あっというまに

あっというまに (ワニの本)

 ミステリーハンター竹内海南江さんのエッセイ。

 自分の体の異変を、こんなふうにおもしろがれるって、すごい才能だと思いました。

 

P150

 ロケに出る前に、低酸素におけるトレーニングを受けた。大切なのは呼吸法。体内に酸素を取り込むには、まず「吐く」ことが重要。・・・

 ・・・早速、呼吸法を試してみた。思いっきり口から吐く、そして鼻から吸う。その時にあろうことか、激痛が!

 着陸したヘリから外に出て体感したことは、空気が痛い。とにかく、空気が寒すぎるっていうよりも、冷たすぎて、鼻や喉の粘膜に突き刺さる感じがする。・・・

 ・・・

 恐るべし、標高3800メートル!もう呼吸法どころではなく、すぐにマスクをして冷気を直接入れないようにするしかなかった。

 ・・・

 出発してすぐに、冷たさに涙が出てきた。鼻水もだらだらと止まらない。・・・

 ・・・

 急な石段をゆっくり、ゆっくり下っていく。マスクを通してはいるものの、空気の冷たさが鼻と喉の奥に染みている。・・・

 あーあ、なんてこったい!次から次へと、体の不調。こんなことはめったにない。下痢はよくあるけれどね。でもまっ、こんな私の状況により、いかに過酷な環境であるかをお伝えできれば幸いだけれども、カメラに映る私はいつも元気。苦労やしんどさが表に出ないらしい。今回同行しているスタッフだって、まさか私が鼻汁出しっぱなしのまま、空気の痛みに苦労しながら歩いているとは、これっぽっちも感じていない。だって自分で言うのもなんだけど、足取りは軽やかだから。

 中身の疲弊と、外見の元気さ。そのバランスの悪さに、苦労することがある。過去においても、私の体調不良に気づいてもらえないことがあった。別にプロ意識ばりばりで、無理しているわけではない。無理すると死んじゃうことが、世の中、世界各地では多々あるから、我慢は決してしてはいない。してもいけないと思っているから。でも、なぜ?

 今回のことで思ったことは、おそらく窮地に陥った自分の状況を、分析、解析して、どうすればいいか?の答えを客観的に見て、おもしろがっているからかもしれない。

 お腹をどうすればいいか?お薬は?鼻汁は?呼吸法は?

 お腹のお薬は、強力な下痢止めはやめておく。出してしまったほうがいいから。鼻汁は、出しっぱなしで。日本製のマスクの性能がわかるから。呼吸法は、これからやり続けてみないとわからない。「お楽しみ」ってなことで、そう、どうなることやらと、おもしろがっているもう一人の自分がいるからだろう。

 ・・・

 3時間で目的地のナムチェの町に到着。下り続けたことは、酸素が濃くなるってことで、なんだか息が軽くなったように思えた。空気もちょっと、暖かくなった感じ。

 ・・・

 夜はとても冷えるので(お部屋に暖房なし)、たくさん着込んで、帽子を被って眠る。用意してくださった湯たんぽがありがたい。シャワーはお湯が出るけど、浴びない。シャワーを浴びている時、息を止めていることが多く、高山病になりやすいと聞いていたし、寒いのでやめた。

 

P189

 今回出版にあたり、ロケ中に自分がどんなことを考えているのか?を知ってみたくて、あえて日記のようなものをつけてみた。・・・

 ・・・

 ・・・ここ数年、初めて訪れる国がなかったので、たいていの刺激には慣れてしまっている。驚きがない、感動しないわけではなく「記録するほどのことではないかな?」と、書かずに済ませてしまう。それは、自分にとっての当たり前が、かなり世間からずれてしまっているからだ。

「ずれている」。お恥ずかしながら、この歳になって、やっと気づいたこと。なので、久しぶりの初訪問国であるネパールだから、最後まで記録できたのだと思う。

 それにしても、書きなぐりのノートを元に、パソコンで清書をしてみて「凄いね、ロケって大変なんだ!」と、人ごとのように驚いた。お腹が壊れたとか、酸欠になったとか、「やっぱり大変だったんだなあ!」と人ごと。辛かった記憶の蘇りがまったくない。

 どこで、どう変換されてしまったのかわからないのだが、「おもしろかった」としか、今の私には記録されていない。確かに、お腹グルグルから始まり、中身ありのおならに苦労し、メインは、酸素との戦いだ。澄んでいて冷たすぎる空気に鼻と喉が対応できず、鼻汁ぐじゅぐじゅで、喉が痛くて悲鳴をあげながらもリポートしたし、その挙句、心臓バクバクで、酸欠パニックの危機に直面と、かなりのサバイバルだった。

 でも、今の私にとっては、そのすべてが「おもしろい」ことになってしまっている。「楽しかった」ことにも。

 ・・・

 そうそうそれから、悲鳴をあげていた喉に関して、・・・帰国してから、ちょいと経った後、歯磨きしてから口をすすいだ後、血を吐いた。新鮮な血液で、ドバーと出た。2回目も、ドバーと、血。

「えっ?なんじゃこりゃ?」と思いつつ、さすがの私もお医者に行ったところ、喉が炎症を起こし、そこから出血していることがわかった。お薬をもらい、めでたし、めでたし。

 そこで私が思ったことは「人間、生血を吐くと、ひどく動揺し、うろたえるのだな」と。よく時代劇などの映画のシーンで、薄幸な主人公が咳き込み、あてた手のひらを見て「あっ、血だ」。そこで、自分のその先の運命を知る。私の場合は、そんなドラマチックな設定を想像したわけではないものの、やはり、驚きあわてたことは確かだった。なので、体験してしまったことから、データとして記録されたのは「生血を吐くと、驚く」が、おもしろかった。

 ずれている上に、いかれてもいる。でも、どんな時も日々、楽しい私がいることを改めて知り、一度も辞めたいと思わず、このお仕事を続けられる、自分の鈍感さを知った。