、ごくかすかに体を揺らしてみましょう。そうすると、まだ皮膚や肉が溶けきっていない部分が感じられます。そこに注意を集中して、「溶けてゆく溶けてゆく」とイメージしましょう。

 全身の白骨がパラパラになったら、その状態を、一分でも五分でも好きなだけ続けます。このときも『気持ちがいい』が大切です。

 死んだ状態が続いたら、次に、「わたしは生まれ変わる」と「こころ」のうちでつぶやきます。まず手足の先から中心へ向けて、次々に骨がつながってきて、そして大地の中で浄化された肉と皮とが地からわき上がって骨を包みます。胸や顔のところで肉や皮が合わさって全身が完成したら、目を開きます。そして起き上がってください。どうですか。いま『気持ちがいい』なら、この方法はあなたに合っているのです。気が向いたときにしてください。

 考えてみると、死ぬことは、すべてを投げ出すことの極致、終極の『退行』ですね。この方法を寝る前にしてそのまま眠ってしまう人もいます。そして朝目覚めたときに、「生まれ変わる」をするのです。・・・

 

バリア再建

心身養生のコツ

ヘミシンクを聴く時の、準備のプロセスに似ていたので興味深かったです。

また「レル」と「ラレル」の違いについて、なるほど~と思いました。

 

P61

 どのような技術にも光と影があるものです。感知の能力を高め、ことに『センサーとしてのからだ』が上達すると、周辺のあらゆる事物を感知して反応してしまい、心身が落ち着かなくなり安らぎの無い日々になります。わたくしたちは原始社会のような自然の中で暮らしているわけではありません。なのに、わたくしたちの「いのち」の基礎構造は原始社会の人々とほぼ同じです。・・・原始社会の人を現代に連れてきたらほどなく健康を損なうはずです。身近なところでは、都会の人は限界集落のあたりに行くと癒され、田舎の老人は都会に出ると疲れ果てます。「俺たちゃ街には住めないからに……」です。その影響から「いのち」を守るために、バリアが必要です。

 また『対人緊張』で苦しんでいる人を観察すると、本人を包むバリアが消えている・薄れている、ことに気がつき、ボク自身も「感じる」トレーニングが上達するにつれて、バリアが消えていることに気がつきました。そして、一般の人々は二重・三重のバリアに守られていることにも気がつきました。手前から「皮膚の表面」「体表から二センチほど離れて身体を包んでいる繭状の鞘」「体表面から二十五~三十センチ離れて身体を包んでいる」「さらにその外側百センチほど離れて身体を覆っている」の四層のバリアを感知できます。ご自身で掌を離れた位置から体表に近づけると、掌を妨げる「何か」として感知できます。寝転んでいるときには当然、床の下にまでバリアは及んでいます。『センサーとしてのからだ』を駆使した後は、バリアを再生してください。やり方は四層のバリアをイメージするだけでいいのです。掌で皮膚を撫でるようにするとそこに意識を向けることができます。それで皮膚の表面のバリアは完成します。二層・三層・四層目も掌で確かめる動作で意識を向けることができ、意識を向けるとバリアが完成します。・・・

 

f:id:ayadora:20210905105658j:plain


 ・・・

 『バリア再建』が上手くできたら、・・・次の段階は、四層のバリアの間に「気」を満たす作業です。これは気力の余裕があるときにしてください。骨格から「気」が溢れ出て、皮膚を突き抜けてバリア相互の間の空間に充満してゆくイメージです。最後には第四層の外側にまで気が溢れます。そうなると、四層のバリアの存在感が薄くなり、濃厚な『気に包まれた身体』のイメージが作れるようになります。立っているときは、足裏からの気は床の中に染みこんでいます。寝ているときは、背中の気はベッドの中に染みこんでいます。・・・この『気に包まれた身体』は守りの身体にとどまらず、対人場面で「和して同ぜず、圧倒されず」の機能を持ちます。・・・

 

P69

 口に出すことなく、こころの内で『ラレル』という呪文を唱える健康法です。・・・始めは椅子に腰掛けて、『バリア再建』の姿勢で、目を閉じ、宇宙からのニュートリノの滝が絶え間なくバリアを貫き、体の全細胞が貫かれていることをイメージします。これで準備がととのいましたので、『ラレル』を繰り返してください。声に出すことなく、こころの内で唱えるのです。自分の好きなリズムで繰り返してください。次第に身体の力が抜け、頭頂から緊張が解けて、続いて首・肩と上から下へほぐれが進んで行くのが感じ取れたら成功です。・・・これが体験できたら、寝転んでも、歩きながらでも同じことができます。脳天から足先へ向かってほぐれが進みます。

 以上のやり方をマスターしたら、次の段階として、『ラレル』の呪文は自分の身体を作っている個々の細胞すべての合唱だとイメージしてみてください。さらに進めて、『生体を包む気』の分子も合唱に参加しているとイメージしてください。これで完成です。

 途中で『あくび』が出るなら大成功です。心身に鬱積していた邪気が体外に出る動きです。

 ・・・

 ・・・『ラレル』は特定の宗教に属さない祈りのコトバ、として開発しました。はじめは「帰依します」を思いつきましたが、「我」による選択・決意の雰囲気が強いのでやめました。次いで、受け身の姿勢の呪文化として「レル」を思いつきましたが、・・・次に『ラレル』をしてみると・・・滑らかです。恐らく「レル」には反発精神や被害体験の歴史の雰囲気が付着しているからでしょう。試みに『ラレル』のつく文言を思い浮かべてもらうと、受け入れの雰囲気が主で反発の雰囲気が少ないことに気づかれるでしょう。しかもこの受け入れには「いのちの裁量権」の参加が程よくあるのです。・・・

心身養生のコツ

 再開です(^^)

 この間、スターラインズhttps://www.aqu-aca.com/seminar/starlines/ 

に11年ぶりに参加してきました。

 面白かったので、後日ここにまとめたいと思っています。

 

心身養生のコツ

 さて、神田橋先生の本、とても興味深く読みました。

 このまえがきに「自分の状態が変わってゆくと、前には選ばなかった方の考えや方法が合うようになるのが普通なのです。いつまでも同じ方法が合うなんてことは少ないのです。」とあって、当たり前のことのようで案外わかってないことかもしれないと思いました。

 

P9(初版のまえがき)

 精神科医として治療をしているわたくしの担当患者たちのために、療養の手引きとなるパンフレットのようなものを作りたいと思いはじめたのは、もう二十年ほど前になります。治療とは結局のところ、生物としての自然治癒力を助けているだけであり、患者自身が自分の内にある自然治癒力と協力し、同時に専門家の助力と協力してゆくことが大切だ、と思ったからです。・・・

 ・・・

 いざ書こうとしてみると、とんでもない思い違いをしていたことに気がつきました。精神科の治療の現場には、確かなことがとっても少ないのです。ですから、すべての患者に向かって「こうしたらいいですよ」と助言することなどできないのです。精神科治療の実際は、一人ひとりの患者その人に合う治療や養生を探してゆく、手探りの作業なのです。

 ・・・

 だけど、患者の自助活動が大切だと考えるようになって以来、わたくしは、さまざまな助言や提案をして、患者とともに手探りで工夫してきました。そのなかには、わりに多くの患者に役立ったアイディアが溜まってきてはいます。・・・

「多くの患者に役立った」とは、すべての患者に役立ったわけではないという意味です。ですから、この本を読んでくださっているあなたに役立つかどうかを、ちょっと試してみて決めてください。そのために、第一章に「気持ちがいい」という確かめのためのセンスの持ち方・育て方を書きました。・・・

 ・・・

 ・・・専門家の考えと違っていたり、正反対だったりするかもしれません。そのような部分にでくわしたさいには、どちらが正しいのかと考えるのではなく、どちらが自分の「いまの状態」にとって役立つヒントになるかと考えて、できれば両方を試してみて選ぶようにしてください。しばらくして、自分の状態が変わってゆくと、前には選ばなかった方の考えや方法が合うようになるのが普通なのです。いつまでも同じ方法が合うなんてことは少ないのです。胃腸がわるくなった人は、軟らかで消化が良くて栄養の薄いものから食べ始めて、徐々に、歯ごたえのある普通の栄養の濃い食事へと移してゆくのです。その順序やスピードは人それぞれに合わすのが正しいのです。・・・

ゴミ清掃員の日常

ゴミ清掃員の日常

 ゴミ処理に詳しくなれる、役に立つマンガでした。

 こちらはいくつかあったコラムの一つで、こんな人生もあるんだなぁと。

 

P22

 僕は芸人をやりながらゴミ清掃員となったが、僕以外にも他に何かをやりながらゴミ清掃に従事する人達は沢山いる。舞台俳優、ミュージシャン、ボクサー、声優、映像クリエーターなどなど様々なジャンルの人達が働いている。

 ・・・先日驚いたことがあった。

 子供の頃から役者をやっているMさん(60歳)が、夢を諦めようかと考えていると聞いた。

 俳優歴50年を超える大ベテランに一体何があったのか?

 僕は興味を持った。スポーツ選手ならば身体の衰えをカヴァーしきれなくなって引退、芸人だったら「この歳でブレイクはないかな」とか「あの才能をまざまざと見せられ、しかもあいつが売れてないなら相当厳しいな」とか、自分に折り合いをつけ断念したりする。

 しかし俳優は、スポーツ選手と違いおじさんになったらおじさんの役、おじいちゃんになったら老人の役があるように、その人の年齢、顔、風貌の変化に応じて、カメレオンが同化するが如く次々と新しい棲みかを見つけていく職業だ。

 俳優を50年以上やり続けて、ここで断念するのならば、きっと深い理由があるに違いない。

 僕は自分の人生勉強の為にMさんに話を聞きに行った。

 僕がその歳になった時に何を思うか知っておきたいと思ったからだ。

「Mさん、役者辞めるって聞いたんですけど」

「ん?あぁ。そうそう。今迷っているんだよ」

「どうしたんですか?」

バナナの叩き売りの弟子にならないかって誘われているんだよ」

「へ?」

バナナの叩き売りの後継者がいねぇらしいんだよ。その師匠っていうのが87歳でこの先長くねぇからって、俺に弟子になれっつーんだよ。全国をバナナの叩き売りで回れば結構金になるらしいんだよ」

 僕が想像していた話とはかけ離れていた。

「人生のターニングポイントだよな?」

 60歳で弟子になるかもしれないとは本当に人生どこでどうなるかわからない。そんなことある?

 俳優とバナナの叩き売り、どっちの道に進もうか考える人生。

「お前どう思うよ?」

「僕の人生経験じゃ答えられねぇっす」

 

 ところで明日から一週間ほどブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^-^*)

美しいもの

女という生きもの

 大原扁理さんの本を読んで、少し前に読んだ益田ミリさんの、このエッセイを思い出しました。

 

P154

 大阪で会社員をしていた頃、仕事が終わるとたまに同僚の女の子たちと連れ立って映画を観に行った。行ったんだけど、どんな映画を観たのかをほとんど覚えていない。覚えているのは、終業前の給湯室でコーヒーカップを洗いながら、

「ね、なに食べるか決まった?」

「うーん、まだ迷ってる」

 映画館で食べるおやつについて語り合っている光景である。2畳ほどの給湯室の小さな窓からは、きれいな夕焼けが見えた。

 社内の清掃の仕事をする年配の女性がいて、わたしたち女子社員は「おばちゃん」と呼んで慕っていた。給湯室の掃除をしてくれているとき、よく一緒におしゃべりした。小柄な優しい人だった。取引先の人が持ってきた手土産の羊羹やカステラ。切り分けて3時のおやつに部内で配るとき、わたしたちはおばちゃんのぶんもこっそり取っておいたものだった。

 ・・・

 わたしが仕事を辞めて上京したあとも、おばちゃんとはときどき手紙のやりとりをしていた。いつもわたしの健康を案じてくれていた。何回か引っ越しをするうちに、いつの間にか便りは途切れてしまった。

 おばちゃんの仕事ぶりが今でも懐かしい。丁寧な働き方の人だった。給湯室のステンレスのシンクはいつもピカピカに磨かれていた。おばちゃんが洗って干したフキンは見るからに清潔で、それが夕日でオレンジ色に染まっているのを見るたびに、わたしは自分の一生で出会う「美しいもの」のひとつだと思った。