肯定的に歯車になる

しょぼい生活革命

 少し前の時代の産業構造と、教育方針がつながっていたとは、言われてみればなるほどでした。

 

P202

朝日新聞にも出ていましたね。令和時代を代表する若者として。

 

矢内 あまり特別なオンリーワンにならなくていい時代になると言いました。平成はある特殊な能力や特別な資質を求めてきた時代でした。要するにオンリーワンになるために・・・でもこれからは、自転車をちょっと持ち上げるような、家庭内において僕しかできない、そういった形で社会的な存在価値を持っていく時代だろうと言ったんです。

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 ・・・「僕が死のうが世界は回る」ではないですが、世の中の歯車になることをもっと肯定的に捉えていきたい。

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 学校は、個々の体調はとりあえず無視して、みんな早起きして同じ時間に登校して、一斉に同じ教科をやらせますが、それで多くの人間の身体性を損なっているんです。だけどそれよりも工業生産に適した人間をつくるほうが優先されてきました。だからオンリーワンではない。

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内田 「ワン」というのが僕はなんだか納得がゆかないですね。キーワードは「複雑」ですから。えらてんさんだって、1分前と今ではもう別の人間になっている。新しい経験を一つするたびに、言葉を一つ聞くたびに、過去の記憶はそのつど全部再編されている。・・・

 僕は「オンリーワン」とか「アイデンティティー」とか「自分らしさ」というような言葉が嫌いなんです。いいじゃないですか。自分がいつも自分らしくなくても。だって、人間って複雑なんですから。・・・

 ・・・「自分探し」とか虚しいことはもうやめましょうよ。そんな固定的なものは存在しないんだから。・・・それよりは星雲状の、アモルファスな存在でいて、あちこちにいっぱい穴が開いて、そこからいろいろなものが出入りしている、そういう複雑なシステムとして自分をとらえてみたらどうです。

 学校教育は戦後のある時点から「工業製品を作る」という産業形態に準じて、制度設計されるようになりました。・・・だから、少しでも仕様と違うと欠陥品としてはじき出される。・・・

 その前の時代、僕が初等中等教育を受けているころは、学校教育は農業のメタファーで語られていました。種子を蒔き、肥料や水をやって、あとは太陽と土壌に任せておくと、収穫期になると「何か」が採れる。本質的に農産物は自然の恵みであって、人間が100パーセント工程管理することなんかできない。実際に教師も親もそう考えていた。でも、それは単に1950年代までは、日本人の50パーセントが農業従事者だったから、自分たちがふだんやっている産業形態のイメージをそのまま学校教育に当てはめたというだけのことなんです。そういうものなんです。

 学校教育に僕たちが当てはめるイメージというのは、その少し前の時代に支配的だった産業構造を惰性的に模写したものに過ぎないんです。・・・