農業フロンティア

農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ (文春新書)

「農業新時代」がとても面白かったので、続編のこちらも読みました。

 魅力的な方ばかり紹介されていて、すごいなー、すばらしいなー、とうれしくなりました。

 

P4

 本書のテーマは「越境」。・・・さまざまな境界を越えて農業に挑む11人が登場する。・・・

 例えば、本文一番手の加藤百合子さんは東大卒のエンジニアでNASAのプロジェクトに参加したこともある課題解決のプロ。静岡の産業機械メーカーの研究職に就いていた時は、出産育児をしながらわずか2年で、毎年数十億の売り上げを叩き出すアルゴリズムを独自に開発した。

 しかし、ふたり目の子どもを妊娠し、産休に入ってゆっくり考える時間ができた時に、もともと環境問題や食糧危機に関心があり、農業を志していたことを思い出し、間もなく起業。生産者、物流会社、行政などを巻き込んで、地産地消を促し、地域に小さな経済圏を作る新しい流通網「やさいバス」を生み出した。彼女の場合、職業的な越境だけでなく、業界を越えた取り組みで新風を吹き込んでいる。

 

P23

 加藤は1974年、千葉の鎌ヶ谷市で生まれた。両親から「勉強をしなさい」と言われたことはなかったが、「制服がかわいい」という理由で中学受験を決め、名門のお嬢様学校に進学した。

 この時の受験勉強がきっかけで数学が楽しくなり、中学では数学以外の授業中にも数学の問題を解きまくった。ある時、それが教師に見つかり、「そんなことやってるなら、お前が教えろ!」と怒鳴られると、「こんなつまんない学校やめてやる!」と、中学2年生の1学期で退学。地元の公立中学校に編入し、高校は難関の慶應義塾女子高校に進んだ。

 とにかく数学が好きで、難題になればなるほど燃えていた中高生時代に出会ったのが、計算だけでは解けない環境問題だった。・・・

 ・・・

 それ以来、少しでも地球環境への負荷を減らそうと、ノート代わりにチラシの裏紙を使うようになった女子高生は、将来、人類の危機を救うために農業や環境について学ぼうと考え・・・東京大学農学部に進学した。

 大学で学ぶうちに、食糧危機を救うロボットの活用に興味を持ち、農業機械の研究室に入った。・・・「めちゃめちゃ楽しかったですね!・・・自分が思い描いていた理論を制御ボックスのなかに実装してその通り動かすというのは、実際にやってみるとほんと面白いんです」

 農業×ロボットの楽しさに目覚めた加藤は、東大卒業後の1998年9月、イギリスのクランフィールド大学の大学院に進学。・・・

 そこで加藤が取り組んだテーマは、「スプリンクラーロボット」。・・・

「大学でエレクトロニクスは勉強したし、数学は得意だったので制御ロジックはできる。でも、それを図面に起こしてメカとして実装しなければいけない。そこはまったく未経験だったから、いろいろ大変でした」

 スプリンクラーの開発途中、大学院の教授からNASAのプロジェクトを紹介された。・・・このプロジェクトに参加するためには、翌年9月にアメリカにいる必要がある。そこで加藤は、土日も研究を続けてスプリンクラーロボットを完成させ、修士論文を書き上げ、査読も受けて10ヵ月で修士号を取得。1999年9月、NASAのプロジェクトメンバーの一員として、ニュージャージー州ラトガース大学の研究員に就いた。

 ・・・

 ところがプロジェクトがスタートしてわずか3ヵ月後、・・・取り仕切っていた著名な教授が突然移籍。この教授のもとで学ぶことを楽しみにしていた加藤は、がっかりしてしまう。・・・翌春、日本に戻ることにした。

 ・・・そこで、日本の企業4社に現地からメールを送り、就職できないか問い合わせた。・・・キャノンに入社した。・・・

 キャノンでは・・・集積回路が正確に動くかを調べる仕事・・・これも「めちゃくちゃ面白かった」そうだが、結婚を機に1年で退職。・・・キャノンをあっさり辞めたのは、夫の親族が静岡で産業機械メーカーを経営していて、そこで研究職として働けるという理由もあった。その会社がメインで作っているのは「減速機」で、加藤によると「その形状は数学の塊」。また数学ができる!とワクワクしながら、静岡で働き始めた。

 自由を与えられた加藤は、・・・わずか2年で年間数十億の売り上げを出す機構を完成させた。その間に第一子を生んでいるので、実質的には1年数ヵ月。社内では「本当にできると思いませんでした」と驚嘆されたという。

 ・・・ふたり目の子どもを妊娠し、産休に入ってゆっくり考える時間ができた時に、ふと思った。私、本当はなにがしたかったんだっけ?

「・・・バタバタして、目の前のことに追われていたけど、・・・そうだよ、農業じゃん、農業やりたかったんだよ、私は!って(笑)」

 なにごとも決断が早い加藤は、・・・第二子を出産してから間もなくして退職すると、静岡大学が開設している「静岡農業ビジネス起業人育成講座」を受講した。・・・そのうちにこう感じるようになった。

「農業界にほかの業界の知識と知恵が入る、農家さんが持っている知識と知恵がほかの産業に提供されるという相互交流がないことが、農業の最も大きな課題なんじゃない?」

 ・・・奮い立った加藤は2009年10月、起業した。・・・会社のコンセプトは「開け!日本の農業」だった。

 ・・・

 ・・・そして2012年春、生産者と青果店や飲食店などの法人をマッチングする「べジプロバイダー」事業を立ち上げた。これは、単に売り手と買い手をつなげて手数料を取るシステムではない。

 ・・・

 マッチングが成立してから、・・・本格的な仕事が始まる。農作物の生産状況や希望価格を把握しながら、飲食店や青果店のニーズも聞き取り、両者にとって負担のない納期や量、価格を調整する役割も担うのだ。このアイデアは高く評価され、・・・女性起業大賞を受賞している。

 ・・・

 ・・・彼女のエネルギーと頭脳はひとところに留まらない。・・・仕事をしながら、農業用ロボットを開発しているのだ。

 ・・・スズキと組んで開発したのは、農業用の運搬ロボット「モバイルムーバー」。これはスズキの電動車いすを改造したもので・・・収穫物を載せて運ぶこともできるし、自分が乗って移動することもできる優れものだ。ところが、「違法ではないが、・・・車椅子でも自動車でもなくて、なんの法律にもあてはまらない。だから、なんの法律にも触れてないんですけど、公道走行の許可は出せませんって言われていて……」

 ・・・

 同じスズキの電動車いすを使い、「雑草ふみふみロボット」も開発した。・・・実証実験をしたところ、生産者の作業費が44%カットという結果が出た。・・・

 ・・・

 農業界における切実なペインポイントがあり、解決策を求めている人が全国にいるのに、「モバイルムーバー」も「雑草ふみふみロボット」も日の目を見ずに眠っている。こういう柔軟性のなさが日本のイノベーションを阻害しているのは間違いない。それでも、加藤はロボットの開発をやめるつもりはないという。インタビュー中も、・・・アイデアが、山ほど出てきた。

「経営者としてはどうかなって思いつつ、ロボットを作るのは楽しいんですよね(笑)」

 加藤のように、農業の仕組みとテクノロジー、ロボティクスに精通した人材はほかにいない。そこを高く評価されて、2020年6月、加藤はスズキの社外取締役に就任した。・・・

 加藤にとって、やさいバスもロボットの開発も、すべて「境界」を溶かすための取り組み。テーマは今も「開け!日本の農業」だ。