快の錬金術

快の錬金術―報酬系から見た心 (脳と心のライブラリー)

岡野先生の新刊、「快の錬金術」です。
この内容がこのわかりやすさ、脳の知識があまりなくても、読みやすくて助かりました。
中身はこんな感じです。

P酈
 ・・・脳の中に錬金術師がいることを想像するのだ。人の脳は、他の人にとってはどうでもよかったり、苦痛にさえ感じることを、快という純金に変えることができる。収集癖がある人や、オタク系の人を見ていると、それがよくわかる。他人にはその良さが一向にわからないものを集め、彼らはそれを生きがいにする。
 ・・・周囲には決してわかってもらえないだろうが、それでいいのだ、それがその人に喜びを生んでくれるのならば。この場合興味の対象がある程度無尽蔵にあるならば、その人の楽しみは尽きるどころかますます深まるに違いない。
 私たちの中にいる快の錬金術師が最も腕を振るってくれるのが、家事かもしれない。掃除洗濯、食器洗い、ゴミ出し。家事に携わる主婦や主夫たちの多くが、洗濯機が回っているのを眺めることに快を感じ、洗濯物を物干しに整然と隙間なく並べることに心地よさを見出す。もし家事が心地よさや快に結びついていないならば、汚れた洗濯物や食器やゴミは山のように溜まる一方だろう。いわゆるゴミ屋敷はその究極の姿かもしれない。報酬系は私たちの生活に欠くことのできない退屈な単純作業を喜びという金に変えてくれるのだ。なんとありがたいことだろう。
 しかし人を幸せにしてくれる錬金術師は、その人をときに破滅に導くこともある。アルコールを嗜まなかったときは、ただ透き通って少し色のついた液体だったものが、それなしではいられず、またそれに溺れるものへと変化してしまう。純金どころか毒を生み出すのも人間の脳なのである。
 ・・・本書は私がこれまでで一番書きたかったことをまとめたものである。それは次の疑問に答えるためのものだ。

 何が人を動かすか?What makes a human being tick?(人間という時計の針を動かすものは何か?)

 これは私が物心ついて以来持ち続けている関心事である。人を見ながら、そして自分を見ながら「どうしてこんなことをするんだろう?」と素朴に思いをめぐらす。・・・そしていつも行き着くのは、「快、不快」の問題である。
 私たちの脳の奥には、ある大事なセンターがある。それは「快感中枢」とも「報酬系」とも呼ばれている。そこがある意味では人の言動の「すべて」を決めている。心身の最終的な舵取りに携わるのが、このセンターだ。
 ・・・
 人を、あるいは生き物を、快、不快という観点から考えることはおそるべき単純化といわれかねない。しかしそれでこそ見えてくる問題もある。私たちが行う言語活動は、ことごとく快を求め、苦痛を避ける行動を正当化するための道具というニュアンスがあるのだ。・・・