美しいもの

女という生きもの

 大原扁理さんの本を読んで、少し前に読んだ益田ミリさんの、このエッセイを思い出しました。

 

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 大阪で会社員をしていた頃、仕事が終わるとたまに同僚の女の子たちと連れ立って映画を観に行った。行ったんだけど、どんな映画を観たのかをほとんど覚えていない。覚えているのは、終業前の給湯室でコーヒーカップを洗いながら、

「ね、なに食べるか決まった?」

「うーん、まだ迷ってる」

 映画館で食べるおやつについて語り合っている光景である。2畳ほどの給湯室の小さな窓からは、きれいな夕焼けが見えた。

 社内の清掃の仕事をする年配の女性がいて、わたしたち女子社員は「おばちゃん」と呼んで慕っていた。給湯室の掃除をしてくれているとき、よく一緒におしゃべりした。小柄な優しい人だった。取引先の人が持ってきた手土産の羊羹やカステラ。切り分けて3時のおやつに部内で配るとき、わたしたちはおばちゃんのぶんもこっそり取っておいたものだった。

 ・・・

 わたしが仕事を辞めて上京したあとも、おばちゃんとはときどき手紙のやりとりをしていた。いつもわたしの健康を案じてくれていた。何回か引っ越しをするうちに、いつの間にか便りは途切れてしまった。

 おばちゃんの仕事ぶりが今でも懐かしい。丁寧な働き方の人だった。給湯室のステンレスのシンクはいつもピカピカに磨かれていた。おばちゃんが洗って干したフキンは見るからに清潔で、それが夕日でオレンジ色に染まっているのを見るたびに、わたしは自分の一生で出会う「美しいもの」のひとつだと思った。