人生を生ききる

浅田真央 私のスケート人生

 引き続きフィギュア・スケート(;^ω^)・・・一度ハマるとこうなります(笑)

 浅田真央さんの本です。引退後の心境について書かれていたところが、とても印象に残りました。

 

P142

「選手時代から、チャレンジすることは好きだったし、毎日『今日はこれをしよう』と目標を立ててやっていたのですが、それが二十年も続いて、知らないうちに息苦しくなっていたのかもしれない。引退してからも、目標がないことに困ってしまって。でも、気持ちが決まってからは、新しい目標がどんどん出てくるので、それがすごく幸せです」

 日本で知らない者がいないほどのアスリート、浅田真央であっても、迷い、悩む。だが、そこからいかにリカバリーするかに、彼女の強さが表れたといえよう。

「やりきった」と言えるところまで自身のスケートを追求し、一度けじめをつけ、築き上げたものをすべて手放すことの不安に身を置いたうえで、改めてスケートを選び直した。

「最初は、やる気がなかなか見出せなかったです。でもそういうときも、焦らなくていいんだなって思いました。自分が本当に動き出したいと思うまで、休んでいていいんだなって……」

 ・・・

「それは、焦りましたよ。でも、外に出て、刺激を受けるのは大事だなと思いました。私もいろいろな場所に行き、いろいろな人に出会ったことで、自分の知らなかったお話がたくさん聞けました。それを自分で理解して、『こういうことなのかな』と思えたことで、動き出すことができた。だから、家にこもっていてはだめなんですね」

 一時は、家から出ずに、「冬眠に入ったような」気持ちだったときもあるのだという。だが、外に出て、刺激を受けることで、また気持ちが切り替わった。

「休む時間は必要でした。スケートでできることを全部やりきった、と心から思えたことも必要だったし、そのあとの充電期間も大事だった。そこからの、また新しいことへのチャレンジ、です。・・・」

 ・・・

「どんなことでも、人生は一回きりだから、まずはチャレンジしてみるのもありだと思います。それが失敗してしまったり、無理だなと思ったら、その次には挑戦しなければいいだけのこと。チャレンジせずに見送ってしまうのはもったいないし、楽しくないと思います」

 ・・・

 そういうふうに考え方をポジティブに変えていくために、鍵となった出来事はあったのだろうか。

「自分を外から見て、『あ、私、いったい何をしてるのかな』と思ったことがきっかけでした。自分が気づいて、自分が動かないとはじまらないんですね。周りの人に言われて気づくこともあるけど、やっぱり自分が、ぐっと前を向いて、動きはじめないと。『このままでいいのかな?』と思って、重い腰をぐっと上げて、そうしたら動き出せたんです。やることって、最初はウィンドウショッピングとか、街歩きでもいいと思います。動き出すと意外にスムーズにいけるんです」

 ・・・

「たとえば、大学を卒業しても、本心では何をしたらいいのかわからない、という人もいると思います。みんなはどうやってそういうことを乗り越えるのかなと思っていたんです。・・・

 私もすごく迷ったので、こうするといいですよなんていうアドバイスはとてもできないですが、小さなきっかけが、大きな道を拓いていくのかなと、今回強く思いました。本当にちょっとしたきっかけや、少しでも興味のあること。そのときは意味がなくても、あとからためになることもあるでしょうし、挑戦をしてみて駄目だったとしても、それも挑戦をしてみなければわからなかったこと。だから、何でも挑戦してやってみることが大事なのかなと感じています」

 ・・・

「人間の生きている世界には、本当は自由はそんなにないと思うんです。人生は修行の場。自由に選ぶこと、自由に生きることが難しいなかでも、自分の人生をちゃんと生ききることが大事なんだと思います。それは本当に感じていることです」

今への感謝

宇野昌磨の軌跡 泣き虫だった小学生が世界屈指の表現者になるまで

 現役の時にその体験の貴重さをもっとわかっていれば…という言葉を聞くことが、昔は結構あったような気がするのですが、今アスリートとして一番力を出せる時に、それを自覚した上でやれるというのは、すごいなーと思いました。

 

P245

「緊張感―それが辛くて、不安で、逃げたいという人もいます。でも試合での緊張感って、選手をやっている今しか味わえないものですよね。今限定の、貴重な経験だと思う。だから僕は、しっかり緊張したいんです。そして、緊張のなかでいい演技ができた達成感を楽しみたい。それはきっと、一生で今しか楽しめないことですから」

 ・・・

 現在の彼は、外野の声にも振り回されない強さを持っている。ファンの声にも浮かれず、メディアのプレッシャーも気にせず、自分を取り巻くあらゆる熱気に、ここまで動じない選手も珍しい。

「昌磨は、すごく冷静なんです。トップの選手でも、佳菜子みたいに言われた言葉にいちいち傷ついたり、ほめられたら単純に大喜びしたりする選手もいます。それが、普通ですよね。でも昌磨は、まわりから何を言われても冷静な判断ができる。ずっと以前、ノービスで全日本ジュニアに出たころなどは、試合で興奮しすぎるようなこともありました。でも今は、言われた言葉やまわりの雰囲気に対して、冷静に判断できる。大人だな、彼は大丈夫だな、といつも思っています」

 そばで見ている美穂子コーチも、太鼓判を押す昌磨の冷静さ。

 ・・・

 ・・・2018年2月。宇野昌磨はまだ二十歳になったばかり。・・・小さなころからの夢、オリンピックという舞台を楽しんでほしい、と思った。

「・・・やっぱり僕は勝負が好き。試合は楽しい。それも、レベルが高くなればなるほど楽しめるんです。

 今シーズンは何度も、すごく楽しく試合ができました。楽しむといっても、いろいろな『楽しむ』があります。ただ気楽に楽しむのもいい。でも今は、思い切りよく全力で攻められることに楽しみを感じられたらいいな。楽しみ、かつ真剣に。その両立がちゃんとできるように。楽しまなければ、身体も思うように動かない。でも楽しんで、いい緊張感で身体がしっかり動けば、いつもの練習の成果に、さらに気合いをプラスした演技ができるんです。僕、本当にうまくいってる時は、演技中も笑顔になってしまうんですよ!そのくらい『楽しめてる!』って気持ちを、実感できたらいい。心から試合を楽しんで、それが気持ちだけでなく、表情に出てしまうくらいの!そんな笑顔で滑る試合を、してみたいな」

 ・・・

「今の人生が、僕は幸せ。スケートだけができている今が、本当に楽しくて、幸せなんです」

自分に嘘をつかない

宇野昌磨の軌跡 泣き虫だった小学生が世界屈指の表現者になるまで

 宇野昌磨さんのYouTubeを見ていたら、お友だちのフィギュアスケーター友野一希さんと本田真凛さんが「うまい選手ってみんな素直、自分に正直」ってしゃべってる所があって、「素直に、自分に正直に」ってほんとに大事だなと改めて思いました。

 

P202

 史上初の4回転フリップジャンパー―そんな称号とともにシニア2年目を迎えるこの年、・・・

 注目度もうなぎのぼりで、シーズンオフもテレビ、雑誌などの取材が目白押しだ。・・・聞いてみた。取材が嫌になったり、面倒になったりはしない?

「うーん、取材は好きではないです。雑誌や新聞、ふつうの取材はいいんですが、テレビの生放送とか、・・・僕、絶対緊張するんですよ!でも僕たちが取材されることで、フィギュアスケートが成り立っているところはありますからね。

 それに試合が終わった直後の取材は、自分のためにもなるんです。特に悔しい演技のあと、もし取材がなければ、僕は自分の気持ちに気づかないふりをして、自分に嘘をついてしまいがちだから。自分は何が間違っていたのか、どこが悪かったのか。本当は気づいていても、悔しいから認めたくない。意地を張って、『ここは悪くなかった』『僕は悪くなかった!』って、思っちゃう……。

 でも取材で人に聞かれれば、答えることになります。『今日は直前の6分の練習が間違っていました』『振り付けに身が入ってなかった』『ジャンプがちょっと、焦ってました』『緊張していないと言いながらも、緊張してました』って。聞かれて答えれば、認めざるをえない。素直になって、自分で自分の気持ちにも気づいて、ちゃんと振り返りができるんです。『ああ、練習が足りなかったってこと、自分で認めたくなかったんだな』なんて、わかる。それがすごく大事だってことに、ジュニアの最後のころに気づきました。大きな試合に出場するようになって、僕もいろいろな経験をするようになった。今までとは勝手が違うことも、多くなった。これまでみたいに、わがままに自分のやりたいことはやる、やりたくないことはやらないではダメかなって、思うから。

 僕、嘘をついたり隠したりするのが、すごく下手なんです。だから取材の時は、その時思っている本当のことを話してしまう。その時の正直な気持ちそのままなので、毎回話すことが違うかもしれません。悲しい気持ちの時はすごくネガティブな取材になりますし、うれしい時にはうれしさもそのまま、隠せないんです」

あきらめないでがんばれる

宇野昌磨の軌跡 泣き虫だった小学生が世界屈指の表現者になるまで

 12,13歳の頃のインタビュー、こんなにまっすぐな感じってすごいなぁと思いました。

 浅田真央さんの本にも、引退後の言葉として「すごく難しかった時期も、自分の人生にはあったんですけれども、あきらめなかったことが、自分を強くしてくれたと思います。私はずっと、あきらめない気持ちだけをもって進んできました。これからの人生も同じだと思います。・・・」とありました。

 

P34

「僕の一番いいところは、たぶんジャンプでも、表現でもないと思う。

 これは浅田真央ちゃんをずっと見ていて、大切なんだなって気づいたことなんですけれど……練習でどんなにミスしても、『うまくいかないから、もう練習やる気ない!』って態度だけは、絶対見せないようにしてる、そのことなんです。

 真央ちゃんはどんなにいっぱい失敗しても、絶対にあきらめないで、いつも最後までちゃんと練習していた。それを見て、僕も見習うようにしたんです。もちろん試合であきらめないことも大事だけれど、毎日の練習をあきらめないでできなかったら、試合でもきっとできない。だから練習から!毎日最後まで、手を抜かないで練習して、試合でもおんなじことができるように。そのために、がんばっています。『あきらめないでがんばれる』、それが一応、僕のいいところ、かなあ。

 ・・・

 12歳の彼に会った同じ日、樋口美穂子コーチは楽しそうに昌磨のことを話してくれた。・・・

「昌磨は人間的には、すごい努力家。私も尊敬しちゃうくらいの努力家で、『あきらめない』、その気持ちはすごいと思います。たぶん男の子は、もっと身体能力のある子がたくさんいると思うんですよ。彼はそれほど力もないし、ジャンプ力があるわけでも、特別踊れるわけでもない。身体も小さいですし、超天才ってわけではない、でも、どの子よりもずっと努力をするんです。毎日毎日、泣きながら!自分ができないことが悔しいって、いっつも泣いています。

 振り付けだって、すぐには覚えられない。でも一生懸命覚えようとして、次のレッスンまでには必ずできるようにしてくる。簡単にぱぱっと覚えちゃう子は、次に私が見る時に、『あれ?私のした振り付け、こんなだったかな?』と思うことも多いんですが、昌磨は逆。なかなか覚えないのに、次のレッスンでは完璧にしてくるんです。

 そんな努力は本当に小さいころから変わりません。ただただ努力でここまで来るなんて、なかなかできないこと。努力できることも才能のひとつなのかな、と昌磨を見ていると思いますね」

 

P51

 ・・・13歳の昌磨が話してくれたこんなエピソードもまた、印象に残っている。

「僕は、努力家?うーん、練習をがんばること、努力することは……苦しいです。でも苦しいけれど、練習すればそれなりに、うれしいことも返ってくるから。努力した分だけ、ご褒美がもらえる。『練習したから、このジャンプが跳べた』とか、『練習したから、いい成績が残せた』とか、そんなことが今までもいっぱいあったから、だから努力できるんだと思います。・・・

 ・・・

 練習でよく泣いてるって、みんなが言ってますか?最近は、あんまり泣いてないと思うけどなあ。・・・昨日は跳べたのに、今日は跳べない、とか・・・そういう時は悔しくて泣けてくるんです。やっぱり負けず嫌いだからかな」

 ・・・

「僕は、負けず嫌い。でも試合では……他の人にじゃなくて、『自分に』負けず嫌い。試合の時だけは、自分との勝負になります。・・・だから試合でいい成績を残すことも大事だけれど、一番は自分が満足するいい演技をすること。そこが一番、『自分との戦い』になります。・・・」

どんなときも自然体で

兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨

  フィギュア・スケート関連の本ばかり読んでますが(笑)

 宇野昌磨さん、緊張するときは緊張するそうですが、いつ見てもマイペースに見えて、かといって、周りに対する気遣いもあり、面白い魅力のある方だなーと思っていたら、ああそんな感じなんだ・・・というエピソードがこの本に載っていました。

 

P98

 ・・・2016年、アメリカ東部のボストンで行われた世界選手権・・・

 この大会で、昌磨は7位という結果に終わった。

 ショートプログラムは4位という位置につけたのだけど、フリーでミスが相次いだため、順位を落として、試合を終えることになった。

 試合のあと、昌磨は、とんでもなく落ち込んだそうだ。

「もう、僕は何をやっても駄目なんだ、駄目なんだ」

 このシーズンは、昌磨がシニアに上がって最初の年だった。そこで、出場権をつかむことができた初めての世界選手権だった。

 大会に向けて、強い意気込みがあったんだと思う。

 昌磨は、これ以上ないというくらい、しっかり練習を積んで臨んだ。

 練習だけではなかった。生活態度も改めて、いわゆるきちんとした生活を送るようにしていた。

「やるべきことは、やった」と言えるくらいの準備をして、大会を迎えたはずだった。

 なのに、とてもじゃないけれど、満足というのは程遠い演技しかできなかったから、「こんなにやったのに」、と心の底からがっくり来たのだと思う。

 あまりにもひどい落ち込み方に、美穂子先生と母は「目が離せない……」と、心配するくらいだった。

 ・・・

 大会のあと、昌磨に変化が起きた。

 ふだんも、そしてどんな大会の前でも、自然体で過ごすようになったことだ。

 生活面からきちんとして、練習もめいっぱい頑張って、あらゆる面で備えて臨んだ大会だったのにいい滑りができなくて、特別な準備をすることに意味がないと悟ったらしい。

 それからは食べたいときに食べ、眠りたいときに眠るようになっていった。

 その方が、昌磨らしかった。

 

P132

 昌磨は、感受性が強い人だなと思う。

 ・・・

 それに、人にとても気を遣い、優しさや思いやりも持っている。

 ・・・

 ・・・昌磨と同じ高校の先輩から聞いた話だ。

 高校で、昌磨と仲の良い子が、1人で泣いていたとき、黙ってずっとそばに座っていたことがあったのだという。

 何も喋らずに、座っていただけ。

 その子が泣きやんだとき、昌磨が座っているのに気づいてびっくりし、「昌磨、いたんだ!」って言ったら、昌磨は、こう答えたそうだ。

「うん、何かほっとけなくて」

 昌磨は、人の気持ちを傷つけないように、考えて喋る。

 自分の言葉で、人が傷つくのを極端に避けて話す。

 でも、人から傷つけられることを言われても黙るだけ。

 言い返したりはしない。

「我慢すれば、ここで終わるから」

 小さい声で、教えてもらったことがある。

 信じている人以外からは、何を言われても「面白っ!」って、全然気にしない。

 ・・・

「関係ない人に、何を言われても気にならないんだ。どんな風に書かれても、言われても、かえって面白いんだ」

 そう答える昌磨に、強いな、と母は思ったという。

 でも、信じている人の言葉は、心で聞く。

 知っている人の言葉には、落ち込んだりもする。

 そんな昌磨を、まわりの人は、みんな知っている。

緊張のコントロール

 

奇跡なんて、起きない。 フィギュアスケートマガジン取材記2015-2019

 自分の心の中をここまでしっかり分析できるってすごいことだと思うと同時に、「絶対にプレッシャーとして降りかかってくることを考えているなということを、ちゃんと認めてあげられた」というのは、重要なポイントだと思いました。

 心の中にあることはすべて、「ちゃんと認めてあげる」と、心がいい状態に保てます。

 

P55

 2015年11月27日、NHK杯SPでの「長野の衝撃」は、翌28日になっても収まらず、むしろ倍加した。この日、フリーの演技に臨んだ羽生は、・・・得点216.07、SPとの合計322.40は、すべて世界最高。・・・

 そんなリンク内の出来事と相まって個人的に忘れがたいのは、スタンドのファンが泣いていたことだ。記者席の横のブロックにいたファンは、両手に応援ボードを握りしめ、「ありがとう!ありがとう!」と言いながら、はらはらと涙を流していた。見回してみると、その人だけでなく、周りもみな立ち上がって何かを叫んでいる。羽生結弦の演技は、人を泣かせ、叫ばせる力を持っている。そんなことを思いながら、僕はミックスゾーンを目指して席を立った。

 ・・・

ーまず、今の心境は。

羽生 本当にうれしいです。・・・(点数には)正直びっくりしましたし、僕自身、なんか試合に入る前に「300点取りたい」とか「フリーで200超えたい」だとか、そういう気持ちも少なからずありました。ただ、そこにちゃんと気づくことができ、また、それによって自分がプレッシャーを感じているということに気づくことができたのも、本当に今までのたくさんの経験があったからこそだと思うので、・・・

 ・・・

―「最初は緊張していた」と言っていましたが、その緊張は「記録を出してやるぞ」とか「ノーミスでやるぞ」という気持ちから来ていたのでしょうか。

羽生 ・・・ソチ・オリンピックのフリーの時にも同じことを言ったと思うんですけど、気づいたら金メダルを狙っていた。(自分の演技が)終わった瞬間に「あ、金メダルなくなったな」と思ったと同時に「ああ、自分は金メダルを意識して緊張していたんだな」と思ったんですけれども、それが今回のNHK杯ですごく生きて、自分がもう、この会場に来る前から「(フリーで)200点超えしたいと思っている」というのと「(総合で)300点超えたい」というのと「ノーミスしたい」っていうふうに思っているのが(自分でわかった)。やりたいこと、絶対にプレッシャーとして降りかかってくることを考えているなということを、ちゃんと認めてあげれたんですね。で、「あ、緊張してるんだ」と。緊張しているから、じゃあこうしようというのがある程度、今回はわかってできたものだったので、・・・少しでもコントロールできた精神状態の中でフリーはできたのかなと思います。

 ・・・

―一つひとつ技を決めていく中で一番最後、どのような感情を持って滑っていたのですか。

羽生 とにかく一つひとつ丁寧にこなしたいなと思っていました。・・・一つひとつに自分の気持ちを込めて、自分の今までの練習を信じて、自分の体を信じて演技していきましたし、また、一つひとつのジャンプが決まるごとに歓声をくださる皆さんの声や熱い視線、そして実際に聞こえるわけではない心の声というか、日本中、世界中から力をもらっているような感覚がありました。

 ・・・

 ・・・初めて羽生の「大会取材」を通しで経験してみて、感じたことがあった。演技後の囲み会見、そして公式会見と、羽生結弦が発した言葉は、なんと純度が高く、嘘がないのだろう。もちろん、百パーセント、すべてを語っているわけではないかもしれないが、口にした言葉のすべてに彼の責任感が宿っていた。

 

奇跡的な瞬間に立ち会う幸せ

 

奇跡なんて、起きない。 フィギュアスケートマガジン取材記2015-2019

 羽生結弦さんに関する本を色々読むと、取材する記者や、コーチをはじめとする周りで支える人々から、彼に関わる喜びというか、何かを超えた思いが伝わってきました。

 この本の著者は、いったん平昌オリンピックのあと、アイスホッケーの発展に関わりたいということで、フィギュアの取材から遠ざかったそうですが、また戻って来た時のことをこんな風に書いていました。

 

P358

 1年ぶりに羽生の話を聞き、気づいたことがあった。彼の話を聞く前と、聞いた後では、自分の中の考えが少しだけ変わっているのだ。そうか、確かにそういう考え方もあるよな。オレは今まで、そこに気づいてなかったな。そんなふうに、自分の内面世界にちょっとした変化があるのだ。それで人生が変わったとか、大げさなことを言うつもりはないけれど、そういう小さな発見、変化を感じるのも、この「旅」の魅力に違いない。

 ・・・

 ・・・

 ・・・羽生は「今でも感覚を追い求めている」「完璧だった自分」をイメージするものとして、2017年3月、ヘルシンキでの世界選手権を挙げた。SP5位と出遅れ、フリー『ホープ&レガシー』で逆転優勝を果たした、あの大会だ。「奇跡の優勝」。そんなふうに報じたメディアがあったが、現場で一部始終を見ていた者として「奇跡」という表現がしっくりこなかった。確かに奇跡的ではあったけれども、けっして奇跡ではないと思ったのだ。SPでつまずいた理由を羽生とチームが分析し、数々の経験から策をひもとき、日常において磨いてきた技術と集中力を出しきって手にした、会心の勝利だった。

 ・・・

ヘルシンキ世界選手権は、SP5位からフリーで世界記録を更新して逆転。「奇跡の優勝」と報じられましたが、「奇跡」という言い回しに違和感を覚えました。そもそも羽生選手はスケート、スポーツ、あるいは人生において奇跡は起こると思いますか。

 

羽生 奇跡も何も、そういう練習をしていたので(笑)、自分の中では。

 

―奇跡ではなく、必然の勝利だったと。

 

羽生 うん、「当然やるよ」っていう…。ただ言ってみれば、失敗だって、ああいったノーミスだって、すべてが偶然を含んでいると思うし、必然も含んでいると思います。それはやっぱり練習によって、どういうふうな練習をしてきたかとか、そこまでのコンディションづくりだとか、もっと言えば精神状態とか、環境とか、そういうものがいろいろ含まれていると思うんですね。それによって偶然というものが起こるし、必然的なものがちゃんと出てきたりする。でも、その必然の中でどれだけクリーンなジャンプを増やすかっていうのは、やっぱり一番は自分の練習でつくり上げられるものだと思うんですよね。

 

 すべての事象は日常の積み重ねの延長で、奇跡なんてものは存在しない。羽生結弦は自らのスケートを通じて、それを教えてくれた。あのヘルシンキにおいて、そして平昌五輪とそれに向かう日々の中で。

 一方で、こうも思う。「これって奇跡なんじゃないか」。そう思える場面に立ち会う瞬間こそ、人生における幸せではないかということだ。