トイレはサステナブルなのか?

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色 (集英社新書)

 糞土研究会「ノグソフィア」なるものがあったとは、初めて知りました。

 思想をちゃんと行動に移して実践されているのが、すごいことだなと驚きました。

 

P189

 トイレは「サステナブル」なのか?

 SDGsが掲げる一七の目標の中には、こんなものがあります。

「安全な水とトイレを世界中に」(目標の六番目)

 ある意味で、これはSDGsの抱える矛盾を象徴するような目標だと私は思っているのですが、なぜそんなふうに考えるのかわかるでしょうか。

 私たち日本人は、もはやトイレのないところでは暮らせません。・・・

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 しかしその一方で、「トイレなんかいらないよ」と言いたい人たちもいるかもしれません。近代文明の常識が、世界中に通用するとはかぎらないでしょう。

 そもそもトイレや下水処理施設などが必要になったのは、人間が増えたからです。大昔の、人が少なかった時代は、トイレなど不要でした。そのへんの空き地で用を足していればすぐに土に還ったでしょうし、畑の肥やしとして活用することもできたわけです。いまもそうやって暮らしている人たちに近代的な最新型のトイレをプレゼントしても、どうしてそんなものが必要なのか、意味がわからないかもしれません。

 しかも、そういう暮らし方はまさに「サステナブル」です。人間が食べて排泄したものが土に還って植物を育み、再び人間の食糧を生み出してくれる。自然な環境を守るというなら、これに勝る好循環はありません。

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 ちなみに日本には、そんなトイレ文明に背を向けて「糞土師」を名乗り、野糞術を追求する写真家がいます。茨城県出身の伊沢正名さんという方です。

 彼が代表を務める糞土研究会「ノグソフィア」のウェブサイトによると、一九七〇年、二〇歳のときに自然保護運動を始めた伊沢さんは、動植物の死骸や糞を分解して土に還し、新たな命に蘇らせる菌類の働きに興味を持ちました。そして、屎尿処理場建設に反対する住民運動の身勝手さに憤りを感じ、一九七四年から「信念の野糞」を始めたといいます。処理場に反対するならトイレを使うべきではないだろう、というメッセージを込めていたのでしょう。それから二五年後の一九九九年には、年間野糞率一〇〇パーセントを達成したというのですから、大変なことです。

 あまりにも極端な例ですから、ほかに真似のできる人は(少なくとも日本のような先進国には)いないだろうと思います。でも、本気で「サステナブル」な循環を突き詰めると、こういう行動こそが正しいということになる。これに比べたら、SDGsのいう持続可能性など、まさに上っ面だけの欺瞞に満ちたキレイゴトにすぎません。

 菌類の働きに魅せられた伊沢さんは、のちにキノコ写真の大家としても有名になりました。キノコは「森の掃除屋」とも呼ばれる存在。二酸化炭素を吸った植物が生成した有機物を、森の中で最後に分解して水と二酸化炭素に戻すのがキノコだと言われています。自然界の循環を仕上げる立役者のようなものでしょう。

 地味な存在でありながら、森の生態系にとっても重要な役割を果たすキノコは、多くのアーティストの興味を引くようで、キノコをモチーフにした作品も多くあります。私も、そんなアーティストがつくったキノコ型のブローチをひとつ持っていて、SDGs関連のイベントのときなどに、胸につけています。地味な茶色なので、一七色で彩られたSDGsのバッジのように目立つことはありません。

 でも、こちらのほうがよほど「循環」や「サステナブル」の意味をよく表現しているのではないかと思います。あるとき、キノコブローチとSDGsバッジを見比べていた私は、こんな一句を思いついてしまいました。

 

 SDGs ぐるっと回せば うんこ色

 

 SDGsの一七色は、あのバッジのように切り分けて環にすると、とてもキレイに見えます。でも実際は、それぞれの目標が個別に存在するわけではありません。それこそ「安全な水とトイレを世界中に」と「すべての人に健康と福祉を」という目標がお互いに関連しているように、一方で相乗効果を生み、他方では逆に矛盾もはらみながら、人類の持続可能性というコンセプトを軸につながっています。そして、物事がサステナブルであるためには、さまざまな形での「循環」という現象が欠かせません。ぐるぐると回らなければ成立しないのが、SDGsというプロジェクトです。

 ならば、あのバッジ自体をぐるぐる回して循環させたほうが、SDGsの本質が表現されるのではないか。そんなイメージを持ってキノコブローチと見比べていたら、「ぐるっと回すと一七色が混ざって、うんこ色になるに違いない」と思えてきたわけです。

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 本書の冒頭でもお話ししたとおり、SDGsは壮大な「キレイゴト」です。・・・その背景には矛盾もあれば、政治的な打算もあります。決して単にキレイなだけではありません。じつは回すとうんこ色になると思ってみたほうが、SDGsと健全なつき合い方ができるでしょう。

 ただし、うんこ色はSDGsの胡散臭さだけを表現するものではありません。・・・うんこは循環のシンボルのようなものです。土に還れば、植物にとっての栄養分になる。・・・

 私たちが呼吸や産業活動によって排出する二酸化炭素も、いわば「うんこ」のようなものでしょう。でも、それは植物にとっての「ご馳走」です。そして植物が「うんこ」のように排出する酸素は、私たちになくてはならない「ご馳走」になる。うんこがご馳走になり、ご馳走がうんこになるという循環によって、地球上の生命はサステナブルなものになっているわけです。

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 ・・・SDGsは目指すべきゴールではなく、私たちが生き方を見直すためのスタートラインなのだと思います。