腹をくくる

夢をつなぐ  山崎直子の四〇八八日

 続きです。この「腹をくくる」ということ、最大の壁は自分の感情である、というところ、ほんとにすごいなぁと思いました。

 

P73

 ・・・私たちは、ロシアから帰港したわずか十日後、今度はスペースシャトルのミッションスペシャリストの資格を取るために最低二年間、ヒューストンへ派遣されることになる。

 私のロシア滞在中に、私の長期海外滞在で父子家庭となることを余儀なくされ、親の介護も重なって心身共に消耗した夫は、アメリカ行きの前に、ついに会社に辞表を出した。

「運用管制官になるのが夢なんだ」

 とプロポーズの時に、目を輝かせながら語った夫が、その夢を一時中断したのである。

 ロシアでの訓練中は夫に負担ばかりかけていたから、今度のアメリカでの暮らしは私が娘をきちんと看る、と固く決意していた矢先だった。

 ・・・

 夫のアメリカ生活は、いきなり障害にぶち当たる。

 実は、私のアメリカでのビザは政府外交官用のビザであり、夫はその配偶者のビザだった。・・・

 そのため就労許可が下りないので、・・・アメリカで仕事をするどころか、大人としてはまったく認めてもらえない状態となる。

 ・・・

 八方ふさがりの状況の中、夫は躁とうつの状態を繰り返すようになっていった。

 ・・・

 このときの私は、中間管理職のような状態とでもいうのだろうか。組織の立場、夫の立場、私の立場、それぞれの異なる立場をどう折り合いをつけていったらいいのか。頭を悩ます日々が続いた。

 ・・・

 なぜそこから、いまの状態にまで立ち直ることができたのか?

 よくみんなに聞かれる質問だが、これといった特効薬はなかった、というのが正直なところである。

 アメリカに渡ってから数年、夫の辛さを改善しようと、板挟みになりながら私は私なりに最大限努力したといえる。・・・もちろん周囲の力を借りながらではあるが、夫との関係を修復したいという一心で、極限状態まで頑張ったと自分では思っている。

 だから、夫が日本に滞在している間に離婚調停を申請したとき、私は離婚を決意した。・・・

 ・・・

 このどん底の状態を乗り越えたときの「収穫」だったのが「腹をくくる」という感覚を得たことだったかもしれない。

 いろいろな問題はすべて自分に責任がある。そう思うと、気持ちが楽になったし、事態を客観的に見られるようになった。

 ・・・時間をかけて二人で話し合いをした。

 私はもう、腹をくくっていた。仕事のことも、彼の辛い立場も、娘のこともいろいろ考えた。世の中の最大の壁は自分の感情である、と書いてあるのをどこかで読んだことがある。その通りだと思った。腹をくくるということは。その感情の壁を越えることなのかもしれない。

 三十代の働き盛りに自ら職を手放すということは、とてつもない辛さなのだと思う。辛い訓練は何ですか、と私はよく訊かれるが、一番辛いのはサバイバル訓練ではない。訓練したくても事故や諸々の事情で訓練できないときだった。訓練はどんなに厳しいものでも、できているときは幸せだった。だから、自ら手放す決断をする、ということは勇気がいることだったと思う。・・・そんな夫の決断に敬意を払おうと思った。

 その後も一筋縄ではいかなかったが、そうやってお互いに壁を越えていった結果が、夫と娘と共にひとつ屋根の下で暮らせている今につながっている。何が正解かは分からないが、当たり前のような一日一日に感謝せずにはいられない。

夢をつなぐ

夢をつなぐ  山崎直子の四〇八八日

 宇宙飛行士の仕事って、語学力や知識量の他に、技術的な面も、体力的な面も、そして精神的な面も、あらゆる能力が備わっていないと命に係わるという、大変なものだなぁと驚きつつ読みました。

 こちらは、候補生に選ばれたあと、結婚、出産を経て、訓練中のエピソードで、当初日本で訓練できるはずだった予定が変わり、仕事と家族の板挟みになってしまったというお話で、この本の大部分は宇宙に向かって進んでいくワクワクする話なのですが、こちらがなんというか、底力のすごさが感じられて、すごい・・・と思いました。

 

P62

 二〇〇一年九月のロシアでの水上サバイバル訓練を終えて、私は九月十九日をもって基礎訓練を終了。そして九月二十六日に、晴れて私はISS搭乗宇宙飛行士に正式に認定された。・・・

 その約一年前の二〇〇〇年十二月に、私は山崎大地と結婚した。

 ・・・

 彼は人工衛星の制御ソフトなどをつくる民間企業に勤務しており、宇宙センターで仕事をしていた。彼の夢はISSの運用管制官になることで、そのためにISSの運用手順書や運用ルール作りをしていた。

 ・・・

 ・・・

 前述したように、・・・「ISS長期滞在専門の宇宙飛行士」であった。

 だからスペースシャトルの運行に携わる任務はなく、訓練の拠点はあくまで日本で、その時々の訓練の内容によってアメリカやロシアへ「出張」することになっていた。

 しかしコロンビア号の空中分解事故が、このプログラムの見直しを迫ることになる。

 ・・・

 ・・・NASDAの方針が転換し、私がロシア、アメリカに長期滞在することになり、家族も翻弄されることになる。

 私たち夫婦は、夫が三か月の育児休暇を取り、引き続き私が三か月の育児休暇を取り、その後は生後八か月の娘を保育園に入園させて、家庭と子育て、そしてそれぞれの仕事を両立させていた。

 ところが二〇〇三年七月より三か月間、私が訓練のためロシアへ行くことになった。生後十一か月の娘を置いて、単身ロシアに行くことには不安もあったが、

「大丈夫、まかせておいてくれ」

 と力強く言った夫の言葉に勇気づけられ、私はロシアへと向かった。

 その間、夫と娘は「父子家庭」状態になった。

 私がロシアで訓練を受けている間、夫は自分の仕事、育児、さらには認知症を患った義父と体が弱った義母の介護と、超多忙な毎日を過ごしていた。

 そんな夫が、娘が一歳になる直前に、突然ロシアにやってきた。それもまだ幼い娘を連れて……。

 この時は、北の地で、三人一緒に娘の誕生日を祝おうという彼の気持ちが、心底うれしかった。

 ・・・

(長くなるので、明日につづきます)

90歳越えて初めて知ったこと

95歳まで生きるのは幸せですか? (PHP新書)

 興味深い話が色々載っていました。

 その中で印象に残ったのは、92歳で初めて知った、95歳で初めて知った、というところです。

 

P50

 二度目に寝たきりになった九十二歳のとき、あまりに腰の痛い日々が続くものですから、次第にひどく気が滅入るようになってしまいました。

 もともと人一倍、楽観的で、落ち込むことなど少なく、仮に落ち込んでも、すぐに起き上がるのが私の強みでした。しかし、これぞ地獄の責め苦かと思うほどの絶え間ない痛みに、性格まで変わってしまいそうでした。ああ、これが鬱というものか!私は九十二歳にして初めて、鬱を体験したのです。

 それまで私は多くの人から人生相談を受けてきました。私など比べものにならないほど辛い思いをされている方もたくさんいらっしゃいます。そんな方々に対して、私は「辛さ」や「痛み」をわかったような気になって、偉そうに答えていたのです。実際は何もわかっていなかったのですね。

 私は本当の人の苦しみなど何も知りませんでした。自分で痛みを感じてみて、思い知らされました。そして知りもせずに苦しみについて語っていたことを恥ずかしく思いました。

 九十二歳にして「神も仏もないのか」と思うほどの痛みを延々と味わうことで、私は人並みに、苦しみを知ることができました。もっと大変な思いを、もっと長期間されている方もたくさんいるのだと想像することもできました。

 まだまだ不完全な僧侶である私に、観音さまが新しいチャレンジを通じて学ぶ機会をくださったのかもしれません。人間、九十五歳になっても、まだまだ伸びシロはたっぷりあるのです。そう謙虚に受け止めることにしました。

 鬱から抜け出すために、私は何か楽しみを見つけようと思いました。

 ・・・

 ・・・「句集を編もう」。そう決意しただけで、気持ちがウキウキしてきました。新しいことに挑戦するワクワク感の前に、いつのまにか鬱は吹き飛んでいました。

 ・・・

 おいしいものを食べ、おいしいお酒を飲む。情熱をもって取り組める、自分らしい楽しみを見つけ、一日一日を大切に生きていく。九十五歳にしてまだまだ不完全な人間として、これからも挑戦し、成長してければ嬉しいですね。

 

P99

寂聴 ・・・地図を見ても、地球儀を見ても、日本は本当に小さい。小さいでしょ。子どもは愕然とするんじゃないですか。日本はこれだけ?って。よその国は大きいじゃないですか(笑)。

 

池上 いや、それは、すぐ近くにユーラシア大陸があるから、小さく見えるだけです。日本の国土サイズをヨーロッパに持っていくと、ヨーロッパでは大国なんですよ。面積で言うと。

 

寂聴 へぇ、そうなんですか?

 

池上 日本列島って細長いでしょ。しかも島が散らばっている。これを全部合わせて一つの塊にしてヨーロッパに持っていくと、ドイツより大きいんですよ。

 

寂聴 ええ⁉ほんと?

 

池上 国連加盟国百九十三カ国の中で、面積で言うと六十番ぐらいなんですよ。

 

寂聴 知りませんでした。小指みたいに小さいと思ってた。

 

池上 真ん中より上なんです。

 

寂聴 へえー。そうですか。

 

池上 すぐ近くにものすごく大きな国があるから小さく見えるだけです。だから私はよく言うんです。日本列島をそのままヨーロッパに持っていってごらん。ほら、ヨーロッパでは大国なんだよって。

 

寂聴 子どもたちに教えたほうがいいですよ。そんなことだれも教えてくれないですもの。わたし、九十五歳ではじめて知った。

結果をどう受けとめるか

OVER - 結果と向き合う勇気 - (JBpressBOOKS)

 

 過信しないこと、日々の積み重ねが結果である・・・全くその通りだなぁと。

 とても真っ当なお話と共に、コントロールできない結果については言い訳を用意しておく(;^_^A、という対策も、大切だなと思いつつ読みました。

 

P204

 結果に対する考え方はその選手の成否を分けると言っても過言ではない。

 僕は自己評価は低めがいいと思う。

 ・・・成績などは目に見える結果ではあるけど、実力とつねにイコールとは限らない。

 ・・・

 そもそも「自分を知る」こと・・・ができていれば、自己評価が高くなることはほとんどない。自分の体、自分の技術、自分のメンタリティ……知れば知るほど、足りない部分が見えてくる。そして何をするべきか、取り組むべき課題がはっきりするはずだ。それはいい結果が出たときも同じだ。

 ・・・

 ・・・

 打たれたら、いままでやってきたことが間違っていた、と言われても仕方がない。だからこそ、結果を出すためには何が必要か。プロフェッショナルとして考え、取り組み、ときには常識とは違っても、取り組む勇気が必要だ。

 ・・・

 中日ドラゴンズの監督を務めていた落合博満さんは、オープン戦でバッターボックスに立ち、一度もバットを振ることなく打席を終えることがあった。結果は見逃し三振だ。最悪である。

 でも、そこには落合さんなりの意図があったのだろう。「球筋を見たい」「感覚をつかみたい」など、その真意はわからないが、結果をとがめる人はいない。

 こうした行動は、落合さんクラスの超一流であれば許されるが、それ以外の選手、特にピッチャーなどは許されない風潮がある。オープン戦ですら結果を求められるのだ。

 ・・・

 でもよく考えてほしい。

 選手たちはシーズンで「結果」を出すためにやっている。その過程であるオープン戦では、シーズンのための準備として課題を持ってマウンドに上がっているはずだ。

 ・・・

 どこで結果を出すべきか。

 それを考えたとき、常識とは違っていても、それがいいと思うのであれば積極的にやってみるべきだ。・・・

 ・・・

 結果を残し続けなければ、一軍には定着できない。だから、結果が大事だ。

 でも、何度も指摘しているとおり、結果は自分でコントロールできない。

 良い結果が出ればいい。自分を知り、過信さえしなければ、前に進んでいける。

 では、悪い結果ができたとき、どうするのか。

 ・・・

 ・・・究極のことを言えば、結果は結果で返すしかない。

 だからこそ、日々できることをやる。

 当たり前のことだけど、その当たり前が難しい。

 ・・・

 結果が良くなかったあと、それを最高の結果で覆す。むしろ、結果でしか自身も評価もその失敗を取り戻すことはできない。

 ・・・

 結局、都合よく試合だけ結果を出す、なんてことはできない。できるのかもしれないけれど、僕はその方法を知らない。

 日々、積み重ねてきたことが出るのが結果なのだ。

 そういう意味で、結果を結果で返すという思いに至れないのは、その前の準備、考えが足りないと言える。

 ・・・

 この日は、どの球種も納得のいくものではなく、結果と合わせて反省すべきところがいろいろとあった。

 ただ、落ち込んでいる場合ではない。しっかり切り替えるためにも、リセットしなければいけない。その方法をいくつか書いてきたが、この日は「今日は疲れていた」と言い訳を作った。

 ・・・

 そのせいだ。仕方がない。切り替えて明日だ。

 そう言い聞かせていた。コントロールできない結果に対しては、そうやって言い訳を作って前を向くことも必要だと思う。

嫌なポジションの経験は必要だろうか

OVER - 結果と向き合う勇気 - (JBpressBOOKS)

 とにかく経験すること、それが自分を知ることにつながり、結果にもつながる・・・という話の中で、嫌なポジションの経験は必要だろうか?という問は印象的でした。

 

P170

「経験」があって「結果」がある。いきなり「結果」に飛びついても長続きはしない。だからまず「経験」をしよう―やってみよう。

 目標があって、それを実現したいと思う人に伝えたいメッセージのひとつだ。

 ただ、ここにも簡単ではない壁がある。

「経験をする」「やってみる」ということが、(意外と)難しいのだ。

 多くの才能あるプロ野球選手と接してきて、なんでやってみないんだろう?と思うことがよくあった。やってみれば、経験さえ積んでいけば、一気に成長できるのに。目標を実現できるのにもったいない……。

 しかし裏返せば、「経験」をすることには、そのくらい勇気がいるということだろう。一歩を踏み出す、行動を起こす勇気だ。

 

P192

 嫌なポジションの経験は必要なのだろうか?

 中継ぎ転向は、このあとの人生に大きな転機となった。

 この年以降、一度も先発のマウンドを踏んでいない。

 だからなのか「どうして受け入れることができたのか?」とよく聞かれた。

 ・・・

 違う任務になるかもしれないが、そこでどう頑張るかを考えないといけないと思った。

 先に書いた通り、先発で投げることではなく、メジャーでやることが僕の目標だった。メジャーでプレーできるのであれば、そちらが「やりたいこと」であり「目標」だったのだ。

 ・・・

 僕の場合、自分の体で先発はもう無理だな、という思いがあった。自分のことを知るほどに、先発では持たない。それが僕の判断だった。

 いずれにしても、「与えられた場所」をまっとうすることこそが、経験をものにするために唯一できることだ。新しい任務にまい進すること、そこで認められて「先発」を取り返す、新たな場所(中継ぎ)で確固たる地位を築く。

 一番ダメなのは、やりたいことができない、と腐ってしまうことだ。

 そして、こうした判断をしていくときに行き着くところは、ここまで書いてきたような考え方ができるかにかかっている。

 自分を知ること。

 目標は何だったのか、メジャーで投げることか、それとも先発ピッチャーとして生きることか。

 では、先発ピッチャーとしての能力はどうか。体はどうか。

 いま、通用しないとしたら、どうすれば通用するのか……。

 楽しめているのか?

 環境のせいにしていないか?

 そうやってしっかりと考えて決めたのであれば、どんな結果であれ後悔のないようにやる意思を持つだけだと思う。

 

自分を知っていること

OVER - 結果と向き合う勇気 - (JBpressBOOKS)

 上原浩治さんの本を読みました。スポーツ選手が結果を出すために、自分の体と心をどれだけ知り抜いているかというのは、こんなに大切な事なんだなと、改めて知りました。逆に結果がついてまわるからこそ、自分をとことん知る経験がたくさんできるのかとも。

 自分にもとても参考になるなと・・・瞑想も、目指すところは、どこまで自分を知ることができるか、それは宇宙を知るとか、この世界を知るとかにつながりますが、それがどこまで広がるかによって、可能性も広がっていくのだよなぁと思いました。

 

P144

 投球フォームや打撃フォーム、トレーニングの仕方、試合への気持ちの持って行き方……どれも、選手によって違うだろう。

 全員に当てはまる正解は、少なくとも野球には存在しない―そう再三指摘してきた。

 ・・・

 でも、その「正解」がないのであれば、自分なりの「正解」を得る方法から探し始めなければいけないのだ。

 ・・・

 では、この自分なりの「正解」を見つけるために必要なことは何かと言われれば、何よりまず「自分を知る」ということである。

 ・・・

 身体的なこと。例えば、どこの筋肉が強く、またケガしやすい箇所はどこか。

 精神的なこと。例えば、どうすればテンション高く試合に持っていけるか、またどういうときに動揺しやすいか。

 心技体すべてにおいて、自分を知らない限りは、「正解」までの道順すらわからないことになる。

 ・・・

 自分を知ることができれば、何をすべきか、どう行動すべきかという自分なりの「正解」が見えてくるようになる。逆に言えば、自分を知ろうとすることなく、または知ることなく、いくら練習を続けても、成長のスピード、目標を達成するまでのロスが多くなってしまう、というわけだ。

 「自分を知る」ためにはどうすればいいのか。

 僕自身の経験で言えば、例えば「自分の体を知る」ことができたのは、ケガが多かったことが大きかった。

 ・・・

 ・・・効果があると聞けばなんでも試すようにしていた。これまで試した方法を挙げればキリがない。

 サプリメントプロテイン、水素水、酸素カプセル……少しでもいいコンディションでマウンドに上がれるよう、それを試したあとの体の反応、調子を見極めるようにした。・・・

 ・・・

 こうして振り返ってみれば、「自分の体を知れた」のは、ケガというきっかけを経て、それをよくするためになんでも試してみた、やってみたからだろう。

 ・・・

 ・・・「経験」してみることによって、自分の感覚、体の反応を見ることが大事であったわけだ。自分を知るためにも、「経験」をしてみることは大事だと思う。

 ・・・

 ・・・「あの人がやってるから」「勧められたから」といって、やっているだけでは、「自分なりの正解」に辿り着けない。きっかけはそうでもいいが、その中で、本当に自分に合っているのか、自分にとっての「正解」なのか、ということに敏感にならなければいけない。

 ・・・

「自分を知る」ためにもうひとつ重要だと思うのが、人に聞く、他人を知るということである。

 ・・・

 ・・・工藤さんから何か盗めることがないかと、練習での一挙手一投足を追った。工藤さんがブルペンに入る、と聞けば、ブルペンに飛んで行った。工藤さんが投げているマウンドの横で、正座をして股関節や、着地の場所を見続けた。

 ・・・

 他にも、桑田(真澄)さんなど先輩ピッチャーから話を聞かせてもらったし、カブス時代にはダルにも教えを請うた。ダルのカットボールは僕のカットボールに比べて質が高く、メジャーのバッターですら打ちあぐねている印象だった。その秘密を少しでも知りたい、と思い握り方や、リリースのときの感覚、そして外から見たフォーム……と、ダルを知ろうと努めた。

 そうやって、人を見る、知ると、必ず自分と比較するようになる。

 すると、自分と違うところ、同じところ……さまざまなものが見えてくる。教えてもらったことが身になったことはもちろんのこと、「自分を知る」ための大きなヒントになった。

いつも心を開いて

羽生結弦語録

 ちょうど今日「心を開いて愛の源につながる」https://www.aqu-aca.com/seminar/openyourheart/というセミナーがあるので、この言葉を・・・

 勝ちたいとか、理想のスケートをしたいとか、そういう強烈な願望と、ここに書きとめたような落ち着いた心と、その均衡がすごいなと思いました。 

 

P25

 いつも心を開いているんです

 心を開いていなければ

 何も吸収できないし

 おもしろくない。

 心を開くことが

 成長の原動力

 

P63

 今シーズンは山あり、谷あり。

 よかったり、悪かったりの

 繰り返しでした。

 この経験は、スケート人生だけでなく

 僕の人生の中で生きてくると思います

 

P103

 2014年2月のソチオリンピックで金メダルを獲得したあとの発言。「今回も被災地を含めた東北の方々や宮城県仙台市のみなさん、また日本を応援して下さっている人たちがたくさんいました。その方々にどれだけ勇気をもらえたか、どれだけ背中を押してもらえたかをすごく感じているので、逆に『本当にありがとうございました』と言いたい。僕という存在の中にたくさんの思いが宿っていると思うので、決してひとりじゃないということを忘れないようにしたい」

 

P154

 試合前には、必ずホテルの部屋を

 きれいにすることを心がけています。

 部屋の中にあるものひとつひとつを

 角度を決めてきれいに収める。

 きっちり整頓する。

 部屋がきれいだと

 運も寄ってくるかなと思う

 

P159

 2014年ー2015年シーズンを振り返って、「苦しい、つらい、楽しい、幸せ。いろいろあって表現しきれませんが、僕の人生で絶対忘れることができない期間だった」と語った。将来について、「今は何も決まっていませんが、レクチャーや講演ができる立場になりたい。それこそ、アスリートとして。オリンピックの経験を活かして、スポーツ界全体を盛り上げられるような存在になりたい」。2015年4月の発言。