夢をつなぐ

夢をつなぐ  山崎直子の四〇八八日

 宇宙飛行士の仕事って、語学力や知識量の他に、技術的な面も、体力的な面も、そして精神的な面も、あらゆる能力が備わっていないと命に係わるという、大変なものだなぁと驚きつつ読みました。

 こちらは、候補生に選ばれたあと、結婚、出産を経て、訓練中のエピソードで、当初日本で訓練できるはずだった予定が変わり、仕事と家族の板挟みになってしまったというお話で、この本の大部分は宇宙に向かって進んでいくワクワクする話なのですが、こちらがなんというか、底力のすごさが感じられて、すごい・・・と思いました。

 

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 二〇〇一年九月のロシアでの水上サバイバル訓練を終えて、私は九月十九日をもって基礎訓練を終了。そして九月二十六日に、晴れて私はISS搭乗宇宙飛行士に正式に認定された。・・・

 その約一年前の二〇〇〇年十二月に、私は山崎大地と結婚した。

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 彼は人工衛星の制御ソフトなどをつくる民間企業に勤務しており、宇宙センターで仕事をしていた。彼の夢はISSの運用管制官になることで、そのためにISSの運用手順書や運用ルール作りをしていた。

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 前述したように、・・・「ISS長期滞在専門の宇宙飛行士」であった。

 だからスペースシャトルの運行に携わる任務はなく、訓練の拠点はあくまで日本で、その時々の訓練の内容によってアメリカやロシアへ「出張」することになっていた。

 しかしコロンビア号の空中分解事故が、このプログラムの見直しを迫ることになる。

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 ・・・NASDAの方針が転換し、私がロシア、アメリカに長期滞在することになり、家族も翻弄されることになる。

 私たち夫婦は、夫が三か月の育児休暇を取り、引き続き私が三か月の育児休暇を取り、その後は生後八か月の娘を保育園に入園させて、家庭と子育て、そしてそれぞれの仕事を両立させていた。

 ところが二〇〇三年七月より三か月間、私が訓練のためロシアへ行くことになった。生後十一か月の娘を置いて、単身ロシアに行くことには不安もあったが、

「大丈夫、まかせておいてくれ」

 と力強く言った夫の言葉に勇気づけられ、私はロシアへと向かった。

 その間、夫と娘は「父子家庭」状態になった。

 私がロシアで訓練を受けている間、夫は自分の仕事、育児、さらには認知症を患った義父と体が弱った義母の介護と、超多忙な毎日を過ごしていた。

 そんな夫が、娘が一歳になる直前に、突然ロシアにやってきた。それもまだ幼い娘を連れて……。

 この時は、北の地で、三人一緒に娘の誕生日を祝おうという彼の気持ちが、心底うれしかった。

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(長くなるので、明日につづきます)