教育の種類

根本きこの 島ぐらし島りょうり

 この本を読んで、私も義務教育は苦行だったので(;^_^A、他に選択肢があったらよかったなぁ…と思ったりしました。

 

P209

 うちの子どもたちは、いわゆる学校に通っていない。今でこそ、そういった「選択」をする子どもも増えたけれど、田舎ではまだまだ少数派だ。一度なんかは、宗教じゃないか、と疑われたくらい。でも気持ちはよくわかる。わたしも「行かない」という選択が可能だなんて夢にも思わなかったから。そして、反骨な精神なわけでもなくいたってフツーに「そんなに行きたくなかったら、しばらくお休みすればいいよ」くらいのラフな姿勢を貫いている。それでも、心配してはいろいろ助言をしてくれる人もいる。彼らに共通しているのは、「おとなになったらどうするの?」ということ。「そんなんじゃ、この世の中で生きていけないよ」ということ。そのたびに、「またこのパターンじゃーん」って思う。いや、すみません。

 たとえば、醤油でもいろいろなメーカーやブランドがあって、味も濃さもそれぞれ違う。消費者は自分の好みの醤油を選び、料理に使う。服も、パソコンも、宅急便も、本も、車も、野菜も、家も、だいたいは自分で選んでいる。それなのに、なぜ教育だけがこんなにも種類がないんだろうか。なぜ、人によっては泣いてまでして行かないといけないのだろうか。

「楽しいから行く。勉強って楽しい」子ども時代はイケイケのキラキラ。たくさん遊んでいろんな年齢の人間と接して話してぶつかりあって、どんどんやりたいことをやってほしい。

 

P123

 寺子屋(別名「学びのD.I.Y.」)では、隔週で「料理と物語作りの日」、そして「山歩きと工作の日」といったカリキュラムをゆるく行っている。

 料理と物語作りの日の今日は、5人の子どもたちとお稲荷さんを作った。・・・

 材料の分量や出来上がるお稲荷さんの数などを計算することは、足したり掛けたり割ったりの算数の要素が含まれている。最初は、「お稲荷さん、ひとり3個ずつ食べられるね!」と張り切っていたものの、揚げの口を開くところで難儀して破れたりしてしまい、結局ひとり1個ずつ……。「次はきっとうまくいくはずねー」とみんなで励まし合いながらその失敗の原因を探った。用意した揚げは2種類あって、片方は上手くいくのだけれど、もう片方がなかなか難しい。まずは揚げ選びが大事、ということがわかった。それに「子どもの指は短いからおとなよりたいへん」という意見や、「いらいらしたら余計に上手くいかない」という発見もあった。

 晴れて出来上がったお稲荷さん。破れた揚げをアレンジしてちらし寿司も作り、みんなでお腹いっぱい食べた。

 食後はレゴやチェスをしながら休憩時間。「物語作りは何時から始めようか?」と聞くと、「そうだなー、1時!」「えー、1時半がいい」と意見が分かれるも、子どもたち同士で相談して1時に決定した。

 物語作りとは、みんなで輪になってワンセンテンスずつ話を繋げていく遊び。隣の人がどんなことを話すのかよーく聞いていないと続きが話せないので、「人の話に耳を傾ける」ということが必須条件になる。想像力をどんどんふくらませることが求められるので、それなりに得手不得手はありながらも、みんなワクワクしながらひとつの物語を繋げている。

 ひとつのお話にかける時間は7分。毎回テーマを決めて限られた時間内で物語をまとめる。それを3セット行う。いっけん簡単なようでなかなか難しく、おとなでもよほどの構成力がないと完結できない。でもそれだけやりがいのある遊びなので、テーマ選びも積極的だ。

 今回は「お稲荷さんの作り方」、「ひな祭り」、「Kくんが校長先生に怒られた」の3本。

 お稲荷さんは作り方のおさらいも兼ねて、記憶の糸を辿りながら、無事に「ごちそうさまでした!」で終止符。「ひな祭り」は、前日が桃の節句だったので、それにちなんで女の子のお祭りのお話。「Kくんが校長先生に怒られた」は、今朝、実際に起こった出来事を元に、みんなでKくんになったり、校長先生になったりしながらこのことを俯瞰して考えてみよう、という趣旨で行った。始める前にKくんが「きこちゃん、7分じゃ足りない。10分にしてもいい?」と言ったことが印象深い。というのは、Kくんは天性の活発さから、「問題児」と扱われやすく、本人も「怒られ慣れているから」と、諦めている節も時々見受けられる。でも、「10分にしていい?」と言ったKくんの言葉のなかに、「自分の話を聞いてほしい」という意思が窺われた。