毎日が実験

農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)

 発想が自由ってこういうことなんだなーと感動しました。

 

P20

 浜松で生まれ育ち、高校時代からダンスに夢中になっていた杉山は、卒業後、プロのダンサーを目指してニューヨークに渡った。

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 老舗レゲエレーベル「VPレコード」のショップ店員として働いていたある日、社員から「本社で働かないか?」と誘われた。・・・待っていた仕事は・・・数字を扱う地味なデスクワークだったが、思いのほか高い評価を得た。

「もともと数学は苦手じゃなかったし、仕事もすぐに慣れました。そうしたら、周りはほんとに適当な人ばかりだったから、高校しか出ていなかった僕に『お前は博士か』と聞いてくるレベルだったんですよ(笑)」

 職場の人たちは、杉山が高卒だと知ると「近くに大学があるから、もっと勉強してみなよ」とアドバイスをした。・・・

 大学に入ると、自分でも驚くほど勉強にのめり込んだ。特に人やモノとお金の関係に興味を抱き、3年次に会計学を専攻。世界4大会計事務所のひとつ、KPMGでインターンを始めた。

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「なんでもやります精神だったから、仕事以外にもみんなのディナーを注文したりしてましたよ。チームとして働くから、こいつと一緒のチームで働きたいなって思われるのが一番でしょう。そういうとき、日本人のちょっとした気遣いって大事なんです」

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 ・・・2年間のインターンを経て、大学卒業後、晴れてフルタイムの正社員として採用された。

 杉山いわく、KPMGの社風は「UP or OUT」。出世するか、会社を去るかの二択しかないシビアな職場で、朝8時半には出社し、深夜の2時、3時に帰るのが杉山の日常だった。繁忙期には、3日間徹夜で仕事をして気絶した。それでも辛くはなかったと言い切る。

「・・・僕は自分を追い込んでいくタイプなんですよ。ひとつの山を乗り越えると、最初は1だったレベルが8ぐらいまでジャンプしているのが実感できるじゃないですか。それがやりがいだった」

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 給料も20代で1000万円を超え、気づけばエリート街道を歩んでいた杉山に電撃的な転機が訪れたのは、2012年夏のことだった。

 ある日曜日の朝、全国紙『ウォールストリートジャーナル』を読んでいたら、ピーナッツバターの特集が組まれていた。なにげなく目を通していると、「ENSHU」という単語が目に留まった。ENSHUとは遠州、すなわち杉山の故郷浜松を含む静岡西部を指す。・・・そこには1904年のセントルイス万博でピーナッツの品評会が開催され、「遠州の落花生が世界一に輝いた」と書かれていた。

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 ・・・「世界一になった遠州の落花生」の存在を知って、イメージが溢れてきた。これだけ多様な人がいるニューヨークで、どの家庭にもなぜかピーナッツバターがある。アメリカだけでも、ピーナッツバターは莫大な市場なんじゃないか。世界一の落花生でピーナッツバターを作ったら、どうだろう……。

「これは自分がやるべきことじゃないか」

 まるで天啓に打たれたようにそう思い至るまでにかかった時間は、わずか数分。・・・

 ・・・杉山の動きは早かった。まず、上司に「故郷でピーナッツバターを作ることにしたから、仕事を辞める」と告げた。上司は唖然としていたという。・・・

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 KPMGの同僚や仲間たちから「勝算ないぞ」と笑われながら会社を辞め、アメリカを去ったのが2013年、30歳の時。馬鹿にされればされるほど、やる気がわいてきた。

「世界でも、自分で豆を作って焙煎して、挽きたてのものを瓶に詰めて売ってる人って多分いないでしょう?それがいいなって思ったし、それをサポートしてくれる世界一の遠州小落花っていう存在がある。アメリカっていう大きなマーケットもある。だから、失敗するはずがない!と思ってましたね(笑)」

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 ・・・なんの知識もない杉山は再び文献を紐解いて、1904年当時の生産者の手法を参考にした。・・・

 種を蒔いてから収穫するまでの過程は、主にハウツー本とYouTubeを見て学んだ。・・・

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「常識を上回るために、うちは毎日が実験です。それが楽しいっすね」

 例えば、収穫の時期。書籍には「葉が広がり、中心部分が黄色く変色してきた頃」と書かれており、ほかの落花生農家に聞いても同じことを言われた。でも、経験の浅い杉山には曖昧すぎて「超わかりにくいんすよ」。そこで、全く別のアプローチを編み出した。

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 2015年に結婚、現在3人の子どもを育てる杉山の実験は、働き方にも及んでいる。・・・

「最初の頃、朝からぶっ通しで働いてたら体調を崩したんですよね。だから今は暑い時間は働きません。家に帰って昼飯を食べて、子どもと遊んだり、昼寝をしたり、サーフィンに行ったり、潮干狩りをしたり、自由に過ごしてます。今の働き方の方がメリハリがあるし、ぜんぜん効率良いんですよ」

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「安易にお金で解決しない」ことがモットーの杉山は、2万個の製品パッケージングや発送作業も外注しない。それらの仕事を担うのは、自宅で子育てをしながら仕事をしたいと考えていた杉山の妻と、3人のママ友。杉山は、収穫後の秋から春までに週に2回、4人がそれぞれの子どもを連れて集まり、ひとりが子守り、3人が仕事をするというローテーションを組んだ。もちろん、子守りをしているママにも同じ時給が支払われる。

「子ども同士が遊んでるのをひとりのお母さんが見守るって、普通のことですよね。それを仕事にしただけです」

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 最近、新しい目標ができた。浜松に点在する草木がぼうぼうの耕作放棄地を遠州小落花の農地に変えて、町の景色を変える。性別も学歴も年齢も関係なく、高齢者でも子育て中のママでもギブアンドテイクで前向きに働けるように仕事と場所をつくる。そうして、浜松に住む人たちの幸福度を上げる。それができるのが農業であり、ものづくり。だから、「農業は最高!」なのだ。目標実現のために、杉山の常識外れの挑戦は続く。