今を生きるあなたへ

今を生きるあなたへ (SB新書)

 瀬戸内寂聴さんの声がそのまま聞こえてくるような本でした。

 

P169

まなほ 本能的なものも含めて、そうした自分の感覚を大切にすべきだと思いますか。例えば、自分はこれが好きだとか、これは何となくイヤな感じがするとか……?

 

寂聴 それは、すごく大切にしたほうがいいと思います。生まれたときから身についているような感覚ですから、何かあったときにはそうしたものに従えば、だいたい正しい方向に進めると思います。

 

まなほ 先生は「直感」というようなものを信じていますか?

 

寂聴 はい、信じています。

 

まなほ 直感で何かを決めたということはありますか?

 

寂聴 だって、ものを買うときは、あれは直感でしょう。

 

まなほ 洋服のようなものではなく、例えば出家するとか……。

 

寂聴 それも突き詰めていったら、結局、直感だったと思います。昔から「なぜ出家したのか」と、よく聞かれました。いちいち答えるのが面倒くさかったこともあり、そのつど、「男との不倫の関係を断ち切るため」とか、「自分の文学を高めるため」とか、いろいろなことを言ってきましたが、それだけではなかったと思います。

 最近では「更年期のヒステリーだった」と答えたりしていますが、結局、「わからない」というのが本音です。あえて言うなら、それは直感としか言いようがないものでしょう。でも、私は出家したおかげで、小説家としての人生の難局をうまく乗り切ることができたと思っています。

 

まなほ 多くの人から聞かれたことだと思いますが、先生はなぜ「寂聴」という法名なのですか?

 

寂聴 なぜ、と言われても……。そもそも自分でつけたわけではありません。「寂聴」という法名は、お坊さんとしての私の師匠、つまり師僧にあたる今東光先生が授けてくださったものです。・・・ちなみに「聴」の字のほうは、今先生の法名である「春聴」から一字取ったものです。

 

まなほ 先生は、この「寂聴」という名前を気に入ったのですね。

 

寂聴 だって、きれいではありませんか。「寂」という字は、一般には「淋しい」と同じ意味ですが、仏教ではもっと深い意味があり、「煩悩が収まった静かな心の状態」を表しています。煩悩とは簡単に言ってしまえば、「あれが欲しい」、「これが欲しい」という際限のない欲望や、心をかき乱す妄想、嫉妬や執着などのこだわりです。そうした心身をさいなむ煩悩の苦しみから解放されて、心がおだやかに静まった状態が「寂」です。

 

まなほ では、「聴」にはどんな意味があるのですか。「聴く」という字ですよね。

 

寂聴 何を聴くのかというと、今先生は「梵音」を聴くことだとおっしゃいました。梵音とは、仏様の妙なる声や読経の声、あるいは仏教の音楽である声明などのことです。

 でも私は、仏教だけに関係した音ではなく、もっと広い意味でとらえています。例えば小川のさらさら流れる音、松の枝を風が渡る音、波が汀に打ち寄せる音、鳥がさえずる音、恋人同士が睦み合う音など、もう森羅万象のあらゆる音を梵音だと思っています。そうしたすべての音に心静かに耳を傾けるのが、「聴」の意味だと思います。

 

まなほ そう言えば、寂庵のご本尊の観音様も「音を観る」と書きますね。

 

寂聴 観音様は正式なお名前を「観世音菩薩」といいます。これは世の中の悩める人々が発する音声を観ずる、世の中の人々の救いを求める声を聴いて救済する菩薩という意味です。やはり、音を観ずる、音を聴くということは、仏教や仏様の基本なのでしょう。

 

まなほ 今東光先生からは法名を頂戴した他にも、何か特別なことを教えてもらったりしたのですか?

 

寂聴 五十一歳で出家した直後に、「これからは一人を慎みなさい」と言われました。今先生から教わったのは、その一つだけです。・・・

「誰も見ていないと思っても、仏様がきちんとお前さんを見てくださっている。だから、一人でいるときこそ慎みなさい」ということです。私は、その教え一つで十分有り難いことだと思いました。

 ・・・

 ・・・世間から悪口を言われたり、身に覚えのないようなことで誹謗中傷されたりしても、仏様は私のことをちゃんと見てくれていて、私のことをわかってくれていると思うと、のびのびと清々しく生きることができます。

 おかげさまで、私は出家してから、かえって自由を感じることができるようになりました。それもこれも、仏様がいつも見守ってくださっていると安心して信じることができるようになったからです。