ノルマンディーから佐渡へ

農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ (文春新書 1336)

 自分も楽しくて、周りのみんなが喜ぶように展開していったら、幸せにしかならないなと思いました。

 こんな記事もありました⇒

ワイン醸造家のジャン=マルクさんが、いま、佐渡で語ったこと。 | 佐渡観光。 | 【公式】dancyu (ダンチュウ)

 

P253

 ・・・「農業は本当に素晴らしい仕事だ」と話すジャンマルクは、佐渡島でとてもユニークなワイン造りに挑んでいる。

 ジャンマルクはフランスの北西、イギリス海峡に面したノルマンディーで生まれた。両親ともにワイン好きで、・・・自然とワインに惹かれたジャンマルク少年は、14、15歳になるとワインを楽しむようになっていた。

 その頃にはすでに、周囲の大人から「君はテイスティングの才能がある」と言われていた。・・・ワイン造りに興味を持つようになった。・・・高校1年生の時、「ワインを造りたい」と両親に話したら、「もっとまじめな仕事に就きなさい!」と猛反対された。仕方なく、高校卒業後はノルマンディーのカーンという町にある専門学校に進学し、2年間、国際貿易を学んだ。

 ・・・

 ・・・国際貿易のディプロマ(免状)を取得した後、親しい友人が住むドイツへ旅立った。・・・

 ・・・ある時、ドイツの友人から「あなたはいつも奇妙な話ばかりしているから、映画の学校に行ったら?そうすべきよ」と言われたのがきっかけで、いくつかの学校に問い合わせた。入学を認めてくれたのは、旧東ドイツにあるポツダムの町、バーベルスベルクの映画学校。・・・

 その学校で映画の脚本を書いたり、ドキュメンタリーのリサーチを学んでいたジャンマルクだが、しばらくすると退学になってしまった。・・・もともと思ったことは忖度せずに口にする彼の言動が「政治的に自由すぎる」という理由だった。・・・

 フランスでも映画の制作に携わりたいと思っていたジャンマルクは、生活費を稼ぐためにパリの市場で牡蠣を売る仕事を得た。そこで働いている時に、たまたまワインの醸造家と知り合った。・・・

「大人がワイン造りを学べる学校があるよ」

 その瞬間、ワイン造りのことで頭がいっぱいになったジャンマルクは、それまでのすべてを投げ出して、28歳でその学校・・・に通い始めた。・・・

 学生生活について、ジャンマルクは「最高のボジョレーをバケツ一杯飲めて幸せだったよ」と冗談を言うが、早くから才能を認められた。・・・あるワイナリーのオーナーから高く評価され、ワイン造りを任されたのだ。

 ・・・

 そこで1年間働いたジャンマルクは、もう一度学校に戻り、ワイナリーの責任者に就くことができる上位ディプロマ・・・を取得。卒業後は、工業的に大量生産しているところや伝統的な製法を守っているところなど、さまざまなワイナリーでブドウ栽培や醸造の責任者を務めた。

 ・・・

 なかでも彼が最も影響を受けたのが、フランス東部、アルプス山脈の麓にあるジュラ地方で「ドメーヌ・オヴェルノア」を営み、「ナチュラルワインの神様」「ジュラの伝説」と称される醸造家、ピエール・オヴェルノア。ジャンマルクは、ピエールさんに頼み込み、彼のドメーヌで9月から約3ヵ月間、泊まり込みで働いた。・・・この時、ジャンマルクは「自分が進むべき道」に出会った。

「彼のもとで、高品質のナチュラルワインを造るのに役立つ多くのことを学んだよ。最も大きな気づきは、彼と彼の(ワイン造りの)レシピを観察して、ワイン造りに決まったレシピはないということがはっきりしたことだ。そこから私は、自由に自分のやり方を模索し始めたんだ」

 2004年、ジャンマルクは誰からも自由であることを求めて、銀行から50万ユーロを借り入れ、ピエールさんと同じジュラ地方でワイン畑を購入。自分のワイナリーを開いた。・・・

 ・・・

 ジャンマルクの独創的なワインは瞬く間に評判を呼んだ。

 ・・・やがて「天才醸造家」と呼ばれるようになった。

 ・・・

 それほどフランスで名声を得ていたジャンマルクが、なぜ移住をしたのか。いくつかの要因があるが、そのひとつはジュラの気候だった。

「ジュラにはいい友だちがいたし、楽しい生活だった。でも、私は太陽の光が好きだから、ジュラの寒くて長い冬はつらかった。・・・」

 ・・・ジャンマルクには日本人の妻がいたから、新天地として日本に行きたいと考えた。日本のどこに向かうかを決める時に、候補に挙がったのは北海道と佐渡島。・・・

 ・・・

 当時、佐渡島でワインを造っている人がいなかったのも、ジャンマルクの背中を押した。ワイン造りが盛んな地域では、ひとりでオーガニック栽培のブドウを使ったナチュラルワインを造るのが難しい場合がある。・・・周囲の生産者から病気や虫が発生するリスクがあるとみなされることもあるからだ。

 ・・・

 それから9年。右も左もわからない土地で始めたワイン造りは、今も決して順調とは言えない。しかし、ジャンマルクは悲観も悲嘆もしていない。・・・

 ・・・

 ブドウ畑の確保は、想像以上に難航した。・・・土地が余っていると言っても、農地を外国人が購入するのは簡単ではない。・・・「外国人」という壁に阻まれ続けた。

 ・・・

 ・・・佐渡島で農地が手に入らないというストレスフルな状況を打開するために、・・・2017年、偶然が重なって知り合ったという北海道の「さっぽろ藤野ワイナリー」と組み、同ワイナリーが契約している・・・「ナイアガラ」を使用した微発泡ワイン・・・を造ったのだ。

 ・・・

 2019年、佐渡島でワインを造るために、北海道の仕事と並行してユニークな活動を始めた。農業のプロかどうかは問わず、ワインに興味があり、自分たちも醸造用ブドウを作ってみたいという佐渡島の仲間とアソシエーションを結成し、自宅の庭先や農地の一部などあちこちで少しずつブドウを植えてもらう「1aプロジェクト」。

 これは、佐渡島で年々増えている耕作放棄地を見て島の高齢者が悲しんでいること、80歳、90歳の高齢者でも庭先で花や野菜を育てていることに気づいて思いついたアイディア。それなら、一緒にブドウの樹を育ててもらおうというプロジェクトである。・・・

「このアソシエーションは、誰でもウェルカムなんだ。庭先にブドウの苗を10本植えるだけでもいい。地域の人たちが共通の目標を持ち、一緒に活動をしながら、佐渡島のワインを造る。そして、祭りの時にワインのボトルを開ける。それはきっとみんなにとって誇りになると思うんだ。このワイン造りが実現したら、若い人たちも手伝いに来てくれるかもしれない。1aプロジェクトの目的は、大金を稼ぐことじゃない。地域の人々が喜ぶような、経済的に小さなネットワークを作ることがゴールなんだ」