ことばのくすり

ことばのくすり~感性を磨き、不安を和らげる33篇

 どこかで著者の名前を目にして読もうと思ったんだけど、どこだったっけ?と読み進めていたら、横尾忠則さんの「兵庫県立横尾救急病院展」の図録の巻頭言を頼まれて・・・と書いてあり、あ、たぶんそのつながりで知ったんだ、と思い出しました。

 この辺りのお話は、「超人の秘密」にあったことにつながるなと興味深かったです。

 超人の秘密 - シェアタイム

 

P78

 軽井沢病院長の拝命以前、私は長く東大病院に勤務し、心臓のカテーテル治療(心臓の血管の治療)に従事していました。心臓の血管は直径3㎜くらいなので、その治療に使う道具のワイヤーとなると、直径わずか0.3㎜ほどです。普段意識することのない、ミクロで精密な生命の働きに畏怖の念が湧きます。また当然のことながら、高度な集中力を必要とする作業でもありました。

 心臓は生まれてから死ぬまで、起きている時も寝ている時も拍動して動き続けることで、脳に血流を送り続けています。そんな心臓がもし、停止してしまうとどうなるでしょうか。心停止から1分以内に救命処置が行われれば95%が救命されますが、3分以内だと救命率は75%となり、5分経過すると救命率は25%まで落ちます。8分経過してしまうと、救命の可能性は極めて低くなるとも言われています。つまり、心臓に緊急で起きた異変に対応するためには、とにかく迅速さが命綱なのです。それだけに心停止の緊急事態では、分間隔ではなく秒間隔で対応を迫られます。

 ・・・心臓が停止した場合、心臓マッサージをすることで脳に仮の血流を送りながら、同時に心臓が動き出すようあらゆる措置を講じます。そのためには、1秒をさらに細かく割って行動するような、シビアな時間感覚が必要です。1秒を10分割するようなイメージで自分の動作を細分化していくと、たとえ1秒と言えど、10秒くらいの密度で感じられるようになります。高度の集中力はそのようにして、時間感覚を変えてくれるのです。さらに集中していくと、1秒という長さが10倍ではなく、100倍に感じるほどの時間感覚になることもあります。よく交通事故にあった人が、景色がスローモーションのように感じられた、と話すことがありますが、それと似ているかもしれません。どちらも、普段使われずに秘められている人間の力が発揮された例なのでしょう。緊急の処置を必要とされる医療者は、「いのち」の危機に瀕した場面に遭遇した時、こうした未知の力を呼び覚ます必要があるのです。道具の扱いも体の動きも、とにかく必要最小限である必要があります。1秒を貴重な時間として、あらゆる行為を最適化させながら、最短の時間で最大限の効果を生み出す創意工夫を迫られるのです。

 とはいえ、私1人の力には限界があります。だからこそ、その場でのチームの連携も非常に大事です。その際、チームの一員が適切に動けていないからといって、不用意に叱ったりすると、チーム全体のパフォーマンスが落ちてしまいます。理想的ではない状況下でも、いまいるチーム全体で最高のパフォーマンスを上げるためにどう振る舞うのが適切か、と考えを切り替える必要があります。そうした意味では、言葉の選択や感情の使い方にも修練が求められると言えます。

 そのために必要なのは、目の前の局所に埋没していく力だけではありません。全体を観察する視点も同時に重要なのです。天井に定点カメラがあるとイメージするとわかりやすいかもしれません。そのカメラは、場にいる一人一人を俯瞰するように記録しています。目に見える体の動きだけではなく、目に見えない心の動きも観察しています。助手の動き、看護師やスタッフの動き、患者さんの「いのち」の動き。私はそうした動きをモニター画面で同時に見ながら、1秒という貴重な時間をさらに細分化させ、自分自身の心も「いのち」の世界へと溶け込ませていくのです。

 その際にイメージされるモニター画面はひとつではありません。家電量販店に行くと、多くのテレビモニターが並んでいる光景を目にすると思いますが、心臓の治療における俯瞰の感覚は、あの光景に近いのです。あらゆる場面を、同時に観察し続けること。集中力が高まることで、そうした複数の視点が共存することが可能になります。ある意味で、スポーツとも共通しているかもしれません。例えばサッカーでも、自分だけではなく、味方と相手をあわせた動きを俯瞰する視点を持てるかどうかで、プレイの質が決まってきます。

 こうした集中がなぜ可能になるかと言うと、医療現場では1秒の無駄も許されないケースが多いからでしょう。別の言い方をすれば、そう簡単には発揮できない集中力です。かけがえのない、この「いのち」を助ける、そうした純粋で透明な意識のもとで初めて生まれ出てくる力だろうと思います。

 とはいえ、これは医療現場における特殊能力というわけではありません。誰にでも引き出せる力だとも思います。そのためには「無心」と言われる純粋な意識が引き出されるような状況に身を置く必要があると思います。私の場合、医療行為以外で言うと、登山で難しい局面を迎えた時に無心の状態になることがありました。・・・