「烈女」の一生

「烈女」の一生

 女性の人生がたくさん紹介されていて、しかももれなくかなり大変そうで、圧倒されつつ読みました。

 

P2

 私の通っていた女子校には不思議な出し物があった。

 全校生徒がそれぞれグループ分けされ、グループごとに「年齢」を割り当てられて、「その年齢の女性」をテーマに仮装をして行進するというものだ。「女の一生」というタイトルの出し物だった。といってもお題はあってないようなもので、皆好きなようにコスプレしてそぞろ歩いていた。アイドルのような格好をした人や、学ランを着た人、着ぐるみにすっぽり収まった人。それを見て私は「『女の一生』というけど、何のコスプレでもいいなら、『女の』は取ってしまって『一生』でいいじゃん」と笑っていた。女子校の中で私は自分を女というよりは人間だと思っていた。それでいて、女子校というものが、かつて教育機関が女性に門を閉ざしたがために特別に作られたものであることに気づいていなかった。そして「『女の一生』というからには、何か『女ならではの』特別な要素があるはずだ」と無意識に考えていたのである。

 悪人ではなく悪女。豪傑ではなく女傑。偉丈夫ではなく女丈夫。烈士ではなく烈女。

「女流作家」というジャンルについて、ものを書くのは全員男性だと思われた時代と同じように使うことはやめてもいいのではないか、という声が上がってしばらくが経つ。しかし女性が「女性だから」という理由で区別されたり、隔離されたり、追いやられたり、人生を制限されたり、「女ならではの」役割を期待されたりすることは、うんざりするほど歴史に染み付いている。過去の女性の功績を見直し、記録し直すことはフェミニズムの重要なアクションだが、見直せば見直すほど、その事実に直面する。そしてその事実は、現代ではすっかり改善され根絶された、とは言えない。

 現代からそう遠くない歴史の中に生きていた女性の伝記を読むたびに、私は想像してみる。彼女が経験したことは、今私が置かれている状況と、よく似ているのではないだろうか?そのとき彼女は何を感じただろうか?どんな感情の動きを経験したのだろうか?

 この本は、一九〇〇年前後という、私たちよりも少しだけ前の時代に生きていた女性たちの人生を追いかける本である。彼女たちが残した感情の痕跡に、自分の感情を託す本である。

 怒っている私が、怒っていた彼女に、

 疲れている私が、疲れていた彼女に、

 生きている私が、生きていた彼女に、共鳴するために。

 そして少しの希望を見つけたかもしれない彼女の一生に、私自身が少しの希望を見つけるために。

 

P93

 一九〇二年、彼女たちはついにラジウムの結晶を取り出すことに成功する。仄かに放たれる青い光は、妖精のようだった。この頃から、マリーとピエールが体調を崩す出来事が重なった。娘の科学への貢献を応援しながら心配もしていたブワディスワフが亡くなり、父親の最期に間に合わなかったマリーの落胆は大きかった。科学アカデミー会員になるように知人たちに強く勧められたピエールは乗り気でないながら立候補し、しぶしぶ選挙活動を行ったものの、落選してしまう。翌一九〇三年にはマリーは流産に至り、深刻な精神状態に陥る。ピエールのリウマチも日に日に悪くなっていった。

 夫婦の体調不良がどこからが過労で、どこからが心労で、どこからがラジウムによるものなのかは明確には分けられない。ピエールは不安だったが、マリーは仕事の手をとめる気はなかった。ピエールもまた、放射線が身体の組織に及ぼす影響を自らの肉体で実験し、腕にラジウムで火傷を作った。細胞を破壊して火傷を作ることができるなら、病気の治療に活かすこともできるのではないか。ラジウムへの期待が高まるにつれ、夫婦は有名になっていった。

 一九〇三年の終わりに、マリーとピエール、アンリ・ベクレルにノーベル物理学賞が授与された。どういうわけか、マリーは最初は賞の候補に含まれてさえいなかった。周囲の人々の働きかけと、ピエールが自分一人なら辞退すると「言ってくれた」ことで、「キュリー夫人」はようやく候補に挙げられた。ノーベル賞を受賞した女性はマリー・キュリーが初めてだった。

「ポーランドからフランスへ学びに来た貧しい移民が、屋根裏の貧乏暮らしを経験し、優しく偉大な夫の愛を得て、万病に効くラジウムを発見した。しかも、なかなか美しい女!」こんなストーリーはダイナミズムをもって浸透する。ひっきりなしにアポイントメントが申し入れられ、マスコミが追い回す。ノーベル賞は夫婦の知名度を高め、落ち着いた時間を奪い、そして生活と実験のための賞金をもたらした。ただし二人で一人分の賞金を。

 受賞の翌年、ソルボンヌはようやくピエールを教授に迎えた。マリーは教授ではなくピエールの実験室の主任に任命され、ソルボンヌ初の「給料を受け取った女性」となった。さらに翌年、ピエールはかつて落選した科学アカデミーの会員となった。

 ・・・

 一九〇六年四月、事故は突然起きた。雨の夕方、ピエールが荷馬車に轢かれ、何の前触れもなく亡くなったのだ。本当は前触れはあったのかもしれない。彼はラジウムによって歩行が困難になり、視力も低下していた。・・・

 死の翌月、これまでマリーに注意を向けなかったソルボンヌが、ピエールの授業と実験室をマリーに引き継いでもらおうと考えた。ソルボンヌ始まって以来の女性教授が、夫の死によって「結果的に」誕生した。マリーはピエールの授業の続きを話し、夫の功績を確固たるものにすることに奔走し、『放射能概論』を出版する。ラジウム放射能の国際基準単位は「キュリー」に定められた。・・・

 

P276

 この本では、彼女たち自身が書き残した手紙や日記、作品、受けたインタビュー、身近な人が語ったエピソードから、感情が表れている言葉をなるべく探し、フォーカスしたつもりだ。しかし同じ言葉を使ったとしても、彼女自身が彼女について語ることは事実だが、私が語ることは編集である。それでも私は、彼女たちの感情が微かにでも読み取れるようなものを書きたかった。「女は感情的」というけれど、感情ほど重要なものがあるだろうか。それに、もし彼女たちが感情的に怒っているなら、それはごく当然のことではないだろうか。

 子供の頃、私は伝記漫画シリーズを愛読していた。男性の「偉人」がフルネームで並べられる中、マリー・キュリーだけは『キュリー夫人』と題されていた。

 いつの時代も、たくさんの若者が「何者かになりたい」と野望を抱く。しかし野望を抱く若い女の子のうちの何人が、自分が何者かになりつつあるときに投げかけられる言葉を予測できるだろう。「仕事と家庭の両立は?」「何者かになるなら、普通の幸福は諦めるんだよね?」「女の子なのに大々的に活躍を認められたいの?」「そこまで活躍したいなら、一秒も休まずに頑張るんだよね?」という暗黙の言葉を、輪郭のない幸福をあてがわれ、さらにその幸福を失ったかのように見せかけられることを。

 彼女たちは、そんな煩わしさを力強く撥ねのけ続けたのだろうか。いつでも元気で、揺らぐことなく、エネルギーと自信に満ちあふれていたのだろうか。そんなはずはない、と思いこの本を書いた。・・・