嫌なポジションの経験は必要だろうか

OVER - 結果と向き合う勇気 - (JBpressBOOKS)

 とにかく経験すること、それが自分を知ることにつながり、結果にもつながる・・・という話の中で、嫌なポジションの経験は必要だろうか?という問は印象的でした。

 

P170

「経験」があって「結果」がある。いきなり「結果」に飛びついても長続きはしない。だからまず「経験」をしよう―やってみよう。

 目標があって、それを実現したいと思う人に伝えたいメッセージのひとつだ。

 ただ、ここにも簡単ではない壁がある。

「経験をする」「やってみる」ということが、(意外と)難しいのだ。

 多くの才能あるプロ野球選手と接してきて、なんでやってみないんだろう?と思うことがよくあった。やってみれば、経験さえ積んでいけば、一気に成長できるのに。目標を実現できるのにもったいない……。

 しかし裏返せば、「経験」をすることには、そのくらい勇気がいるということだろう。一歩を踏み出す、行動を起こす勇気だ。

 

P192

 嫌なポジションの経験は必要なのだろうか?

 中継ぎ転向は、このあとの人生に大きな転機となった。

 この年以降、一度も先発のマウンドを踏んでいない。

 だからなのか「どうして受け入れることができたのか?」とよく聞かれた。

 ・・・

 違う任務になるかもしれないが、そこでどう頑張るかを考えないといけないと思った。

 先に書いた通り、先発で投げることではなく、メジャーでやることが僕の目標だった。メジャーでプレーできるのであれば、そちらが「やりたいこと」であり「目標」だったのだ。

 ・・・

 僕の場合、自分の体で先発はもう無理だな、という思いがあった。自分のことを知るほどに、先発では持たない。それが僕の判断だった。

 いずれにしても、「与えられた場所」をまっとうすることこそが、経験をものにするために唯一できることだ。新しい任務にまい進すること、そこで認められて「先発」を取り返す、新たな場所(中継ぎ)で確固たる地位を築く。

 一番ダメなのは、やりたいことができない、と腐ってしまうことだ。

 そして、こうした判断をしていくときに行き着くところは、ここまで書いてきたような考え方ができるかにかかっている。

 自分を知ること。

 目標は何だったのか、メジャーで投げることか、それとも先発ピッチャーとして生きることか。

 では、先発ピッチャーとしての能力はどうか。体はどうか。

 いま、通用しないとしたら、どうすれば通用するのか……。

 楽しめているのか?

 環境のせいにしていないか?

 そうやってしっかりと考えて決めたのであれば、どんな結果であれ後悔のないようにやる意思を持つだけだと思う。