サーカスの子

サーカスの子

 著者が子どもの頃に体験した、サーカスでの生活から生まれた本。

 不思議な魅力の、興味深い世界でした。

 

P5

 あのときの風景を思い出すと、僕はいつも不思議な気持ちになる。懐かしいような、あるいは全てが夢であったような、もし人生の時間を巻き戻せるなら、あの風景をもう一度だけ見てみたい、というような気持ちだ。

 それを「郷愁」と呼んでいいものなのかどうか、僕にはよく分からない。

 でも、その感覚は自分の胸の裡にも「帰りたい場所」があるのだということを、確かに教えてくれている気がする。

 ひょっとすると、それは幼い頃に見たいくつかの夢が、いつのまにか自分の記憶として刷り込まれてしまった架空の風景なのかもしれない、とも思う。・・・

 いずれにせよ、僕がそのときいた「サーカス」という一つの共同体は、華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する世界、いわば夢と現が混ざり合ったあわいのある場所だった。だから、というのも変な話なのかもしれないけれど、たとえそれが現実にはなかった記憶だとしても一向に構わない、という気さえする。ただ、僕は、僕にとっての失われた風景を、ここに書くことによって、残しておきたいと切実に思うのである。

 

P206

 女性の名前を宇根元由紀さんという。

 彼女はこの数年前までキグレサーカスでピエロをしていたが、一九八三年、千葉県の木更津で行われた公演を最後に、四年にわたるサーカスでの生活を降りた。

 当時二十八歳だった由紀さんには、「自分だけの芸を生み出したい」という思いがあった。そんななか、知人の伝手を頼り、入学したのがフランスのパリにあるジャック・ルコック国際演劇学校だった。彼女はそこで演技を三年にわたって学び、やがてパリの路上でパフォーマンスをするようになったのだった。

 ・・・

 例えば、日本では道化師のことを「ピエロ」と呼ぶ。ただ、これは本来、パントマイムのあるキャラクターの名前で、この単に「ピエロ」と呼ばれていた道化には、「ブッフォン」と「クラウン」という明確な区別があることを、彼女はフランスで深く学んだ。

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 ・・・授業を受けながら、由紀さんは悩んだ。「ブッフォン」と「クラウン」は何が異なるのか。・・・

 そこで、あるとき彼女はルコックに「クラウンとブッフォンはどう違うんですか?」と単刀直入に聞いた。

「クラウンとブッフォンは違うものだ」

 と、彼は言った。

「歴史も違えば性格も違う。ブッフォンは王様付きの道化師を指す。だが、現代の社会に王様はいないし、現代劇にも出てこない。よって、いま君たちが勉強しているのは、演劇の中での『ブッフォン的な演技』だ。この世の中には王様はいないが、王様のようなものはある。それは君たちがまともだと思っている社会だったり、とらわれている常識だったりする」

 つまり―と彼は強調した。

ブッフォンの核にあるものは批評的な精神だ。一方、クラウンは人間だ。クラウンの核となっているのは人間性、それもセンチメンタルで劣った人間性だ。だから、クラウンは失敗によって客を笑わせるが、観客がクラウンを笑うときのベクトルは『上から下』、自分より劣ったものを見て笑うんだ。しかしブッフォンが笑うときは、観客の方を笑っている」

 よってブッフォンの笑いにはテーマがなければならない―。

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P251

 サーカスは二か月間の公演を終えると、風のようにその土地から去って行く。・・・

 非日常であった旅が日常となるなかで、由紀さんが好きになったことがある。それは亀田さん夫婦も語っていた「場越し」のときに流れる不思議な時間だった。場越しではサーカスの全てが一度解体され、次の公演地に行くまで揺蕩うような時間があった。

 場越しの時間に身を委ねていると、彼女はこれまでに感じたことのない気持ちが胸に湧き上がってくるのを感じた。たくさんの観客で賑わった大天幕や「村」のテントがばらされ、トラックに積まれていく。これまで「お祭り」だった場所が何もない空き地へと戻っていく。

 彼女は「ここには〝どこにもない時間〟がある」と思った。

「一種の不安定さというのかな。例えば仙台で公演がある。私たちはまだ仙台にいるけれど、『仙台公演』と呼ばれた興行はもう終わっている。朝、決まった時間に稽古をして、決まった時間に鳴っていた音楽も始まらない。いつもとは違う時間の流れの中で、次の街はどんなところだろう、という気持ちでいる。その気持ちが何とも言えず好きだったんです」

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 では、そうして流れた四年間という歳月は、由紀さんの人生にとって、どのような意味を持ったのだろう。僕がそう尋ねると、彼女は「そうね……」と少し考えてから言うのだった。

「それは私にとって、すごく大きな時間でした。例えば、自分以外の人たちを前よりずっと信頼できるようになった。私は子供の頃から吃音が酷くて、いつも言葉のことで苦しんでいました。外側に対して緊張するタイプだった自分が、サーカスでの四年間でずいぶんと変われたと思うから」

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 彼女の描いた『サーカス放浪記』にこんなシーンがある。

 退団する日が近づいてきた木更津公演のある夜、彼女は舞台の終わった丸盆でひとり、少し酒に酔って寝転んでいた。海に近い公演地では常に風が大天幕を揺らし、ときおり潮の香りのする強風がテント村を吹き抜けていった。

 ・・・

<「……?」小屋のまなざしを感じたような気がして、私はあたりを見廻した。風はまだ止まない。桟敷裏の暗がりで何か動く気配は、側幕が風に煽られているのだろう。風の夜の天幕はどこか動物的だ。ふと私は思った。もしかすると、私が小屋での夢想を好むのは、この生きた空間が〝胎内〟に通じる感覚を潜在させているからかも知れない>

 そのとき、彼女ははっと思ったのだった。

<そうか、退めるんじゃなくて、生まれて行くんだ>

 そう思うと少しだけ気持ちが浮き立つような気がした。

 丸盆でタバコを吸いながら横になっていると、明日から自分を取り巻く世界が消えてしまうことが不思議でならなかった。いつも誰かがいるサーカスには、寂しさというものがなかった。だが、自分の芸をしたいのであれば、その世界から勇気を出して飛び出なければならない。彼女はサーカスから出ることに、これほどの勇気が必要になるとは思っていなかった。