生き延びる工夫

CARPE DIEM 今この瞬間を生きて

 この辺りも印象に残りました。

 

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 私は漫画家として、自分や家族の失敗や恥ずかしいことを、ギャグやコメディ漫画へと昇華させてきました。最初は義理の両親にも夫にも内緒にして描いていたのですが、バレてしまった時にはもう開き直るしかなく「いろいろ脚色してますんで」とごまかしました。しかし、彼らはその漫画をまるで他人事のようにゲラゲラ笑いながら読んでいて、心底からほっとすることができました。姑に至っては、・・・「こういう女性って本当に多いわよね、夫の妹がまさにこれよ!」と、自分のモデルを他人に重ねた解釈でした。・・・周囲の人はそこに描かれているイタリアのマンマが彼女自身であることは一目瞭然だったと思うのですが、姑一人が「ね、いるわよね、こういう女ってさ!」と盛り上がっているのには笑ってしまいました。

〝思い返したくもないほど、みっともないこと〟は、長い年月を経て熟成されると、極上の笑いとなります。どんなに恥ずかしいことも無理に蓋をするより、表に出して笑い飛ばしていった方がいい。私はそれを実践することで、自分の中に毒素を溜め込まないようにしているのかもしれません。

「どんな時もスマートに、カッコよく」と気を使ってばかりいるよりも、よほど自分が頼もしく感じられますし、弱点や失敗はいつの日か人を元気にできる最高のネタとなる。そう思いながら過ごせば、毎日を愛おしく感じられるはずです。笑いやユーモアは人間が生み出した最大の〝生き延びる工夫〟なのかもしれません。

 

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 イタリアのパドヴァにある自宅の近くには、いわゆる〝近所の食堂〟と呼べる店があります。・・・

 70代半ばのフェルッチョはかつて、街の歌劇場の近くの老舗レストランで働いていたことがあり、1960年代に活躍した俳優や音楽家の仲間も多く、結婚を機に開店した現在の店にはリタイアした芸術家たちが集まっていました。

 ですが数年前に娘夫婦に店を任せると客層も一新されました。・・・

 そんな中、一人だけ変わらず常連で居続けた60年来の友人がいました。元舞台脚本家の男性で、・・・一人暮らしの不自由な老後の唯一の心のよりどころが、フェルッチョの店でした。

 食堂に来る時は通りすがりの人々に声をかけ、彼らの優しい対応をいいことに自分の体を支えて貰い、ヨロヨロと歩きながら店を訪れます。・・・

 比率的若い女性が彼を連れてくることが多いのですが、それに気がついたフェルッチョが「貴様、歩けないなんて言っているけれど、嘘だろう」と突っ込み、そこから口喧嘩に発展した場所に居合わせたことがありました。「お前だって女たらしのくせに人ごとみたいな口聞きやがって」「俺はお前ほどじゃない」というやりとりに、私は込み上げてくる笑いを抑えきれませんでした。

 それだけではありません。時にはフェルッチョの料理の味付けを巡り「今日のパスタは随分不味いな」と客のいる前で大声を出す老人に「おかしいのはおまえの味覚の方だ、歳取って味覚がおかしくなってんだ」「そういうあんたも俺とたいして変わらない歳じゃないか」などと舌戦を繰り広げることもありました。そのやりとりを見て、フェルッチョの娘は「あの調子でもう50年。お互い腹の底まで丸見えの二人なのよ」と笑って気にも留めない様子でした。

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 今の時間を謳歌する天真爛漫な笑顔には圧倒的なパワーがあり、不平不満をぶちまけていたかと思うといつの間にか楽しそうに笑っている彼らの姿を見ていると、釣られてこちらまで嬉しくなってきます。・・・