この辺りも印象に残りました。
P42
「幸せだなぁー」って思うときって、いろいろあると思うんですけどね。
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私の中にも忘れられない幸せなときってのがありましてね。うちは三人子供がいるんですけど、一番下の子が幼稚園で、上の二人が小学校ぐらいの時でしたかね。秋の日曜日。子供たちはどっかに出かけたかったんでしょうけど、雪虫も飛び始めて、そろそろ庭の木を冬囲いしなきゃいけなかったんで、カミさんと二人で軍手をはいて、今日は庭仕事しようってことになったんです。
準備しながら子供たちに声をかけてね、「おーい冬囲いするから手伝えー」って。でも子供たちはテレビに夢中でね、「うーん」なんて生返事だけでちっとも動こうとしないんですよ。
「まったくしょうがねぇなぁ」なんて言いながらも、まぁ実際のところおとなしくテレビを見ててくれた方が仕事ははかどるんで、別にそれでよかったんですけどね。
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どのくらい時間が経ったんでしょうかね。黙々と作業をしてたら、なんだか視線を感じて家の方を見たんですよ。
そしたら、いつからそうしてたのかはわからないんだけど、窓辺に子供たちの小さな顔が三つ並んでてね、ニコニコとこっちを見てるんです。
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カミさんも気付いたらしく、二人で作業の手をとめて窓辺に並んだ子供たちの顔を見てたら、三人がうれしそうにこっちに手を振るんです。小さな手を振りながら「見てたよー」って。その瞬間「あぁ幸せだなー」って思ったんですよね。
「幸せだなぁー」って思う時って、それはたぶん、瞬間なんですよ。時間にしたら一分もないぐらいの瞬間。でもそれで人はじゅうぶんに幸せを感じられるんですよね。
一番上の子は、もう来年社会人になります。一番下の子も、もう高校生です。
みんな、あの秋の日の一瞬のことなんか覚えてないんでしょうけど、でも、私はあの日、窓辺に三人の顔が並んだあの瞬間を思い浮かべるたびに幸せな気持ちになれるんです。
幸せって、きっとそんなことなんだろうなって思います。
P80
「水曜どうでしょう」の企画で四国八十八ヶ所を回ったことがあります。・・・
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・・・ぼくらは結局三回も四国八十八ヶ所を回りました。そして今でもまた回りたいと思ってます。不思議なものです。
三回も同じところを回っていると、好きなお寺さんや好きな風景が出てくる。「またあそこに行きたいな」と思ってしまう。そのためだけに同じことを繰り返したいと思ってしまう。またもう一度、余計なことを考えず、ただ回るだけの作業に没頭したいと思ってしまう。
四国を回っていて思ったんです。こういう感じで人生を過ごせたらいいなって。最初はハツラツと元気いっぱいで、その後に長く苦しい修行があって、やがてゆったりとした穏やかな日々があって、そしてゆるやかに最後に向かって行く。ただ目の前のことだけを考えて、ただそこにある道を行く。
でも「もう一度行きたい」と思えば、すぐにでもイチから始めることができる。よく「人生は一度きり」とは言うけれど「そんなに焦りなさんな」「また始めたいと思うのならスタート地点はすぐそこにありますよ」って、そういう優しい言葉を掛けてくれているような気がしたんですよね。
四国八十八ヶ所、これは本当にオススメです。
P161
僕はテレビ局の社員ですから基本的には番組を作って放送していればそれでいいんです。でも「水曜どうでしょう」という番組は本当におもしろくて、放送するだけじゃなくDVDという記録媒体に残しておきたくなった。
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番組関連グッズも、まず最初に「作りたい」という衝動があって、でも売れなければ困るから、盛んに番組のホームページなどで宣伝活動をする。そうするうちに「金儲けのためにいろいろ作っている」みたいに言われることもありました。でもそれはまるっきり逆なんです。DVDもグッズも「作り続けるために金儲けをしている」のです。
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世の中には「お客様の要望に応えて」作り出されたモノがたくさんあります。それはモノ作りの基本で、正しいことです。「作りたいから作ったモノ」でも、必要とされていないならば誰の生活も豊かにはしません。
でも、「今こういうモノが売れてます!」みたいなマーケティングに踊らされて、それを「お客様の要望に応えて」という言葉にすり替えて、作り手の愛情が注がれていないモノが世の中に溢れていないでしょうか。「何はともあれ安さ!」という行き過ぎたコスト意識が、作り手にも客にも蔓延し過ぎていないでしょうか。それこそが「金儲けのためにやっている」ことに他ならず、作り手も客も豊かさを逆に失っているように思います。
「客が喜ぶモノを作る」のではなく「作り手が自信を持って作ったモノが客を喜ばす」ことの方が、双方の生活を豊かにし、それが最終的にお金儲けにつながる。僕はそう思っているんです。