Kくんの話、つづきです。

根本きこの 島ぐらし島りょうり

 こういうことは結構ある気が・・・こんな風にフォローがあれば、傷として残らないなぁ・・・と思いながら読みました。

 

P125

 ざっくりとした経緯を説明すると、きのう学校でスケボーをしていたKくんと友だちは、根本の朽ちた杭を折って、その杭を使って遊んでいたらしい。そこにひとりの先生が来て、「杭を勝手に折った!これは大事件だから、校長先生に言う」と言って怒りながら去っていった。戻ってきた先生は、「明日の朝、校長先生から話があるから学校に来なさい」とKくんに言った。今朝、お母さんと学校に行ったKくんは、彼なりの言い分を言おう、と昨日の晩から心に決めていた。でも校長先生から「自分が悪いと思ったら素直に謝りなさい」と強く言われ、言い分がありつつもその場を丸く収めるために「ごめんなさい」と謝った。頭に血が上っているおとな相手に謝るしか選択肢はなかった。

 その言い分とは、たとえKくんが折らないまでも、きっと強い風が吹いたら倒れるだろうってくらい、もともと杭は腐っていたこと。「たとえば、折る前に折ってもいいですかって聞いたら怒られなかったのかな?」とわたしが言うと、「そうかもしれない。聞けばよかった」と後悔している様子。その場にいて、いっしょにスケボーしてた、というふたりの子からは、「おかしいのは、ぼくたちも同じように遊んでたのにどうしてKくんだけが怒られるのかっていうことなんだよ」と言った。「たぶん、Kくんが年上だからってことかもしれないけど、年が下だからって話がわからないわけじゃないんだよ」と、ふたりとも冷静にこのことを考えている。

「じゃあさ、たとえば他の子が杭が倒れてきたら危ないから折った、ということだったらどう?」と聞いてみた。「たぶん、怒られないと思う。でも、折ったのには変わらない」

 なぜKくんだったのか、といえば、その原因のひとつに「不登校児(問題児)だから」という背景が少なくとも関係しているように思える。「大事件」と言った先生は、実はKくんの担任の教師で、Kくんが学校に来ないことをあまりこころよく思っていない(よく思う先生なんていないと思うけど)。学校側は「4時以降だったら校庭でスケボーをやってもいい」と話す反面、「危ないからやめてほしい」とも言うという。「先生たちの本音はさ、学校に行ってない子どもが校庭で遊ぶことをあんまりよく思ってないんだよね!」と子どもたちが言った。「そうなの?」と聞くと、「うん、そう感じるよ」とその場にいたみんなが頷いた。そんな彼らは全員不登校児だ。

 Kくんには「怒られる世界」以外にも、もっといろいろな世界(見方)があるんだよ、ということを知ってほしかった。

 みんなでKくんや先生の気持ちになりながら、物語の終末は「まぁ、このことに関しては、怒る人と怒らない人がいる、ってことだね」と誰かが言うと、「ほんとその通り。よし、秘密基地で遊ぼう!」と子どもたちはすっきりした顔つきで外に飛び出して行った。

 子どもはおとなが思う以上に、物事の本質を理解しているし、自分の意見を持っている。彼らと話すたびにそのことを思い知らされると同時に、その天真爛漫な笑顔とまっすぐさに支えられる。

 先日お会いした装丁家の矢萩多聞さんのお話だが、彼も小学校は行ったり行かなかったりの不登校児だったらしい。理由は、「先生が自分をコントロールしようとするから」そして、多聞さんのお母さんがその先生に言った言葉が忘れられない。「先生は後2年でこの子との関わりはなくなるけど、わたしは一生付き合うんです。だからどうか、ほっておいてください。この子の将来はわたしが責任を持ちます」

 そして多聞さんが4年生のとき、担任になった先生のおかげで「学ぶよろこび」を体感する。「その先生はたとえば国語だったら宮沢賢治の『やまなし』を1ヵ月かけてじっくり授業したりするんですよ。『この物語からどんな色を感じるか』とか、とにかくおもしろいこと聞いてくる。・・・」

 6年生になって担任が代わり、また不登校となり、中学でも「自分の居場所はここにない」と悟った多聞さんは単身インドに渡る……そんな多聞さんの生き方は彼の著書『偶然の装丁家』で読めるので、ぜひ。

 

 と紹介されていた本、5年位前に読んで面白かったのを思い出しました。

ayadora.hatenablog.com

 

 もうひとつだけ、根本きこさんの本の中に、印象に残った文章がありました。

P212

 変化することは、変化したいと思って超えるものではなく、超えなければならない出来事がやってきたとき、それと向かい合うこと自体がもう変化しているってことだ。