支えているのは本能的な好奇心

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

 ただ面白いからやる、やっぱりそれが一番大事だなーと思いながら読んだところです。

 

P192

 たとえば、ビッグバンの証拠となる宇宙背景放射を発見して一九七八年にノーベル物理学賞を受賞したペンジアスとウィルソンのふたりは、「電波天文学」という新たなパラダイムの先駆者となりました。しかし、その研究を始めた当時は、研究所長に「そんなくだらない研究はやめておけ」とも言われたそうです。

 所長に「くだらない」と言われたら、多額の研究費などもらえません。そのため彼らは、衛星通信の研究用のアンテナを流用しました。しかも彼らは、もともと宇宙背景放射をとらえようと思っていたわけではありません。じつは、彼らが研究を始めた当初から、宇宙背景放射の信号はそのアンテナが受信していました。ただ、彼らはそれがノイズだと思って、それを取り除く努力をしていたのです。おそらく、宇宙背景放射の存在が予言されていたことをよく知らなかったのではないかと思います。

 ですから、「この研究は宇宙背景放射を発見してビッグバン理論を確立するためのものである」などと大々的な研究計画書など書けるはずがありません。とにかく、何があるかわからないから研究をする。それが先駆的な研究のスタイルなのです。

 このように、機材の目的外使用や、本来の研究のついでに「ちょっと別のこと」をやってみることを許容しない限り、新たなパラダイムはつくれません。計画書には書かれていない「遊び」の部分が必要なのです。

 では、そういう先駆的な研究をする人は、なぜ、そうまでして研究するのでしょうか?そういう人にも、もっと堅実に成果の出る研究をする能力はあるはずです。そういう研究計画をつくれば、研究資金も獲得できるでしょう。

 それでもわざわざ「そんなくだらない研究」をするのは、それが面白いからです。「真理の探究」といった高尚な表現もできなくはありませんが、それを支えているのは単純な好奇心です。これまで知らなかったことが目の前に次々と現れるのですから、こんなにワクワクすることはありません。

 ・・・必ずしも「世のため、人のため」に新しいことを知ろうとするのではありません。それは、あとからつけた理屈でしかありません。

 ・・・

 そういう単純な好奇心から得られるのは、個別の知識です。しかし人間は、その知識とほかの知識を関連づけたり、そこからさまざまな方向に推論を広げたりすることができる。そうやって個別の知識が溜まってくると、頭のなかで臨界状態の知識がパーコレーションを起こすのです。そのときの感動は、体験したことのある人でないとわからないでしょう。きっと、先駆的な研究にこだわる人たちは、そんな感動のとりこになって、それを追い求めているのです。