いのっちの手紙

いのっちの手紙 (単行本)

 

「・・・恭平さんは「いのっちの電話」の活動を続けながら、毎日膨大な文章を書き、畑で野菜を育て、パステル画を描き、ほかにも編み物をしたり水墨画や版画を手がけたり作曲したりと、おそろしく生産的な日々を過ごしています。不思議なのは、そのすべてが自然体で。無駄な力みや自己演出をまったく感じさせないことでした。なぜこんなことが可能になっているのか。これはもう、ご本人に聞いてみるしかない。」

 ということで、はじまった、斎藤環さんと坂口恭平さんの往復書簡を読みました。

 とても興味深く、印象に残ったところがたくさんありました。

 

P25 

 ・・・僕はただ傾聴しているわけではありません。・・・おそらく妻が一番僕のいのっちの電話を聞いていると思うので、正直な感想を聞いてみましょう。

「話はまず聞くけど、最後までは聞かずに、恭平の言葉を出しているように見えるから、いわゆる傾聴とは違うような気がする。時々は強い言葉で言ったり、厳しかったりするのを聞いてびっくりすることもある。そんなこと言って大丈夫なのかなとドキドキすることもある。けど、それで切るわけではなくて、最後、電話口で笑いあったりしているところを目の当たりにすると、恭平のやり方で、コミュニケーションをとることで、深刻な空気や流れが変わって、その人の悩みが、悩みではない方向に移行しているのかもしれない。普通の命の電話では考えられないけど、でもすごいなあとも思う」

 これが今、妻に聞いた感想です。確かに、僕は電話口で、強い口調になる時もあります。基本的にそれは今から死ぬと脅迫されたと感じる時だと思います。「そんなふうに言うから、周りに誰もいなくなったんじゃないか。そんなんじゃ俺も嫌だ。そんなこと言われるなら電話なんかしないでほしい。でも俺は馬鹿だから、またあなたから電話がかかってくれば出る。そして、あなたは他につながる電話はない。だから、そんなこと言わずに、ちゃんと辛いなら、辛いんだから、一緒に方法を考えたい。死ぬ死ぬって脅すなら俺は付き合わない」とはっきり言っちゃいます。これがいいのかどうかはわかりません。

 ・・・僕が自分の経験から感じていることは、死にたいと感じている、つまり、深い鬱状態の時には、基本的に全ての判断が間違ってしまっています。だからその悩みという枠の中に僕も入って、それで一緒に解決しよう、まずはあなたの感じている悩みを全部吐き出してくださいと言って、聞いてしまうと、僕までおかしくなってしまうことが多いです。そこに解決はありません。・・・それは僕がそうだったからよくわかるのですが、悩みの中にいる時は、ただ悩むだけです。その思考回路を延々と続けるのです。だからこそ、悩みを全て聞いてしまうと、それはつまり解決がない・・・だから僕はすぐに話を折ってしまいます。だからこそ「ここは話を聞いてくれるところではないんですね、失望しました」みたいに怒られることもあります。でも、僕としてはだからと言って、その手に乗ってはまずいのです。僕自身がそうでしたから。悩みなんて解決したいと思っていなかったのです。なぜかどうにかしてでも悪い方向へ、うまく行かない方向へ、むしろそう求めているように動いてしまいます。それが鬱状態です。

 今も、死にたいと電話がかかってきました。原稿を書いていようが、僕は出ます。もっと書きたかったら、書きたいから明日電話してと伝えます。でも話を聞こうと思ったら聞きます。まずは僕は自分が今何をしたいのかを完全に優先させてます。でも緊急であれば話を聞くとは伝えます。緊急であれば話は別です。僕も仕事をやめて話を聞きます。しかし、待てるのであれば待ってほしい、・・・と感じたのなら、そう伝えます。とにかく自分に正直でいることを僕は一番最優先してます。僕が疲れていたら、疲れていると正直に話す。それしかないと思ってます。

 ・・・

 ・・・今のところ、疲れは残ってません。もちろん、話をしたことによる体力の疲れはありますが、・・・そして、自分が疲れたら、疲れたとはっきり言います。自己犠牲的ではまったくないと思います。何よりも話をしていて、楽しいと思うことの方が多いです。それは僕がもともと取材やフィールドワークをしていたという経験があるからでしょうか。人の話を聞いていることは聞いてますが、それはどちらかというとフィールドワークをしているということに近いのかもしれないとは時々思います。興味本位でやっているつもりもないのですが。僕は基本的に、悩みなんか鬱状態の混乱が巻き起こしているだけで、ほとんど全て解決可能だと思ってしまっていることもあると思います。一人で考えている限り、その誤った悩みからは逃げ出せません。だからツッコミが必要なんです。横から突然、別の話をする必要があると思って、僕はわざわざ怒られるのも多少承知しながら、まったく別の話をはじめます。最初は生まれてから一度でも楽しいと感じたことをリストアップしてくれと伝えます。なんでもいいんですが、死にたいときは退屈です。欲望も何もありません。

 ・・・

 ・・・もしかしたら僕は死にたい人にとって有害かもしれない。そう思う時もなくはありません。でも電話はつながらないのです。僕が辞めたら、他のところにつながることはかなり難しくなります。それなら、まだマシではないかとも思いますが、まだ自信はありません。かと言って、止めるのも簡単ですが、止めようとも思いません。ましてはこの行為でお金なんかもらおうとすら思いません。・・・

 ・・・

 ・・・僕はただいのっちの電話で死にたい人に死なない方法を伝えているわけではないんだと思います。この電話に出て、一緒に死なない方法を考える行為自体が、僕にとって、そしてその人にとっての創造行為になっている可能性も僕は否定できません。

 僕は自分が苦しんだから、相手の気持ちがわかると思ってません。そうではなく、僕の相手、それは鬱状態の僕なのですが、その人が苦しんだところと共通するところを探し、そこだけは経験があるから担当できると思ってます。・・・共感ではなく、自分が経験した部分だけをうまく見つけ出そうとしているに過ぎません。・・・