神田橋條治先生の「神田橋語録」
https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf
を元に、心身の調子をなんとかいい感じにもっていった経緯が書かれている本です。
窮屈にならず、のびのびすること。大事だなと思いました。
P14
なによりもその語録の中には、「~をしてはいけない」みたいなことがいっさい書かれていないんです。むしろ、そのような禁止をすることで「窮屈になるのがいけない」と書かれていました。そこで「窮屈」という言葉に出会ったんだと思います。とても納得がいく文章で、頭でわかる以上に、体がラクになる、力が抜ける、窮屈ではなくなる、つまり、のびのびとしてきました。
P26
さてカンダバシの言葉の1行目からインスピレーションを受けて長々と書いてしまいましたが、先に進んでいきましょう。
「(躁鬱病は)心が柔らかく傷つきやすい人たちに多いです。特有の滑らかな対人関係の持ちようは躁鬱病の証拠です」
はい、僕もすぐに傷つきます。本当にちょっとしたこと、友人知人のなにげない一言で傷ついてしまいます。・・・なんというか、躁鬱人に対してはなんでも言いやすいんですかね。「なんだかあなたは小学校の同級生みたいな感じで話しやすい」と僕もよく言われます。
これ自体はむちゃくちゃいいことだとは思うんですよ。ある集団の中で緩衝材になっているはずですから。
・・・
しかし、柔らかすぎるんですね。柔らかすぎて、ときどき、その境界のなさが極まるときがあります。・・・
・・・お天道さまくらいの視点で見たら、家族だろうが他人だろうが区別なしに、周囲でいちばん困っている人を助けるということは理にかなってます。だから、集団にとってはいい影響を与えるかもしれない。ただ、気づいたときには躁状態となり、さらには近しい人からの意見を聞くことができず(耳に入らないということはありません。むしろその逆でむちゃくちゃ耳に入ってきます。ところが困ったことに的確なアドバイスを足枷だと勘違いしてしまいます。だからこそ怒っちゃうんですね)、目が覚めたときには誰もいなくなっているということも起きます。
じゃあ、どうすればいいのか。
まずは灯台を決めておきましょう。どんなときでも声をかけてくれたらちゃんと耳に入れるという人を決めておくんです。家族だと近すぎるので、できるなら、家族ではない友人がいいと思います。
・・・
みなさんもぜひそれぞれの灯台を見つけてください。そういう人がいないんだよ、という人はすぐに09081064666に電話してください。とりあえず、仮押さえということで、僕が代わりに灯台になりますね。
P110
・・・今日は「鬱のときの過ごし方」について徹底的に考えてみることにしましょう。・・・今、僕は鬱ではありません。だから呑気に書いてますが、鬱になったら、とんでもない絶望の渦に飲み込まれて、僕も書くどころではなくなるし、部屋に一人でこもり、そして自分自身を際限なく責めてしまいます。慰めも効かず、自分でどうにか立て直そうとしますが、自動的に思考回路が常に悪いほうへ辛いほうへとばかり向いていくのですぐに心が折れてしまい、その結果、自己否定が止まらなくなってしまいます。
まずはカンダバシの言葉を読んでいくことにしましょう。ようやく1段落目が終わり、2段落目に入ります。最初の行から。
「不自由な状況に対して、
『しっかりしなければ』と耐えていると、
躁鬱の波が大きくなります」
われわれ躁鬱人は、完全に鬱になる前にカンダバシが指摘するように「しっかりしなければ」と考え始めてしまってます。もしくは「きちんとしなければ」という言葉を使う人もいるでしょう。・・・
鬱になる前にプレ鬱の状態があります。その兆候は「ちゃんときちんと語」を話しているかどうかを確認すればすぐに把握できます。
「ちゃんときちんと語」は躁鬱人の公用語ではありません。言うまでもなく、われわれ躁鬱人の公用語は「のびのび語」です。
・・・
・・・躁じゃなくなり、真ん中くらい、もしくはそれより下になっていくと、少しずつ「真面目にやらなくちゃ、ちゃんとやらないといけない」というモードになっていきます。このプレ鬱のときには、まだそれまでの躁状態がやりこなしてきた余韻が残ってるので、いろんな仕事が舞い込んではくるんですね。しかし実際にはプレ鬱に入ってきている。すると、微妙などっちつかずの状態になっている躁鬱人は「しっかりしないと」と考えてしまい、本当は横になっていたい、もしくは自信がないので断りたい、と思っているのに、その本音が言えなくなっていきます。そしてメールの返事などは遅くなります。躁状態のときはあんなに早かったのに、です。
こうなると「我慢」しはじめます。あの「わがまま」な躁鬱人が、です。「ちゃんときちんと語」を使うようになると、自然と我慢するようになります。わがままでいることが悪になります。・・・
カンダバシはこう言ってます。
「(躁鬱病は)体質ですから、
季節や天候(季節のサイクルや台風など)、お産や生理、
そして人間関係のストレスで悪くなります。
特に自分らしさや自分の長所が失われたときが要注意です」
まずカンダバシが躁鬱病は病気というよりも一種の体質だと冒頭に言ったことを思い出しましょう。・・・そして体質、つまりは体の特徴ですから、体の変化によって日々変動するんです。ここも重要です。
まず心よりも体に注目しましょう。なぜなら心は確認することが難しいです。・・・
・・・
「苦手なことでも克服しできるようにならないといけない」という「ちゃんときちんと語」が生み出した考え方は、鬱状態をこじらせることしかしませんので、ただ健康に悪いということを頭に入れておいてください。健康に悪いことを鬱状態にするのはやめましょう。せめて躁状態のときにしてください。
もちろん躁状態になったらなったで、ちゃんときちんとしようなどとはいっさい思いませんので、苦手なことからは自然とさっさと逃げるようになります。だから苦手なことは延々と克服されないんです。もう諦めて、さっさと次に進みましょう。
「苦手なことはいっさいやらない」
「克服という概念を捨て去る」
「できないものができるようになる、よりも、できることがもっともっとできるようになってむちゃくちゃ褒められるほうがいい」
こんな感じでいきましょう。