騒音の中で

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる

 結構音がうるさい中でも瞑想に入れるという話、たしかに言われてみれば、逆にシーンとしてる方が集中しづらいかもです。

 

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 瞑想や集中と言うと、一般的に、しーんと静まりかえったところでやるもの、というイメージがあるようです。町のうるさい音に囲まれていては瞑想などとてもできないのではないか、と思っている人も少なくないようです。しかし、そんなことはありません。

 私は毎年、ヒマラヤで修行を続けていますが、初めて標高三千メートルのガンゴーットリーで坐って瞑想を試みたときに、スッと深い瞑想に入れてしまいました。それは聖地だからということもあるのですが、傍らを流れるガンジス河と滝の音が作用していたのです。河畔にいると、ものすごい轟音が響き渡り、私をすっぽりと包み込みます。そのおかげで、非常に瞑想に適した環境になっているのです。つまり、外の世界に意識を向けると、聞こえるのはガンジス河の大音量だけであり、特に何かに集中しようとしなくても、轟音に包み込まれているせいでごく自然に集中状態に入り込めるのです。

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 私がこう言うと、「聖地が瞑想にいい環境なのは判ったけれど、都会で暮らしている人間にとっては、近くを川が流れているわけでもないし、聞こえるのは雑音や騒音ばかりだし、関係ない」と思われるかもしれません。しかし、音が響いているという条件で同じような環境を考えてみると、都会にも瞑想に適した場所がかなりあるのです。

 意外だと思われるかもしれませんが、たとえば高速道路の脇やパチンコ店の中、電車が通過中のガード下、ライブハウスやコンサートホール、サッカースタジアム……などは、実は瞑想にもってこいの場所なのです。喧騒が渦巻く街の雑踏でも、その音を使えばうまく瞑想することができます。

 ・・・私の経験からすると、静かな環境よりもむしろ瞑想に向いていると言えます。

 ・・・「聞こえてくる音はすべて聞き取るようにする」というのが瞑想の基本です。あるとき、倍音声明の様子を写真に撮っていたところ、ある参加者から「カメラのシャッター音がうるさくて瞑想にならない」と文句を言われたことがありました。しかし、その姿勢は間違っています。その程度の音で瞑想ができないようでは、木々の揺れる音や鳥のさえずり、滝の音や小動物の走る音などが渦巻く深山幽谷でも瞑想はできません。

 瞑想は、音があるからやりやすいのです。聞こえてくる音はすべて聞き取るように努めて、自分の瞑想に役立てましょう。そういう姿勢で瞑想をしようと努めれば、都会生活の中でも、いくらでも瞑想のチャンスと環境が見つかります。