発酵技術を中心とした技術開発ベンチャー、ファーメンステーション代表の酒井さんの話も興味深かったです。
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酒井のキャリアは独特だ。1995年に国際基督教大学を卒業した酒井は、日本と海外の貿易に関心があったことから富士銀行(現・みずほ銀行)に総合職として就職した。
「女性の総合職が5人しかいなかった時代です(笑)」
97年から2年間は、自ら立候補して国際交流基金日米センターに出向した。・・・
「私は、日本とアメリカのNPOや団体の交流プロジェクトにお金を出す仕事をしていて、たくさんの団体から申請を受けたり、ヒアリングをしていました。日本では98年にNPO法が成立したばかりで、日本のNPOにも勢いと熱があったし、アメリカのNPOの人たちもすごく素敵で、一緒に仕事をするのが面白かったんです」
もともと、学生時代から「社会の課題を解決する仕事がしたい」と考えていた酒井の胸に点った火は出向を終えてからも消えず、富士銀行を6年で退職。しかし当時、社会貢献分野はボランティア色が強く、仕事も多くなかったこともあり、「ビジネスのセンスを学ぼう」と外資系ベンチャーに就職した。そこでは2年間猛烈に働いて、20代にして企業の買収などを経験している。・・・
そんなある日、発酵技術で生ごみをエタノール化し、エネルギーに変える東京農業大学醸造科学科の取り組みがテレビで紹介されていた。もともとエネルギー問題にも関心を持っていた酒井は、これだ!と直感し、当時の彼氏(現在の夫)を同伴して高校生向けに開催されたオープンキャンパスに参加。10代の若者に囲まれながら、そこで聞いた「お酒造りの延長です」という言葉で「私にもできるかもしれない。やろう!」と気持ちが盛り上がり、ドイツ証券を辞めて同学部を受験した。
「銀行を辞めてからは、毎回きっちり2年で転職していました。だから、次は2年以上続けられる好きなことを仕事にしようと思っていた時に知ったのが、醸造科学科の取り組みです。代替燃料には興味があったし、金融時代にプロジェクトファイナンスをやっていたのでどういう風にお金が動くかも想像がつきました。なにより、これからくるビジネスだし、大学で技術を学んでバイオ燃料の会社を立ち上げようとギラギラしていました(笑)」
・・・2005年、32歳で醸造科学科の学生になった。・・・
・・・日本でも各地でバイオ燃料のプロジェクトが立ち上がり、ブーム化していた。
・・・2009年・・・奥州市の実証実験が行われることを知ると、自ら立候補して自費でプロジェクトに加わった。同年7月にファーメンステーションを設立しているのだから、当時の酒井の前のめりな姿勢がうかがえる。・・・
・・・この実証実験を始めてすぐの時点で、米をエタノール化してエネルギーとして使用するのはコストが合わないと判明。・・・
そこで酒井が考え出したのが、エタノールを化粧品の原料として卸す事業だった。・・・
自身を「未利用資源オタク」と称する酒井は、米を発酵する過程で生まれる「米もろみ粕」にも着目した。何もしなければ単なる廃棄物だが、無農薬、無化学肥料で育てた米のもろみ粕にはアミノ酸やビタミン、ミネラルが含まれていて、それだけで価値のある資源になる。そこで近隣の養鶏家と提携し、米もろみ粕を飼料として卸すルートを築いた。これによって、お金を支払って処分してもらうしかなかった廃棄物が利益を生み出すようになった。さらに、美容効果も高い米もろみ粕を原料にした石鹸も開発した。
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この後、酒井はエタノールの製造、卸業を本格化させながら、消臭スプレー、虫が苦手な成分を加えたアウトドアスプレーを開発するなど事業の幅を拡げていった。その過程で、彼女も驚く形でエコシステムが発展し始めた。まず、飼料として米のもろみ粕を卸していた養鶏家、松本崇さんが作る「まっちゃんたまご」が地元で大人気になった。もともとこだわりの養鶏家で卵の評価は高かったのだが、発酵粕を食べることで鶏の腸内環境が良くなり、さらに美味しい卵ができるようになったのだ。・・・
飼料米として無農薬栽培のノウハウを身に着けたアグリ笹森は、同じ方法で食用の米を栽培することに成功。・・・
これだけでも驚くべき変化だが、エコシステムはまだまだ広がっていく。
「この取り組みがサスティナブルだと口コミで広まって、国内外から視察や観光のツアーが来るようになりました。外国人はこれまでにスイス、中国、南アフリカ、アメリカ、イスラエルの方たちが胆沢にきています。・・・」
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このエコシステムが興味深いのは、酒井率いるファーメンステーションがエタノールをつくるために無農薬、無化学肥料の米を求めたことから、数珠つなぎ的にそれぞれの活動が生まれ、リンクしていったこと。誰かが主導したり、計画したわけではないのが特徴だ。・・・
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ポコポコ、ポコポコと発酵の泡が浮かび上がるように、こうした小さなコラボレーションが自然発生的に生まれるのと同時並行で、日本では唯一無二の「無農薬、無化学肥料で育てたJAS有機米で作る国産エタノール」を求める企業も増えて、生産量、卸先ともに右肩あがり。・・・
・・・青森駅近くの工房で製造、販売しているリンゴのお酒シードルは、その過程でリンゴの絞り粕が出る。これまですべて産業廃棄物として処理されていたその絞り粕をファーメンステーションが発酵、蒸留してエタノール化し、リンゴフレーバーのルームスプレーとアロマディフューザーとして商品化したのだ。・・・
「未利用資源オタク」の酒井は、エタノール化する際に出る、リンゴ粕の残渣も見逃さなかった。これを牛や鶏のエサにしたところ、どちらも好んでガツガツ食べることが判明。100%ナチュラルなので身体にもよいため、それぞれのオーナーにも喜ばれた。・・・酒井の手によって、ゴミでしかなかったリンゴ粕を媒介にまた小さな経済圏ができたのだ。