ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。

ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。: 解離性同一性障害の非日常な日常

 これまでに解離性同一性障害の方には何人もお会いしましたが、ここまでバランスを取れるようになったのは、すごいことだなあと、興味深く読みました。

 

P82

 洋祐も言っているように、少し前までは主人格のharuくんもわたしたち交代人格も混乱していたんです。haruくんが、なかなかわたしたちのことを受け入れられなかったから。彼からしたら自分の知らないあいだにわたしたちに時間を奪われて、なおかつそのときの記憶もなくしてしまうのだから、当然といえば当然です。しかも、そうやって記憶をなくすのは当たり前のことだと思っていたけれど、18歳のときに解離性同一性障害の診断を受けるわけです。誰だって「当たり前」だと思っていたことが「障害」だと知ったら焦るし、不安にもなりますよね。

 東京の高専に通っていたときも、haruくんは毎日登校しているのに、途中で灯真とかが出てきて勝手にどこかに行ったり教室を抜け出したりしていました。そうすると出席日数の問題になってくる。それもあって先生から受診を勧められたんですけど、haruくん本人は「自分は一所懸命学校に通っているのに、なんでいつの間にかサボっているんんだ」と自分のわからなさ、手に負えなさに落ち込んでいました。

 一方、わたしたちはわたしたちで、病院に行ったら交代人格はみんな消されてしまうんじゃないかと恐れていました。でも、幸運にもその病院の先生は解離性同一性障害に理解のある方で、わたしたちには「きみたちを消すことはしない」と、haruくんには「交代人格はきみを守るために生まれてきたんだよ」と言ってくれました。

 実際、交代人格はみんな優しかったし、主人格のharuくんを恨んだり嫌ったりする人格なんかひとりもいません。・・・

 ・・・

 わたしたちは裏方だから、当然、主人格を乗っ取ってやろうとか考える交代人格もいません。実は、乗っ取ろうと思えば誰でも乗っ取れるんです。それくらいharuくんは生きることに対して執着がないので、普通に「どうぞ」と明けわたしてしまうでしょう。それなのに誰も乗っ取ろうとしないのは、haruくんがいままで生きてきたおかげでわたしたちも存在していられるし、この先もharuくんが生き続けている限りわたしたちも存在し続けられるということをみんなわかっているから。

 haruくんは記憶がなくなってもいいし、鬱になってもいいし、自殺したいと思ってもいいんです。なにをしてもしなくてもいいから、生きていてくれさえすればいい。そうである限り、わたしたちが全力で支えるから。だから洋祐はよくharuくんに対して「生きてるだけで花丸」と言うんです。そんな関係性。

 

P104

 これまで話したように、haruは実年齢のわりには経験したことが多すぎて、そのぶん、キツい思いもたくさんしてきた。「思い」という表現が適切かはわからない。彼は自分が苦しんでいる理由がわかっていないし、もっと言えば苦しんでいることすらわかっていないこともあるからだ。

 haruは、交代人格がなにかアクションを起こしているのはわかっているけれど、なぜそんなアクションを起こしているのかはわからない。だから自分の意識のないときに勝手な行動をとられた、なんて最初は感じていたようだ。そのアクションは、自分の感情に起因しているのに。

 難しいのは、そのことに対して<きみがこう思っているからだよ>とharuに伝えると、それはそれで彼は病んでいくのだ。だからいつも遠回しに、<なにかモヤモヤしていることがあるんじゃないの?>とひとつずつ聞いていく。

 たとえば、haruが「学校に行きたくない」と思っていることを、haru本人に認めさせたいときはどうするか。haruは「灯真がどこかに行ってしまうから、自分は学校に行けない」と思っている。けれど、「灯真がどこかに行ってしまう」という状況を作り出しているのはharuであり、それがわかっていないのは彼本人だけなのだ。

 それを気づかせるために、ぼくか圭一が<今日はほかになにかしたいことがあったの?><学校を休みたくなった理由があるかも>などと彼に声をかけていく。すると、彼自身も自分の気持ちを探っていって、「ああ、僕も学校に行きたくなかったんだ」と初めて気づく。でも、まだその理由まではわからない。だから<いつから学校に行きたくなかったんだろう?><授業がつまらないのかな?><友達が嫌なのかな?><先生が怖いのかな?>とひとつずつヒントのようなものを与えながら、haruが自分で理由を見つけられるように仕向けていく。言ってみれば自問自答の「自問」の部分をぼくと圭一で担当する感じだ。

 その結果、彼にも徐々に思い当たるフシが出てくる。たとえば「授業とか先生とか友達というよりは、教室そのものの雰囲気が苦手。圧迫感があって入りづらい」「スクールカウンセラーにも相談したけど、どうにもならなかった。だからまた悩んで余計に行きづらくなった」といった原因を導き出せるようになる。

 ・・・

 ただ、そうやってぼくと圭一の声が聞こえているときはまだharuの調子がいいほうなのだ。本当に鬱状態になってしまったら、誰の声も彼には届かない。いまは薬を飲んでいることもあり、そこまでひどい状態になることはないけれど、以前はそうなることもちょくちょくあった。その場合は、とにかく休ませるしかない。それはharuをベッドに寝かせるという意味でも、起きているときは交代人格が彼の代わりに表に出続けるという意味でも。・・・

 

P134

 結衣ちゃんが言うように、なんだかんだでharuはポジティブなのだ。ぼくたち交代人格と比較しても、彼のポジティブさはずば抜けている。けれど、haru自身は自分のことを「生粋の自殺志願者」と言うのだ。たしかに、彼は小さいころから自分の存在というものに否定的な態度をとっていたし、いまでもうっすらとではあるけれど自殺願望がある。それには、記憶をなくし続けていることに対する負い目のようなものがあるからかもしれない。

 ただ、それでもharuは生きている。記憶をなくすせいで、自分の知らないあいだに自分の周りでいろいろなことが起きているけれど、それはサプライズだと捉えればいい。・・・

 ・・・性同一性障害解離性同一性障害ADHDという、自分の生きづらさの理由がはっきりしたときに「どうせ生きるなら前を向いて生きよう」とharuは思うようになった。死ぬことはいつでもできるけれど、もしやりたいことを見つけたときに死んでいたら、それができなくなってしまう。じゃあ、生きることを前提に考えようと。そうやって生きて、ぼくらを信頼してくれているからこそ、彼自身もぼくらの助けによって前を向いて生きている。