当事者対決!心と体でケンカする

当事者対決! 心と体でケンカする

 違う種類の生きづらさを体験しているお二人の話、興味深く読みました。

 

P75

頭木 私の場合、病院のベッドでカフカにすがりついていましたから。1回2回読んだっていうんじゃなくて、カフカの日記や手紙はもう何十回、もしかすると100回ぐらい読んだかもしれない。勉強しようとか、教養を身につけようとかじゃなくて、じぶんのために。ほんとうに純粋に、じぶんの気持ちの救いを求めて読んでたんで。

 

P78 

横道 手術をしたのは、おいくつのときですか?

頭木 30代前半なんです。そのあとのリハビリがけっこう何年もかかって、30代後半ぐらいになっちゃうと、もう新人としてあつかってもらえないんですよね。韓国ドラマに『30だけど17です』というのがあって、主人公は17歳のときから昏睡状態になって、30歳で眼ざめて、そこから社会に出て働こうとするんですけど、どこも雇ってくれない。これなんかもう、あまりにも共感して、滂沱の涙で見ました。

 不思議なもので、トイレに入ったり、お風呂に入ったりすると、妙に悲しくなって、「ああ、人生これだけなのか、もうこのまま人生、終わるんだろうな」と思って、涙がツーッと出たりして。「病気して、手術して、社会にも出られず、終わるのか」と。樋口一葉の『にごりえ』のなかの言葉、「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」という言葉も、ほんとうに沁みました。暗い言葉ですけど、これを暗唱することで、ずいぶん救われました。よくぞ書いてくれたと思います。

 

P105

横道 コロナ禍になってから、生活はだいぶ変わったんでしょうか?

頭木 私の病気ではプレドニンという薬を使うんですが、副作用として免疫力が落ちるんですよ。感染症になりやすいんです。だれかがちょっとゴホンと言うだけで、すぐ風邪がうつちゃうんですよ。だから、コロナよりずっと前からいつもマスクをして、気をつけてたんですね。買ってきたものは、ぜんぶアルコール消毒していたし、外で食事をするときも、テーブルの下とかで、こっそりアルコールで手を拭いていました。

 ・・・

 ・・・昔、マスクして、サングラスして帽子かぶって歩いていると、ヤクザもよけてましたからね。ヒョロヒョロに痩せてますし、危険人物ですよね。

 それがコロナ後は、もう「正しい人」になったじゃないですか。前はお店に入っても、ちょっと嫌がられる感じがあったのに、いまはもう、ぜんぜんですよね。マナーの正しい人が来たみたいな感じで、にこやかな対応をされる。

 なんか妄想なんじゃないかっていうぐらい、じぶん側に世界が近寄ってきてびっくりしました。

 

P113

横道 闘病記の分野では、病気になって良かったという語りが人気ですけれど、頭木さんとしては、プラスに思える面というのは、ぜんぜんないですか?

頭木 良かったこともあるんでしょうけど、マイナスが大きすぎるんで、プラスは感じられないですね。・・・

 ・・・

 たしか韓国の絵本だったと思いますけど、ウンチが主人公なんです。汚い、臭い、嫌われ者で、じぶんは生きている意味がないとずっと思ってて、それが最後に死ぬってときに、じぶんが肥料になって、きれいな花が咲くんですよ。その花を見ながら、じぶんもじつは役に立つんだと知って、すごく感動して死ぬっていう話で、これを読んで感動している人も多かったです。どんな人にでも役割はあるんだと。

 私は、もうほんとうに腹が立ちましたね。「なんだよそれ、ふざけんなよ!」と思いましたね。役に立つほうがいい、役に立つことはすばらしいという考え方が、もう嫌ですよね。役に立ったら、喜んで満足して死んでいけるみたいなね。むしろ、花のところで死んじゃいけないと思いました。死ぬんだったら、せめて無駄に死ななきゃいけないと思いましたね。「肥料になるな!」と。

 

P117

横道 頭木さんのツイッター・・・2022年2月28日の投稿です。

 

「何をしたか」で、人を評価しすぎだと思う。

「何をしなかったか」も、とても大切。傷つけなかった、人の上に立とうとしなかった、差別しなかった、欲に溺れなかった……。

 人生を振り返って、「あれをやった」と感慨にふけるのもいいが、「あれをやらなかった」と誇りにするのもありだと思う。

 

 すごく印象に残って、「This is 頭木弘樹!」と思いました。

 ・・・

横道 じゃあつぎは、2021年6月7日の投稿。

 

 どう考えても、年寄りで生まれて、だんだん若返っていくほうがいいな……。

 最初に衰えた身体のつらさを思い知って、それからだんだん元気になっていき、そのありがたさを充分に享受して、それから小さくなっていって、かわいい赤ちゃんになり、漏らしても世話しやすく、惜しまれて消えていく……

 

 これ、賛成します。1票を投じます。これが実現していない時点で、神も仏もいないとわかる。

頭木 人生をやりなおしたい願望ですね、これは。・・・

 

P151

 私は宮古島に移住して、びっくりしたんですが、むこうは「人に迷惑をかけてはいけない」というルールではなく、「お互いに迷惑をかけるのはあたりまえ」という感じなんですよね。そのルールでも、ちゃんと社会は回るんです。そして、そのほうがずっと生きやすいんですよ!

 このことは、宮古島に行く飛行機のなかですでに感じました。羽田で飛行機に乗るときは、荷物を上の収納棚に入れるのに、もたもたしている人がいると、通路で待たされる人はすごくイライラした様子をします。人に迷惑をかけているから良くないと、みんな思っているわけです。でも、あせるせいで、かえって時間がかかったりします。

 これが那覇宮古島行きの飛行機に乗りかえるときには、今度は宮古島の人が多いですから、お年寄りがもたもたして通路をふさいでいても、だれもイライラしません。ごく当然のこととして、ふつうに待っています。お年寄りもあせらないので、意外に早く済みます。だれにとっても、このほうが不愉快が少ないです。

 スーパーでも、赤ちゃんとか小さい子どもを連れてやってきたお母さんが、スーパーの表のベンチに座っているおばあさんに、その子を預けたりする。家族か知りあいなのかなと思ったら、そうではなくて、ぜんぜん知らない人だったりするんです。でも、平気で預け、平気で預かる。そして、とくにお礼も言わない。

 親切があたりまえで、お礼なんか言う必要がない社会のほうがすばらしいです。

 いちばん印象的だったのは、病院の待合室での出来事です。車椅子の人を、友だちらしき人が連れてきました。ところが、その友だちは先に診察を終えて帰ってしまったんです。帰りはどうするんだろう、別の人に頼んであるのかなと思っていたら、どうやらだれにも頼んでいないようなんです。待合室でたまたま出会うだれかに頼むつもりなんです。・・・そこでたまたま出会った人に頼めると思っていて、まったく不安を感じていないんです。これ、すごくないですか?私だったら、そういう社会に生きたいです。