ブータンの王さま

未来国家ブータン (集英社文庫)

ここは国王について書いてあったところです。

P250
 この国では国王は「尊敬の対象」どころではない。日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健イチロー村上春樹を合わせたくらいのスーパーアイドルである。
 四代目は先代の急死により十六歳で即位。「世界で最も若く最もハンサムな国王」と騒がれた。五十代の今でも十分にハンサムだ。
 稀にみるほど賢い人で、若くしてGNH(国民総幸福量)の概念を考え、環境立国の道を切り開いた。
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 まず、ストイックなまでの質素さ。住んでいるのは「宮殿」とは名ばかりの小さな丸太小屋で、乗っているのはふつうのランドクルーザーブータン人が物欲を自制し、質素な生活を心がける大きな理由は、アイドルの国王を見習っているからだ。
 国王は国民の声を何より大事にした。ブータンは一時期、登山を許可したが、専門職のポーターはいないため、一般の農民を徴収していた。だが登山シーズンはちょうど種まきと収穫の農繁期にあたって迷惑だと、農民たちは訴えた。「高山には神々が住まう」という信仰も根強いことと合わせて考慮し、国王は即座に登山を禁止した。
 平和を何より愛するが、やむを得ないときには敢然と敵に立ち向かう。ブータン南部の密林には、インド・アッサム州の分離独立を標榜する反インド政府ゲリラが長いこと巣食っていた。インド政府の強い要請を受け、国王はゲリラたちに「ブータン国内から出るように」と何度も通告したが、彼らは言うことをきかない。そこで二〇〇三年、五十歳近い国王は自ら国民義勇隊を率いて出陣し、ゲリラの拠点を急襲、見事勝利をおさめた。これはブータンにとってなんと百年ぶりの本格的な戦争であったという。
 まさか国王が自分で軍を率いるとは思わなかった国民は大感動、政府の高官たちは国王の帰還と戦勝を祝おうとしたら、「人が何人も死んで何を祝うのか」と国王に一喝されてしまった。
 先代王は後継にも余念がなかった。まず絶対君主制から民主主義に移行し、立憲君主制を確立すると、二〇〇六年、五十一歳の若さでさっさと引退と譲位を表明した。
 新国王は当時二十六歳。アメリカとイギリスで教育を受けており、謙虚かつ聡明なことで知られる。しかもまたもやイケメン。
 かくして国中の至るところにこのイケメン親子の写真が飾られている。私が泊まっているここの娘さんの部屋に貼られた「アイドルのポスター」も、実は国王親子のものである。