おいしい時間をあの人と

おいしい時間をあの人と

 こちらも対談集。

 いろんなジャンルの方が登場して、興味深かったです。

 

洋菓子舗ウエストの社長、依田龍一さん。

P194

伊藤 ウエストに来ると、空気が澄み切っていると感じます。

依田 大人がゆっくりと落ち着ける場所をつくりたいということは考えていました。銀座本店をはじめ、これまで手がけてきた店は小さいので、やりたくてもできないことがありました。ここ(青山ガーデン)は幸いスペースが十分とれましたから、やりたかったことを全部やろうと。席と席のあいだもなるべく広く。オープンテラスや、ちょっとした庭なんかもつくって。私自身が行きたくなるような、ゆっくりできる店をつくりたいというのがコンセプトでした。

伊藤 一方で銀座本店は、ピッと折り目正しい真っ白なテーブルクロスがかかっていて。どのお店にうかがっても本当に気持ちいい。お店の方もとても感じがよくて。

依田 ありがとうございます。うちはウェイトレスも正社員が多いんです。アルバイトもおりますが、大学生のみということで。

伊藤 ご両親やご家族といらしたことがあるのかしら。

依田 そういう方が多いですね。親御さんが「あの店なら間違いないだろう」なんてことを言ってくれたと聞きますとね、うれしいです。

伊藤 わかります。私も、仕事柄、初対面の方とお会いすることが多いのですが、「ウエストさんにしましょうか」と言われると安心するんです。それってなんなんでしょう。

依田 なんでしょうねえ。長年続けてきたぶんのご信頼はいただいているかもしれませんね。

伊藤 創業はいつですか?

依田 1947年からです。

伊藤 そのあいだ、理念はずっと変わらずに守っていらっしゃる?

依田 先代の口癖が「そんじょそこらにあるものは出すな」。添加物を使わず、自然の良い材料だけを使って、甘みも最小限に抑える。今では珍しくなくなりましたが、昭和20年代にすでにそう言っていたのは、すごかったなあと思います。

伊藤 ウエストのリーフパイを食べると本当にやさしい気持ちになります。これなら小さな子からおばあちゃままで安心して差し上げられます。

依田 リーフパイほどシンプルなお菓子はないですからね。バターと小麦粉と砂糖と卵。それ以外、何も入っていません。

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伊藤 喫茶でいただくサンドイッチやホットケーキも大好きです。

依田 ホットケーキは、私の友人が好きで、「なかなか思うようなホットケーキに出合えないから、おまえのところでぜひやれ」と言われたんですよ。はじめは「ちょっと、どうかな」と思ったんですけども(笑)。いろいろ試作をさせて、これならというものができたので始めてみたら、折からのブームもあって、青山のいちばんの人気メニューになりました。

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伊藤 外食をされるときは、どんなお店に?

依田 個人的には和食が好きですが、商売の参考になるのはやはりフレンチやイタリアンですね。お菓子屋さんを参考にするということはほとんどありません。どうしても真似になってしまいますから。うちはとにかく、真似はしたくない。素材などのヒントはジャンルの違うところからもらうことが多いです。

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(注文していたBLTサンドとカフェオレが到着)

依田 BLTサンドはおすすめです。特にね、ベーコンがちょっとこだわっているんです。

伊藤 どんなこだわりですか?

依田 市販のものではなく、うちのためにわざわざつくっていただいているんです。個人でつくられているんですが、偶然出合って惚れこんでしまいまして。その方がつくられたハムも、食べたらこれまたおいしくて。私が思い描いていたハム、ベーコンだったものですから、口説き落として、つくっていただいています。

伊藤 おいしそう。いい素材を使って、手間をかけてつくっていらっしゃるのでしょうね。

依田 うちの考え方に通じるところがありました。うちも先代のころから、「ものをつくるときにはコストのことは考えるな」と。はじめから「これは千円にしよう」などと考え出すとろくなものはできません。

伊藤 本当にそうですね。食べ物だと原価を下げるしかなくなりますから。

依田 そうなんです。

伊藤 一方で、はじめてうかがったときに飲み物のおかわりができることに驚いたんです。つい長居をしてしまうのはそのためもあるのですが、それはどういうことから?

依田 先代のころからそれでやってきていますから。ゆっくり、長居をしていただくのがコンセプトになっていますので、先代は、「コーヒーや紅茶の材料原価なんてたかが知れているのだから、気にするな」と。

伊藤 豪快な方だったのですか。

依田 どうでしょう。ちょっとユニークな人だったかもしれませんね。人が代わればやり方も変わりますから、今のウエストを先代が見ればなげくところもあるかもしれませんが、自分が行きたい店、おいしいと思う商品をつくることができているのは、幸せだなと思います。

伊藤 そのセンスはどうやって磨かれるのでしょう。

依田 自分の好みを明快にしておくということではないでしょうか。センスも味覚も、百人いれば百通りあります。私も若いころは人と違うことが恥ずかしいような感じがありましたが、ある程度年をとってくると、十人にひとりかふたり、自分と同じような好みの人もいるだろうと。そういう人に買ってもらえればうちぐらいの小さい会社はやっていけるんじゃないか。そういう開き直りみたいなものはあります。結局、人の好みで出しても、わけがわからなくなっちゃうんですね。何が良いものなのか。

 

虎屋17代店主の黒川光博さん。

P275

伊藤 虎屋の経営理念が「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」だと知ったときに、こんなにやさしくて、小さな子どもにも伝わる、柔らかい言葉の経営理念があるだろうかと思って、入社したいと思ってしまいました。あの言葉はいつから?

黒川 先代の父が生きているころに、いちばん大切なことはなんだろうと考えたのです。経営理念は会社の方向性ですから、働いている人みんながわかるようなものがいい。いくら素晴らしいことが書かれていてもなかなか覚えられないようでは、身につかないと思うのです。

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伊藤 虎屋さんは昔から従業員の方を大切にされていますよね。代々伝わっている教えのようなものがあって。

黒川 「掟書」のことですか?

伊藤 はい。お使いに女の人や子どもが来られても同じように接しなさいとか。

黒川 女性やお子さんにはより丁寧に応対せよと書かれていますね。お客様の中には冗談なんかをおっしゃる方があるけれども、決してこちらからそんなことを言ってはいけない、とか。

伊藤 あれを読むのがすごく好きなんです。

黒川 あれは1805年に9代目が、昔からあった掟書を書き改めたものです。天正年間(1500年代後半)に書かれたものですから、織田信長の時代からすでにそういうことを言っていたんですね。

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伊藤 ・・・この前、中医学の先生とお話をする機会があったのですが、世の中はどんどん早く、便利になっているのに、人々はより忙しくなっている。人間が持っている本来のペースを崩しているから、ちゃんと食べることや眠ることが必要だとおっしゃっていました。

黒川 そうですね。もう少し、あるがままに生きるということは、今の時代に必要なのではないかと思います。働く人がいてこそ会社も成り立っています。成長だけではない、もっと素晴らしいことが企業経営にはあるのではないか。お客様にも喜んでいただき、社員にも長く満足して働いてもらえるような会社にしていきたいと思っています。

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