生きやすさ

いま、台湾で隠居しています: ゆるゆるマイノリティライフ

 こういう生きやすさがあると安心だな、こういう中で生きたいなと思いました。

 

P237

 生きやすさにもいろいろあるけれど、台湾の場合、まず生きていくうえでの指標がたくさんあるのではないかなあ、と思う。

 たとえば「お金」はひとつの指標として、とてもわかりやすいものですよね。

 もしもあなたがお店のオーナーで、経営がうまくいって繁盛したら、さらに利益を追求するため、営業時間や店舗を増やそうと考えるかもしれません。そういうお店ももちろんありますが、台湾には、そうじゃないお店もたくさんあるんです。

 超行列のお店や屋台でも、本店営業のみ。その日の分を売り切ったら、閉店時間前でも早々に店じまい、みたいなところはザラ。・・・

「お金」だけが基準であるなら、こういう風景はありえないと思う。

 一日の仕事を終えたら、あとは家族や自分、友人との時間を大切にする。台湾人にとっては、そういうのもまたひとつの大切な形なんですよね。

「お金」だけが人生の基準じゃないとき、他にいくらでも生きていきようがある。すると、社会に隙間というか余白というか、余裕が生まれます。

 電車内で年寄りや妊婦さんや、杖をついた人がいれば誰かが必ず席をゆずるし、道で人が転んだり事故ったりしたら、周りの人がわらわらと手を貸しに集まってくる。

 ・・・

 ・・・台湾はそういう豊かさを目指している社会なんだな、というのが、街の風景から感じられます。

 ・・・

 あと、物質的なことでいうと、インフラが整っていて生きやすい。

 飲料水、公共Wi-Fi、そして公共の場に必ずある、スマホの充電スポット。・・・

 それから街なかに座れる場所がすごく多いですね。多すぎて、座る尻が足りん。

 これはほんの一例ですけど、つまりお金を使わなくても、誰でも居ていい場所がたくさんあり、そしてなんとかやっていける。

 ・・・

 台湾社会には、「どんな人も、居ていい存在である」という共通認識のような気分があるんです。

 排除されないこと。これって人間的インフラともいえるんじゃないかな。

 知ってる人も多いと思いますけど、先に紹介したデジタル担当大臣のオードリー・タンさんって、元は男性として生まれたんですが、現在は性別を超えたトランスジェンダーとして生きています。

 トランスジェンダーって、まだまだ圧倒的少数だと思うけど、それが台湾で生きていくうえでまったく社会的ハンディキャップになってない。それはタンさんが若き天才だから特別なわけではなく、天才もアホも金持ちも低所得者も同じように、はぐれ者にされることがないんです。

 かくいう私も性的マイノリティというか、LGBTQのジェンダー分類でいうと「G=ゲイ」に当たるんですが、台湾に住んでてそれで困ったことは一度もない……どころか、台湾でわざわざ「ゲイ」って表明する必要がない。表明したところで「あー、そうなんですね」で終了。だって存在してて当然だから。

 ・・・

「台湾のいちばんの名物は台湾人である」と先に書きましたが、ためしに私が観光旅行で初めて台湾を訪れたときのことを思い出してみると、やっぱり、思い出すのはグルメよりも観光地よりも市井の台湾人。

 ・・・道すがら、バイクに乗った犬を写真に撮ろうとしたら、そんな私に気がついて、撮影しやすいようにわざわざ近くまで来てバイクを一時停止してくれたやさしいおばちゃん。

 萬華でサンダルを買おうとしたとき、「父親が日本語世代だったから」といって日本語で話しかけてきて、私が希望するサイズや色を、お店に通訳してくれた人のいいおじさん。

 淡水駅のロッカーの前で使用説明書とにらめっこしていたら、5分くらいかけて慣れない英語で丁寧に手とり足とり使い方を教えてくれた親切な青年。

 そんなことばっかり覚えてる。

 ・・・私が覚えている人たちは、お店の人じゃなくて、ただの通りすがりの台湾人。私に親切にしたところで、何の得にもならないはずなんです。

「あの人、困ってるのかな?」とか、「台湾に来たら、楽しい時間を過ごしてほしい」とか、思うよりも先に体が動くような自然さで。なんだかものすごくいい風が吹き抜けたみたいな後味を残して去ってゆく。

 ・・・

 私は結局のところ、日本だったら完全無視される路傍の人々が、台湾ではフツーにイキイキ生きているようすに惹かれていたんじゃないかという気がする。大げさに言うとヒューマニティみたいなもんを、私は道端で毎日目撃していたんだと思う。

台湾で隠居

いま、台湾で隠居しています: ゆるゆるマイノリティライフ

 大原扁理さんの台湾隠居生活報告。人のあたたかさが伝わってきました。

 

P169

 台湾にも路上生活者はいます。

 台北だと、台北駅の駅舎をぐるりと囲むように、いつもたくさんの人が段ボールなどを敷いて、寝泊まりしています。女性の姿もちらほら。なかには、夫婦かな?と見える男女二人組も。考えてみたら、マイホームが台北駅から徒歩0秒ってすごいな。

 街中で、路上生活者にお金や食べ物を渡す人も、日本より頻繁に見かけますね。

 そうするとどうなるかというと、自分も路上生活者に何かをあげる心理的ハードルがぐーんと下がるんですよね。みんなやってるし~、みたいな。

 というか、私は日本でもたまに食べ物をあげたりしていたんですが、なんかどうも日本では、こういまひとつサッパリといかない感じがしていました。

 ひとつには、世間の無関心と、自己責任的な風潮が混ざってできた深い溝のようなもの。あれを越えていくのにまず若干の心労が発生。

 そしてもうひとつには、路上生活者のみなさん自体が、食べ物を渡しても、もう感情が起動しなくなっちゃってる、というのかな。人間が本当につらいときって、感情をOFFにしないと、いちいち泣いたり、反応してたら心がもたない。でも、「無感情・無表情」がデフォルト、という状態に一人の人間が行きつくまでに、どんなことがあったのかと想像すると、なんとも悲しくなってしまうんですよね。

 なかには、「こりゃどうしようもねーな」っていう人もいると思うけど、私が目撃した台湾の路上生活者に限っていえば、感情を捨てていないというか、むしろそこらへんの無表情な日本のサラリーマンより感情が豊かかもしれません。

 私は日本に一時帰国する際、彼らに食べ切れなかったフルーツなんかをあげてから空港行きのバスに乗ることにしています。

 余ったバナナ片手に、台北駅からバス乗り場へつづく東出口を出ると、すぐそばに、地面に段ボールを敷いた、黒いニット帽のおばちゃんを発見。

 サポートしてくれる人がいるのか、髪もばさばさというわけでもなく、頬の肉付きもよく、栄養が足りてる感じ。靴もちゃんと履いていた。外見は意外とふつう。

 で、バナナの房を差し出して、「みんなで分けて食べてね」って周りの路上生活者たちを指さしながら渡すと、花が咲いたみたいなはじける笑顔で「謝謝~!」って爆裂感謝が飛んできました。

 私がちょっと離れて振り返ったら、手なんか振っちゃって。ほんとにかわいくて、笑顔がこっちまでうつっちゃう、みたいな。

 ・・・

 また別の日。

 取材の仕事があり、たくさんいただいて食べ切れなかったお弁当を抱えていた私は、駅前に向かいました。ここには、いつも『BIG ISSUE』を売っているおじさんがいるのです。

 ・・・

 ・・・「これ食べてね」とお弁当を渡して去ろうとしたんです。するとおじさんが私を引き留めました。

 何かと思ったら、「お礼に」といって、最新号の『BIG ISSUE』をくれると言うんです。

 大事な売り物を!

「そういうつもりじゃないので」と言っても頑として譲らない。

「じゃあお金を払わせてください」と言っても断固拒否。

 台湾に暮らしているなら考えなくてもわかる、お弁当なんてひとつせいぜい100元程度。そして『BIG ISSUE』も、一部100元。

 ああこれは、このおじさんの、「自分はもらわない人間になるんだ」という意志の発現であるのだな、と私は受け取った。これは尊重しなければと思い、一部もらうことにしたのでした。

 ・・・

 ・・・立ち去りながら、日本だと路上であんな人間っぽいふれあいにはなかなか出会えないなーと思いました。

 

異国のことわざ

たぶん一生使わない? 異国のことわざ111 (イースト新書Q)

 たぶん一生使わない?と言われると、気になって手に取りました。

「馬の耳に念仏」が、アフガニスタンでは「ロバにコーランを読む」になるとか、「人事を尽くして天命を待つ」が、トルコでは「ロバをしっかり繋げ、後はアッラーに任せよ」になるとか、「棚からぼた餅」が、インドネシアでは「落ちてくるドリアンを手に入れる」になるとか、面白かったです(笑)。

 

P76

 ことわざは世界中の言語にある。個別の言語に特有なことわざがある一方で、同じような言い回しのものがあることから、ことわざは世界の共通語との見方もされている。ここでは日本の「朱に交われば赤くなる」と同義のことわざが世界でどのように表現されているか調べてみることにしたい。・・・

 まず「犬と眠ってノミといっしょに起きる(英語)」「犬小屋で眠る者はノミにまみれて起きる(ポーランド)」や、これとほとんど同じものがもっとも多い。ヨーロッパ全域に広く見られ、なんと17例もあり、同義のもののなかでも全体のほとんどを占める。・・・

「腐ったリンゴ1個でリンゴの山を腐らせるに充分(フランス)」など、リンゴの例は東西ヨーロッパの7例とメキシコを合わせて8例あり、2番目に多い。

 3番目が、「狼に付きあえば吠え方も教わる(スペイン)」のように、狼が用いられたもの。西北ヨーロッパと中米を合わせて7例ある。

「鍋にさわればすすで手が汚れる(フィリピン)」「土鍋に近づけば黒くなりやすい(チベット)」のように鍋の例はアジア圏にだけ見られ4例ある。

「朱に近づくものは赤くなり墨に近づくものは黒くなる(中国)」は、日本のものの元になったことわざでもあり「朱に交われば赤くなり、藍に交われば青くなる(チベット)」のような朱や墨の顔料・染料などを用いた例が東アジアに3例ある。

 この他に動物では、牛、ヤギ、ラバ、ロバ、ライオン、虎。鳥では白鳥、カラス、サギ、ワタリガラス。植物では麻、ブドウ、ウリ、ココナッツ。さらに金や鉄、なかには暖炉とか粉ひき所などの例もある。もちろん、善人悪人、病人、猟師、鍛冶屋、なめし皮屋もあれば会話、交わりといった抽象的なものもありじつに多様だ。たとえの総数は85例に及び、一字一句が同じではなく、地域的な特色などを踏まえた表現が文字どおり世界中に見られる。なかでもユニークな例として「池の中で夜を過ごせば蛙のいとこになって目覚める(アラビア語)」を、締めくくりに挙げておきたい。

 

P84

 オオカミとトナカイは同じ群れにはいない

 シベリア・ヤクート族

 

 トナカイはシカ科の動物。北極地帯を中心に棲息し、ユーラシア大陸北部からロシア、シベリア地帯では家畜として飼育される。人類がもっとも古くに家畜化した動物とされる。・・・

 トナカイの天敵はオオカミだから、一緒に行動することはない。ことわざの意味は、同じような性格のものは集まるということ。日本の「類は友を呼ぶ」にあたる。

 この意のことわざは世界中にあるが、地域によっていろいろに表現されている。「セミセミが、アリはアリが愛おしい(古代ギリシャ)」「ザリガニは蟹に味方する(韓国)」「羊は羊の群れ、山羊は山羊の群れ(ネパール)」「鳩は鳩どうし、鷹は鷹どうし(ペルシア語)」「サイ鳥にはサイ鳥、スズメにはスズメ(インドネシア)」「カラスはカラスの脇にとまり、類は類を求める(チェコ)」「鯉は鯉を呼び、スッポンはスッポンを呼ぶ(中国)」などがある。

 

P160

 旨いものには耳が揺れる

 ケニア・キクユ族

 

 美味しい物を食べると感嘆のあまり体がのけぞり、耳たぶにつけたイヤリングが揺れることを指す。

 キクユ族のイヤリングには、長いもので5センチくらいの紐の輪がぶら下がるものがあり、傍目ではイヤリングが耳の一部となって揺れているように見えるという。

 日本のもので言えば「頬が落ちる」「ほっぺが落ちる」「頬っぺたが落ちるよう」などに相当する。・・・古くは「頤が落ちる」「あごが落ちる」と言っていたものの、こちらも今は見聞きしなくなっている。

 

 

 

再会

恋するように旅をして (講談社文庫)

 角田光代さんのエッセイ、面白く読みました。

 こちらは、こんなことあるんだ~と驚いたエピソードです。

 

P138

 ・・・スリランカのアヌラーダプラは小さいけれどずいぶんにぎやかな町で、町のはしっこにバスターミナルがある。バスターミナル周辺は安くておいしい食堂が多い。・・・

 ・・・あるとき、畳一枚ぶんほどの入り口の、強い陽射しにさらされすぎて白っちゃけた外の光景を眺めてチキンカレーを食べていたところ、見覚えのある何かが入り口の向こうを横切って、私を落ち着かない気分にさせた。見覚えがあるといっても、たとえばドラえもんとかミッキーマウスとか、すぐに名称が出てくるようなものではなくて、そう考えると見覚えがあるのかないのかもはっきりしないような何か、それでこちらの注意をひく何かでしかなくて、なんとなく気持ちがざわめいた私は残りのカレーを大急ぎで口の中につめこんで勘定をすませ、とりあえずおもてへ出てみた。

 土埃の舞うバスターミナルには何台もバスが停まっており、そのなかのいくつかには乗客がすでに乗りこんで発車を待ち、もっと人を集めたい乗務員が八百屋を思わせるだみ声で行き先を叫んで客引きをしている。あたりを見まわしてさっき視界を横切ったものを捜すと、意外にかんたんにそれは見つかった。

 道の端に停められた古ぼけたバスで、車体に大きく「フレンズ幼稚園」と、日本語で書いてある。白地に緑の線、ピンクの色のまるのなかにうさぎと象の絵、フレンズ幼稚園の文字の下には電話番号。

 コロンボでもキャンディでももっと田舎の町でも、こうして日本語の書かれたバスはよく走っていて私をびっくりさせる。「郷土料理と温泉の 石塚旅館」だの「カントリークラブ なめかわ」だの「山石工務店」だの。横浜市川崎市の市バスも走っている。

 しかし見覚えがあるのはそこに書かれている日本語ではなくて、そのバス自体だった。白地に緑の線と、うさぎと象の絵と、フレンズ幼稚園と書かれたそのバスに、たしかに二十九年前私は乗っていたのだった。電話番号の局番が生まれ育った家のそれと同じだから間違いない。アヌラーダプラの町の片隅に停まっているのは、かつて私が乗らされるはめになったバス、そのものだった。それに気づいたとき、両頬を思いきりたたかれたような気分がした。・・・

 私が年を重ねたぶんだけ、バスの内部も古び、くたびれ、汚れていた。・・・けれど、すべての窓を開け放った、がらんとしたそのバスの真ん中に突っ立っていると、まるで水道の蛇口を思いきりひねったみたいに、こまごまと断片的な記憶がとめどなくあふれ、飛び散り、そうしながら秩序だって場面や光景を鮮明にかたちづくり、頭から爪先まで私をひたした。

市原悦子さん

ひとりごと〈新装版〉

 20年前に初版された本の新装版が目にとまって、読みました。

 印象に残ったところです。

 

P163

 私の稽古好きは、自他ともにあきれるほどです。

 ある稽古の最中に「私、この芝居、ずっと稽古だけして本番がないといいわ」と言ったの。その時、共演者は「ええっ、かんべんしてくださいよ。稽古は適当で本番をやりたいですよ」って、あきれてました。

 どうしてそんなに稽古が好きなのか、ちょっと考えなければいけませんね。まあ、稽古は冒険ができて、新しい表現に挑戦できるから。お金をもらっている責任がないから。約束ごとを守らないで自由に動けるから。その魅力はいろいろあります。

 でも、もう一歩ふみ込んで稽古好きを考えてみると、その正体は「遊びをせんとや生れけん、戯れせんとや生れけん……」(梁塵秘抄)、この歌のもうし子であったのです、私は。生涯遊んでいたいんです。

 そこには初日もなければ新聞記事もない。お金も名誉も計画も努力もない。すてきな仲間と歌って踊って、いつまでも遊んでいたいんです。私にとってお芝居は遊びでありました(笑)。

 

P202

 食べることができて、眠ることができて、そして排泄ができれば、もう、いうことはない。そして、朝、決められた時間に遅れないで仕事場に行ければ、最高だと思います。

 

P211

 日系移民一世の森さんを、ジャングルの奥地に訪ねました。森さんはアマゾンの無人島に上がって、居を構え、森を切り開いて、ガラナ畑をつくりました。畑は数年で、大地の栄養を吸いつくしてしまって、作物ができなくなるそうです。そこでまた、その奥を切り開いていく。家から歩いて延々と二十五分の道のりを、森さんは開拓しました。ものすごい仕事量。すごい歴史ですね。

 森さんいわく、「これはバカでなくちゃできません」、「六十三年かかってやったんだから、できますよ」、「ここしか私の生きる道はなかったから」と、こんなことをサラリとおっしゃるの。

 森さんにそう言われて考えると、何か共通するものが見つかった気がしました。私もお芝居をするのに、稽古、稽古と続けて、やっと人の心に、ちょっぴり残るものができるわけです。それを一生かけてやっている。みんなコツコツ、コツコツやっているんだなあと思って。森さんの言葉がそんなふうに響いてきました。

 巨大な自然とちっぽけな人間の営みがいっしょになって、すごく気持ちが落ちつきました。

 

P215

 おかげさまで、長く続いている舞台も、番組もありますけど、いつの間にか続いているんです。もちろん、多くの人に見てもらいたいとは思うけれど、あまりに頑張ろうとか、目標達成のためにというのはないですね。

 ただ、マンネリズムというのがいちばん嫌いです。お仕事も、生活も。「いまを生きる」ということを大切にしたい。自分の引き出しだけで勝負を繰り返すというのが、いちばん嫌いです。

 もちろん、引き出しは、いつもたくさん持っているほうがいいけれど。それをそのまま持ち出して使うのではなくて、さらに新しくするとか、掛け算をして示すとかしないと。やはり安定したものは、壊したくなります。

 こうして、思いつくままにおしゃべりをしてきましたが、気がつけば私は、何よりも〝自由に遊ぶ〟ことに夢中になっています。戦後の食糧難時代に、木のぼりをして股旅ものをうたっていたのも、中学時代、演劇クラブで明け暮れたのも、養成所の三年間も、劇団俳優座で、お芝居におぼれて、まみれて、ひたっていたのも、そして現在の稽古好きも、みんな同じように遊んでいた私がありました。

 多分これからも、夢中になれる戯れをさがして、いつでも遊んでいたい、自由がほしいと、鼻をきかせて生きていくでしょう(笑)。

信頼し、明け渡す

運命の法則 文庫版

 運についてのお話のつづきです。

 

P190

「運命は変えられるか?」という問いに、算命学は、「宿命は変えられないが、運命は変えることができる」と答えている。

 しかし私の答えはそれとは少し違う。

「運命を変えたい」という表現のなかには、「いい運命」と「悪い運命」を区別する考え方がある。・・・

 しかし、よく考えてみると、いったい何をもって「いい」と「悪い」を区別しているのだろうか。

 人生の目的が富や地位、あるいは名声であるならば、それを手に入れたときが「いい運命」で、そうじゃない場合が「悪い運命」だったということができるだろう。

 しかし、人間的成長、つまり意識の成長・進化を目指している人にとっては、このようなものはかえって邪魔かもしれない。・・・

 だから、崖から転落したことが「悪い運命」かというと、かならずしもそうではないだろう。それによって、自分の思い上がりに気付くことができれば、崖からはいあがったあとに、はるかに素晴らしい人生を送ることもある。・・・

 要するに、「いい運命」も「悪い運命」もないのだ。

 人生においては、一見すると、「好運」あるいは「不運」に見えることが次々にやってくる。だが、それを簡単に「いい」とか「悪い」とかいうふうに判別できるほど「運命の法則」は単純ではない。

 むしろ、・・・出来事はすべて中立で、それについて私たちが単に「いい」「悪い」のレッテルを張っているだけだと解釈するか、あるいは、いっそのこと、すべてが「好運」と割りきってしまうほうが生きやすいだろう。

 昔の人はそれを「人間万事、塞翁が馬」と表現した。まさにそれに尽きるのだ。

 ・・・

 第12章と13章で、「大河の流れ」について触れ、それが見えてくると人生がスムースになると書いた。

 ・・・

 それでは、「大河の流れ」が見えるのと見えないのとでは、いったい何が違うのだろうか。

 一番大きなポイントは、流れに逆らって泳がなくなるということだ。だから、他人からは、これといった努力もしていないのに上手に世の中を渡っているように見える。要するに、「大河の流れ」に逆らわない分、エネルギーのロスが少なくなるのだ。

 それと表裏一体になるが、はるかに重要なのが「ジタバタしなくなる」ということだろう。ある意味では、目的意識が薄れてくる、ともいえる。「なるようになれ」という感じだ。

 流れを信頼し、身をまかせてしまうのだ。・・・

 だから、「運命を変えよう」とも思わなくなる。身の回りに起こること、出会う人のすべてに感謝ができるようになっていくはずだ(私自身は、まだそこまでは到達していない)。

 ・・・

 あらゆる人に「好運」と「不運」の波は絶えず押し寄せてくるのだが、ある人はそれに乗って楽しくサーフィンをしているし、ある人は波に逆らって激しく泳いでいる。また、その波に溺れそうになっている人もいる。その違いは、「いかに宇宙や運命を信頼し、自らをあけ渡すことができるか」にかかっているといってもいい。

 ・・・

 どんな人でも、自分の運命と向き合い、運命と仲良くしようと決心した日から、新しい人生がはじまる。喜びの人生がはじまる。それでも、人生はすったもんだの連続であり、嫌なことはいくらでも起きるし、嫌な人とも出会う。好きな人と別れなければならない。欲しいものが手に入らない。思い通りに物事が進まない。それによってフラストレーションも感じるだろう。

 だが、運命と仲良くしていると、次第にそういう自分の人生を、まるで人ごとのように客観的に見ることができるようになっていく。相変わらず「好運」や「不運」に見えるものが次々に押し寄せてくるが、「好運」に出会っても有頂天にならず、「不運」に出会っても落ち込んだり嘆いたりすることが少なくなっていくだろう。

運命の法則

運命の法則 文庫版

 久しぶりに天外伺朗さんの本を読みました。

 とてもわかりやすい説明でした。

 

P129

 俗に、「運命に逆らうと、運命に見離される」ということがある。与えられた運命を従容として受け入れると、やがてつきが回ってくるが、それに逆らってジタバタあばれると泥沼にはまっていくことを指す。

 本当は、運命があなたを見離す、などということは絶対に起きない、と私は考えている。運命は常に味方なのだ。

 だから、流れからはずれると、それを親切にも教えてくれる。「運命の流れと違う方向に泳いでいるぞ」と、わざわざシグナルを発してくれるのだ。そのシグナルは、何とはなしの居心地の悪さや、不快感、さらには人生が何となくギクシャクしてくることで表現される。一般的にいえば、「不運」な状態だ。

 しかし、一見「不運」に見えることが、すべて流れからはずれているシグナルとは限らない。ときには、信じられないような「好運」が、とんでもない「不運」の衣をまとってやってくることがある。・・・

 私の知る限り、不運はこの二種類しかない。つまり、流れからはずれたことを知らせてくれる親切なシグナルとしての不運か、とてつもない好運なのだが、一見すると不運という衣をまとっているかだ。

 ・・・不運に見舞われていて、自暴自棄になったり、ジタバタあがくことにより、泥沼にはまるケースはけっこう多いので、要注意だ。不運と上手に付き合うことは、ちょっとしたコツをつかめば誰にでもできる。本質的には、不運など存在しないと肝に銘じてしまえば、付き合い方が上手になってくるだろう。

 

P141

 一見すると、自己否定とうぬぼれは、正反対の精神状態に思える。かたや自らの存在を矮小化しており、もう一方は肥大化して認識している。

 しかしながら、より詳細に検討すると、自己否定の代償作用として、うぬぼれや思い上がりが生じていることがわかる。つまり、心の中での自己否定に耐えきれず、それを何とか補おうとしてうぬぼれが生じるのだ。

 それは、優越感というのが、劣等感の代償として出てくるのとまったく同じだ。英語では両方ひっくるめてコンプレックスという。コンプレックスに相当する適切な日本語はないが、心理学では「抑圧されたこだわり」のことをいう。その意味では、自己否定もうぬぼれも、「抑圧されたこだわり」から出てくる、と考えて間違いない。

 もう少しわかりやすい、一般的な表現を用いると、自分としての「軸」がぶれていなければ、自己否定も起こさず、うぬぼれることもない。そして、運命はその「軸」がぶれていることを、必ず教えてくれるのだ。