前作が面白かったのでこちらも読みました。
やっぱり面白かったです。
P142
アルバイトは小金を稼ぐ目論見で始めたが、知らないうちに人生で大活躍するスキルを磨くことができていた。
大手チェーンの居酒屋「白木屋」の厨房で調理を担当し、大忙しの時など、フライパン3つを同時に振りながら皿うどんの餡、キムチチャーハン、豚キムチを作りつつ、麺類を茹で、レトルトをチンするような状況で働いていた。
慌てて作ってお肉が少なめだったり、味付けが変わったりしては、お客様をガッカリさせてしまう。一方、材料を多めに使うと、店長が売り上げを計算しながら様々な食材を仕入れているのに、予想より早く品切れを起こし、純利益を減らしてしまう。
お客様に1秒でも早く、毎度同じクオリティの料理を提供するために、何をすべきかを瞬時に判断し、無駄のない洗練された動きでさばかないと、ホールから「調理場何やってるの?」と冷ややかな罵声を浴びせられる。己のプライドにかけて、同時にあれこれ作業する能力が磨き上げられていた。
1年半の経験だったが、この修業のおかげで、複数の事柄を同時並行で行っても頭が混乱せず、反復作業を最短で同じように行えるようになった。このスキルは、実験の効率と精度を高めるのに役立った。お金をもらえて、特殊スキルも身につけることができ、我ながらラッキーだった。
・・・
自分はどんな研究者を目指したらよいのか、深く考えていなかった。「バッタのことならなんでも知りたい」という無邪気な願望そのままに、卵の数を数えたり、卵の長さを測ったり、羽化したての成虫の体重を測定したり、脚の長さをノギスで測定したり、解剖して器官を移植したり……。手法はローテクで、いわゆる生理学的な研究を軸とし、卵、幼虫、成虫の全ての発育ステージで様々なデータを集めていく。
グラフを作成した瞬間に突如現れる棒グラフの高低差や、円グラフのパイのデカさに興奮し、一人で悦に入るのが好きだった。
頭の足りなさは、バイトで鍛えた手際の良さでカバーし、同時にあれこれ作業するのは苦ではなかったので、複数の研究テーマを取り扱うことができたのは幸運だった。
それに、欲深く貧乏性のため、あれもこれも欲しがる性格も役立った。体力が尽きるギリギリまで作業を詰め込み、節操なくデータをとり続けた。なんて面倒くさいことをしているんだろうとたまに我に返るものの、研究に没頭している自分に酔いしれ、些細なことでもなんだか楽しくなり、研究の手を止められなかった。
P223
「バッタが首都の近くまで来ているぞ!」
首都ヌアクショットの側では、普段、サバクトビバッタはなかなか見つからない。・・・
・・・
バッタが急にモーリタニアの首都近辺に出現したことを、バッタ防除を統括しているFAOの担当者は疑ってかかった。例年にないパターンのため、どうせまた現地スタッフの勘違いだろうと信じてもらえなかったのだ。
ババ所長から、
「コータロー、お前の目でしかと見てきてくれ。お前の写真や動画という決定的証拠なら信じるはずだ」
と、特命を受けた。いつもは落ち着いているババ所長に焦りの色が見えた。
道路を南下して70キロ付近で、警備中のセンターのスタッフと合流する。あちこちに集団が飛来しているという。その中の一つに連れて行ってもらうと、確かに黄色のオスの集団がいて絶好の調査対象だ。
・・・
まずは勝負写真を撮影することにした。・・・
・・・
・・・私は防水防塵のコンパクトデジタルカメラ(RICOH WG シリーズ)を愛用していた。ポケットに入るコンパクトサイズな上、とんでもないタフさで、調査中、頼もしい相棒となっていた。
ただ一長一短があり、離れた位置から虫のような小さい対象物をズーム撮影するのに弱く、近づかないと上手にバッタを撮影できない。カップルが続々と集結して来ている写真を撮影するために近づくと、案の定、逆サイドに歩いて逃げてしまう。もぅ、照れ屋さんなんだから。
・・・
・・・やきもきしていると、奇跡が起きた。放牧されている牛さんたちがどこからともなくやってきて、ちょうど逃げて行ったバッタの近くを横切り始めたのだ。巨大生物の到来に恐れをなしたカップルたちは、私に向かって逃げ戻ってきた。わーおかえりなさい。
ちょうど私の目の前でたむろし、自然体でリラックスし始めた。牛さんの粋な計らいで、私とバッタは急接近。ここぞとばかりに近距離撮影を行う。・・・憧れを間近で見られる、人生のボーナスタイムである。
P316
南仏の街モンペリエは学園都市と知られ、中世ヨーロッパの佇まいが今も残る。・・・
モンペリエ郊外のブドウ畑や草原に囲まれた小高い丘の上に、研究所CIRADはある。・・・
・・・
私はCIRADには何度もお邪魔しており、他の研究室のみんなとも面識がある。気心知れた良い人たちだ。・・・
バッタのエサのコムギの芽出しの準備やエサ替え、洗い物はニコラやクリストフが手伝ってくれる。アクリルでこしらえた立派な飼育ケージもたんまりあるし、単独飼育用のケージもわんさかあるし、飼育し放題。すなわち、私は雑用に時間を取られず、実験に全力を注ぐことができる。データを稼ぎ放題なのだ。アホみたいなアクシデントはほとんど起こらず、毎日フィーバーしながらガツガツデータをとれる。世界で最も好きな場所の一つである。
おまけに、文献パラダイス。2万報に迫る文献が管理されており、今では入手が難しい大昔の文献もキープされている。全ての作業をルンルン気分で進めることができる。
P354
この本では、昆虫学者が宿敵サバクトビバッタに挑むというバトルマンガではお馴染みの展開で話を進めてきた。しかし、緻密に組み上げた話の展開を根底から覆し、どちらの主役もペロリと食ってしまうほどの強烈なキャラが存在する。そう、ドライバーで相棒のティジャニだ。
前作『バッタを倒しにアフリカへ』において、彼はたまに盛り上げてくれる脇役として登場した。しかし、少ししか登場していないにもかかわらず、彼の豪快で人情味溢れる行動は、思いのほか読者の人気を集め、・・・サイン会では「私、ティジャニのファンなんです!」としおらしく瞳を潤ませる女性まで出てくる始末。・・・
・・・
ティジャニは義務教育的な学校を卒業した14歳から、車を修理するメカニックとして工場(ガレージ)で働き始めた。手先の器用さと、賢さにより、小さいながらもあっという間に工場で一番の腕利きに成長した。
他の職人たちはかなり年配だったが、工場に修理を依頼しにくる人たちはティジャニを指名し、手持ち無沙汰になる始末。あまりにもティジャニの人気が高まり、出勤待ちをする客まで現れた。客たちは工場の前で待ち伏せして、ティジャニを自分の家に連れていき、こっそり修理させ、修理料金を安くしようとしたのだ。
当然、工場では依頼数が激減し、他の職人は寝てしまうほど暇になり、経営は悪化した。事態に気づいた工場長は怒ってティジャニをクビにした。元々、生活できないほどの低額の給料しかもらえていなかったので、なんの未練もなくあっさり辞めたティジャニ。
評判のティジャニが辞めたため、工場への修理の依頼はさらに激減。困った工場長は給料を倍にするから戻って来てくれとティジャニに泣きついたが、小さい車を修理することはや5年間、すでに飽きていたティジャニは、さらに大きい仕事がしたいと、大きいトラックのアシスタントとして働き始めた。
大型車の修理の仕方、料理などこまごました作業を3年間続け、その後、今度は自分でも運転したくなり、タクシー運転手を始めた。3年ほど働いたところで、パパの紹介でバッタ防除センターに就職した。色々とキャリアを積み上げてきたにもかかわらず、センターはコネ入所だった。
防除センターでは、最初はドライバーとして働き始めた。防除センターには車の整備士がいるが、彼らでさえ修理できない車を単なるドライバーのティジャニが修理するもんだから、センターは騒然とした。しかも、車種を問わず、色んなタイプの修理もできるもんだから一目おかれるようになった。
「なんだこの若造は!単なるコネ入所じゃねーぞ!凄腕だぞ!」
ティジャニの飽くなき探求心は留まらず、特別な通信機器を車に装備する方法や、農薬を散布するためのスプレーの扱い方、電気系統や、施設の水回り整備などにも手を付け、技術力を身につけていった。彼曰く、あれこれやってみるのが楽しかったそうだ。
その後、FAOのプロジェクトでドライバー専任として雇われ、フィールドの悪路での運転に磨きをかけた。フィールドでの運転は、砂丘があったり、悪路だったりとかなり難しい。試行錯誤の末、難攻不落の砂丘エリアをも突破できるほどの腕前となった。
若い頃からのたたき上げで鍛えた確かな技術と安定したサービス精神は高い評判を呼び、大臣クラスの偉い人が防除センターに視察に来るときにはドライバーのご指名がかかるまでに成長していた。
・・・
センターの人たちが砂漠で作業するとき、食生活は粗末なものだった。野菜などはほとんどなく、干し肉に乾燥保存のきく穀物を食べていた。
ババ所長率いる視察部隊が砂漠のベースキャンプを訪れた時のこと。料理に不慣れなスタッフたちは、普段自分たちが食べている物をそのままババ所長に出しては失礼と思い、ババ所長に同行していたティジャニに救いを求めた。
料理にも精通しているティジャニは、近くの街で大量に買ってきた、ちょっと乾き気味のフランスパンに切り込みを入れ、缶詰のサーディン、フレッシュなレタス、黒コショウ、マヨネーズをはさみ、今流行りのサンドウィッチを開発し、振る舞ったところ大好評。
こんな美味い食べ物を砂漠の真ん中で作り出すとか、お前はレストランのシェフかと尋ねられるほど大絶賛を得て、それ以降、ティジャニに料理をおねだりするスタッフが激増した。
砂漠で車が故障したとき、自分で修理できなければ一大事だ。万全を期するためにはメカニックを一人連れていかなくてはならない。砂漠で美味いものが食いたいのならコックを連れていかなくてはならない。それがなんと、ティジャニは、一人で何役もこなすなんでも屋さんだったのだ。
・・・十徳ナイフのような様々な一面を持つ男、それがティジャニであった。
P557
私は誰かからモノをもらったり、奢ってもらったりするときは、「えー!いいんですか‼」と、大喜びでいただくことが多い。
自分が何かを差し上げて、相手が喜んでくれているのを見るのは快感である。私もたまに誰かに奢ることがあるが、喜んでくれたり、そっけなかったり様々である。喜んでもらえたら、奢りがいがあったと、自分が奢ってもらったときよりも嬉しくなってしまう。
・・・
・・・モーリタニアは、イスラムの教えにより、持っている人が持っていない人に分け与えるのは普通のことで、素直に喜んでもらえる。あげたくなければあげなくていいし、あげたい人があげればいいだけで、あげなかったからといってとやかく言われず、非常にスムーズに世の中が回っているように思う。
善意を行うと「自分はなんて素晴らしい人間なのだろうか」と、承認欲求が満たされ優越感に浸ることができ、気分が良くなる。モノをもらう人は、逆に優越感をプレゼントしてあげている的な記述を、どこかで見たことがある。
自分でプレゼントを購入するより、誰かと交換し合ったほうが、余計に嬉しくなる。モノも、優越感も一緒に手に入る。何より、そういった気楽で気さくな人間関係を築けることが、一番の財産となる気がする。
P587
私は今回の発見をするために、人生全振りで研究してきたと言っても過言ではない。研究に没頭する前の学生時代に、心の底から思いっきり遊んだから、吹っ切ることができたのだろう。
一方、高校時代のテニス部では補欠にも入れずに惨めな思いをしたり、大学受験に失敗して一浪したり、若いうちに味わった苦労や挫折は精神を鍛え上げるのに役立った。
・・・
純粋な知的欲求も原動力の一つであることは間違いない。しかし、今思えば、辛い体験が生きるための原動力となっていた。褒められるよりもバカにされることが多く、見返してやるという復讐心に近いというか、負けられないというか、意地のような執念のような思いがずっと心の中で消えることはなかった。この思いが、大変な状況でこそ、頼もしい支えとなった。
・・・
ここ一番、絶対に成功したいときが人生では訪れる。そのときに、これまで失敗した数だけ大切なポイントに気がつくことができ、逆境にも耐えられる。だから人生、失敗した者勝ちだと思っている。後で喜びを回収すればいいだけだから。待ちに待った、熟成された喜びを味わえるのは人生の大きな楽しみでもある。
とはいえ、中には本格的にヤベー案件もある。そんなときは、とっとと片づけたり見切りをつけて逃げたりするに限る。挑むべき問題であるかどうかの見極めは生死にかかわるため、無茶はしてもいいけど、無理はしないほうがよい気がする。
