鬱の時の悩みはみんな同じ、自分が悩んでるんじゃなくて、鬱の症状だということ、それが自覚されると、だいぶ違うだろうなと・・・実際に役立つことがたくさん書いてありました。
P150
われわれ躁鬱人は内省、反省ができないということは前にも言いましたが、鬱のときには内省と反省を繰り返します。一向にやめようとしません。
「なんでお前はこうなんだ、お前はダメだ、お前みたいなやつがいると迷惑だ、お前はもう消えた方がいい、お前は、お前は、もうこの世からいなくなれ、死ね」
ここまで自分に言ってしまいます。なぜならお前がダメだから、ではありません。まったく違います。だって、僕が書いてきたこと、あなたにも当てはまるでしょ?
つまり、まったく同じことを僕もあなたもしています。みんな同じです。
・・・みんな同じ嘆きです。同じ悩みです。はっきり言うと、個性がないです。笑ってしまうくらいに同じことを言うので、僕もついいのっちの電話で躁鬱人の鬱の嘆きを聞きながら笑ってしまいます。
・・・
僕も正直、にわかには信じられないですよ。僕が経験している細やかな心の動きすべてが、躁鬱人であるあなたとまったく同じだとは。まったく信じられないです。信じたくないくらいです。これって僕の個性だと思ってましたから。この世にたった一人しかいない僕の悩みだと思っていたんですよ。
・・・
しかし、実際は違いました。悲しいかな、みんなと同じだったんです。ただの躁鬱人の特徴だったんです。恐ろしいことに、悩んでいる口調、ポロリと漏らす一言までピッタシカンカンまったく同じだったわけです。
・・・
僕は年間2000人ほどからの電話を受けてます。今年でとうとう10年です。つまり2万人の死にたい人と直接電話でやり取りをしました。そして僕はある発見をしました。
それは「どんな人間も悩みは同じである」ということです。
・・・
それは、「人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる」ということです。
僕が電話を受けた多くは日本人ですので、もしかしたら、これは日本人特有の問題かもしれません。しかし・・・それ以外の悩みはありませんでした。
もちろん、人からどう見られているかと悩んでも、実際に見られるだけじゃ言葉はありませんから、その人が頭の中で勝手に言葉を作り出しているだけなんですね。
・・・
これからは、悩みとは言わずに、「人からどう見られているのかをむちゃくちゃ気にしている」と言い換えましょう。
・・・
つまり、それは悩みではなく、これまた体質なわけです。
・・・
僕がなぜ悩んでいないかは明白です。
なぜなら自信を持って人からどう見られているかを気にしているからです。これこそが人間です。人からどう見られているかを気にしているから、人に優しくすることができます。「人からどう見られているか気にしてしまう」ことの達人です。なんなら名人です。
P211
・・・カンダバシは、続けてこう言います。
「のびのびするためには、
今までやったことのないことに色々と手を出してみて、
あれもこれもとちょっぴりかじるだけがよさそうです。
そして合いそうな事だけをするようにしましょう」
・・・
非躁鬱人的言語の世界に生きていると、このように行き当たりばったりな行動しかできないことに悩んでしまうかもしれません。そんなあなたのために、カンダバシのとっておきの言葉を読んでみましょう。
「気分屋が基本気質ですから、
『気分屋的生き方をすると気分が安定する』という
法則を大切にしましょう」
そうです。気分屋です。・・・
・・・気分屋を身にまといながら好き勝手に思いつくままに、自分の関心領域を宇宙の端にまで広げるのです。飽きたらやめればいいだけです。それはあなたには必要のないことなんです。それでも他のことをやるだけであなたの体はラクになりますから、それだけお得ってことです。
カンダバシはヒントをくれます。
「コツはまずくだらない事を遊び半分でやることです。
価値のない事、無駄なことから始めましょう。
そうすれば中途で止めてもがっくり来ません。
価値あることをしてしまうと、
しんどくなった時に途中でやめられなくなるから、損です。
逆に無駄なことをどんどんやるのは、
治療に役立つから無駄ではありません」
・・・
・・・とにかく暇さえあれば無駄なことをして、どんどん脳みそに多様な風を送りこんでください。
カンダバシは注意してます。
「しようかと思った事をしないでいると
ストレスになります。
法に触れない事なら何でもしてみましょう」
「自分の気持ちが動いたものにフッと手を出す、
これが大事です」
・・・体が求めるままになんでもかんでもあっちフラフラこっちフラフラ、気分屋として、好き勝手に思うままに法にさえ触れなければなんでもかんでも気にせず好きにやってあげましょう。そうやって体に毎日、水やりをしてあげてください。