こだわらない練習

こだわらない練習: 「それ、どうでもいい」という過ごしかた

小池龍之介さんの本、初めて読みました。
「それ、どうでもいい」って口に出すと、なんか楽ですね。

P6
 私の見るところ、現代社会では、人々の流動性が高まり、個人個人の取り替えがききやすくなっています。それゆえに、特殊なこだわりによって差別化を図り、「自分は取り替えがきかないんだ!」と叫ぶのが流行っているのでしょう。
 仏道という道すじは、それに真っ向から反して、「執着=こだわり」を手放し放棄することでこそ、人は幸福になれると指し示しています。
 それではそもそも、執着とは、何でしょうか?実はいかなる執着も、以前に"快楽"を感じて気持ち良かったことを記憶したうえで、その"快"を反復したいという欲望にもとづいて、生まれているに過ぎません。
 "快"を感じると、それを繰り返したいという欲望が生まれ、そしてなおかつ、自分の欲を正当化するような形で、考え方や意見や生活スタイルを選ぶようになる。こうして"快"を感じるパターンが固定化し、考え方や生活スタイルが凝り固まった状態こそが、執着に他なりません。
 仏教的見地からみると、こだわりとは"快"を求めすぎて"快"を感じる回路を限定してしまうため、それ以外のものを"不快"として受けとめるようになり、むしろ"不快"の源泉になるのです。
 そして……、私たち人間がもっともこだわり、そこから"快"を引き出したがるのが、「理想的な、良いかんじの自分でいたい」という、自我に関するこだわり。そして、理想どおりの自分でいられないことが起きるたびに、"不快"を感じて苦しんでいるのです。
 そんな袋小路から抜け出して、こだわりのない柔らかな心を味わうべく、本書が導きの糸となれましたらと願うところであります。
「それ、どうでもいい」と、軽やかに。

 ちょうど上記の内容に関係する本が手元に。
 いつもお世話になっている岡野憲一郎先生が「快の錬金術」という本を最近出版されました。
 脳がそんな風に反応してるとは…と色々面白かったです。
快の錬金術―報酬系から見た心 (脳と心のライブラリー)