想念の観察を続ける

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる

 「想念の観察の上達」と「瞑想レベルの深化」は同時に進んでいくという話、なるほどと思いました。

 

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 瞑想とは、自分の心の中を整理して、自分を知る作業です。・・・

 ・・・ときどきこんな相談を受けることがあります。

「瞑想をしようと思うのですが、どうしても頭の中にいろいろな考えや思いが浮かんできてしまって、うまく瞑想に入れないのですが……」

 ・・・頭に浮かぶ想念を「雑念」だと解釈すると、人はそれをどうにかして排除しようとします。しかし、そうすると決して排除できず、むしろ雑念の嵐が吹き荒れてしまうのです。結果として、瞑想はうまくいかなくなります。

 排除するのではなく、湧いてくる想念はそのままにしておくべきです。いつ、どこで瞑想をするにしても、必ず想念というのは湧いてくるものです。排除しようとしてはいけません。

 ・・・

 そもそも、「瞑想のときに湧いてくる想念はよくない、無駄なものだ」という先入観が生じるのはなぜでしょうか。それは、自分が想念に揺り動かされたり、想念に翻弄されたりするからです。

 そこで、湧いてくる想念を瞑想の練習のために有効に使うには、まず想念に翻弄されないようにする必要があります。そのために、想念が湧いてくるままにしておくのです。どんな想念が湧いても、それに揺り動かされないようにします。

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 想念を観察するというのは、「今、自分は何を想っているのか」を見つめるということです。うまく想念を観察できたとしても、すぐに違う想念と入れ替わってしまうでしょう。そうしたらその都度、「今、自分は何を想っているのか」と観察するのです。

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「想念の観察をしよう」という姿勢を根気よく続けていると、観察しきれなくなったとき、すぐに気づくようになります。観察できなくなって少し間が空いてから「今、観察していないな」と気づくのと、観察できなくなってすぐ「今、観察が途切れたな」と気づくのでは、全然違うのです。

 観察が途切れた瞬間、それに気づくことができれば、いつでも瞑想の深いレベルに入っていくことが可能になります。なぜなら、途切れた瞬間に気づくということは、実際には途切らせずに想念の観察を続けていることを意味するからです。観察では、それが途切れるのに気づくタイミングが重要なのです。