仕事?

価値観再生道場 本当の仕事の作法 (ダ・ヴィンチブックス)

 仕事ってなんだか不思議なものだなと、この橋口さんの話を読みながら思いました。

 

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 私は、物書きで食べていけるようになるまで、アルバイトをしたり、派遣社員として働いたりして生計をたてる期間が長かった。

 ・・・

 その頃、「仕事」として胸を張れることといえば、やはりコンビニでレジを打つことや、受付センターで電話をとることだと感じていた。夜中も働くことがあったコンビニのほうは立ちっぱなしで体がきつかったし、受付センターでは電話先のお客さんから怒鳴られたりして心がげっそりしてしまうこともあった。皮肉にも、わかりやすい辛さこそが仕事の実感と繋がっていたのだ。「ああ、働いた」という感覚がそうやって、辛さやきつさにあるのはこの世に代々伝わる刷り込みなのか、それとも当時の私を支えるための方便だったのか。

 ただ、それだけではその仕事に日々足を運ぶまでの力にはならない。もうひとつ必要なのは、私が行かなきゃ大変なんじゃないか、という感覚だ。・・・働かなければならない。世の中のためにも、自分のためにも。仕事なんだから。大げさに言えば、そんなふうに思っていた。

 一方、出版社からの依頼である原稿書きも仕事。なのに、仕事としての実感がなかった。デビュー作が大ヒットしていたわけでもない新人の私など、いなくても出版社はきっと困らないと感じていたからだ。でも、これを橋口いくよに頼んでよかったと思ってもらえる「仕事」をしようと思った。それは、仕事をしているというよりも、自分の作品がなんとか仕事という意味を持てるように必死で書いていたといったほうが正しい。そのために、コンビニは、他のアルバイトさんたちに正直なことを話してシフトを代わってもらった。修理受付センターのほうには、物書きをしていると言い出せず、体調が悪いと何度も嘘をついた。そんな日々が続くと、自分がどんどん社会性を失ってゆくような感じがして「仕事」を持っている感覚も薄れていった。結局、私がいなくてもコンビニはうまくまわっている様子だったし、修理受付センターだって同じだ。たまに出勤すると、何も変わらないように見えながら、自分自身はそこの空気に馴染むのに前より時間がかかるような気もし始めていた。そんな頃、修理受付センターの上司だった小澤さんが笑顔でさばさばとこう言った。

「本の仕事のほうが大変なら、言えよ。うまくやってやるから」

 その手には、私が書いた本があったので驚いた。訊くと、この子はどうもへんな休み方をするな。何かへんだ。何か他に理由があるのかもしれないと思っていたところ、私が本を書いていることをネットで知ったとのことだった。それからは、橋口はどうも体が弱いらしいからと、会社側に伝え、私が休みやすいような環境を作ってくれていたことを後に聞いた。申し訳なく思うと同時に、何よりありがたく、本当に嬉しかった。当時、小澤さんはあと数年で定年というベテランだった。定年退職されてからも、応援に呼ばれて時々働いていたと聞くから、会社からもかなり必要とされる存在だったはずだ。そんな大切な人の手を、会社とはまったく関係ない場所で借りていることも知らず、いつか誰かが認めてくれたらいいなと思いながら書いていた。

 ・・・私が仕事として物を書いていいという証明はこの世のどこにもない。だから時々、自分は無理に世の中に割り込もうとしているんじゃないだろうかという感覚が襲ってくることがある。そんな時、私が物を書く時間を持つことを、ひっそりと認めてくれていた存在が、あの頃確かにあったことを思い出すと、この隙間に座って書いていていいのだという感覚を取り戻せる。今も昔と同じぐらい、ある意味ではそれ以上大変なことはたくさんあるし、体がきついこともある。でもその辛さが仕事の実感に直接繋がることは少なくなった。

 

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橋口 私、昔、家電の修理センターで、苦情の電話や修理受付の電話を取っていたことがあるんですけど、家電って新しい商品が本当によく出るし、いろんな電話はかかってくるし大変なんです。その中でベテランが活躍することもあれば、新人が一生懸命さでクレームをパッとおさめたり、自発的にお菓子を配る人がいたりね。お菓子を配る人にいたっては、実は電話取るより重要な役割だったりする。噂好きなパートのおばちゃんと暇な時にこそこそみんなで盛り上がったりすると、なんか殺伐とした空気が消えたりとか。本当の意味での「仕事」って、就職した後もそうやって、どんどん細分化されていくから、頑なでいるとその大事な隙間を見逃して、働くのが辛くなる一方だと思うんです。