自然にあるがままに

BLANK PAGE 空っぽを満たす旅 (文春e-book)

 法華経の話、横尾忠則さんの世界、マツコ・デラックスさんの世界、どれも印象に残りました。

 

P222

内田 伊藤さんは現代詩の旗手として長くご活躍ですが、お経を現代語で読み解くということもやっていて、何冊も本を著していらっしゃいます。なかでも私にとって運命的な出会いだったのが『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)なんです。

 ・・・

 拝読して、母にまつわる謎がいろいろ解ける気がします。・・・母がこれだと思ったのが法華経だったんです。

伊藤 お経は法華経が一番おもしろいもの。私も大好きですよ。・・・

 ・・・

法華経「薬草喩品」より

 

カーシャパよ。譬えれば、こんなふうだ。

この全宇宙の、山や川や谷や平原には、

草や木や茂みや林が生えている。

それからいろんな薬草も生えている。

種類もちがう。それぞれ異なる。

そこをみっしりと雲がおおう。

すきまなくこの大きな宇宙ぜんたいをおおう。

一時にひとしく雨がふりそそぐ。

その木と草のまじわるところ、

何もかもがぬれそぼつ。

草や木や茂みや林や、

それからいろんな薬草たちが、

小さな根の、小さな茎の、

小さな枝の、小さな葉の、

中くらいの根の、中くらいの葉の、

中くらいの枝の、中くらいの葉の、

大きな根の、大きな茎の、

大きな枝の、大きな葉の、

さまざまの木々、大きな木や小さな木が、

高い場所、中くらいの場所、低い場所に、

生えているそれぞれが、

それぞれの場所でそれをうけとる。

一つの雲がふらす雨だが、

その種の成分や性質にあわせて、

うけとってのびる。

花がさいて実がなる。

一つの大地から生えたものだ。

一つの雨がうるおしたのだ。

でもそれは一つ一つの草木に

一つ一つちがうものをもたらす。

カーシャパよ、みてごらん。

如来というのもまぎれなくこのとおり。

大きな雲がわきおこるように、

この世にあらわれる。

大きな声をはりあげて、

雲が全宇宙をすっぽりとおおいつくすように、

世界にも、天にも人にも阿修羅にも、

声をゆきわたらせる。

 

現代語訳:伊藤比呂美

(『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』〔朝日新聞出版〕より)

 

P241

 ある晴れた日の昼下がり、美術家・横尾忠則さんのアトリエを訪れた。・・・

 ・・・

「裕也さんとはね、60年代からの古い仲で、ある時たまたまお互い同じメーカーの赤い靴下を履いてたら、彼が突然『横尾さんのと取り替えっこしてくれませんか?』と言ったの。それで取り替えたらさ、彼が履いていた靴下はガーゼみたいに薄くなってて、えー!って。僕のは結構新しかったのに」

 横尾さんが、それはついこの間の出来事だったかのように話しながら苦笑する。

「ほんと、子供みたいなの、裕也さんて。・・・ 

 ・・・

 まだ携帯電話なんかない頃、僕が四国のホテルにいたら突然、裕也さんから電話がかかってきて、いきなり怒るの。僕を探し出すのが大変だったって。ようやく僕がいるホテルを突き止めて電話したら、オペレーターに不審がられて、部屋へつないでくれないから喧嘩したって。

 そんなに必死に探すなんて、僕にどんな用事があるのかと思ったら、『今ニューヨークに居るんだけれど、MOMAに横尾さんのポスターが展示してあるのを見て、嬉しくなって電話したんだ』って言う。こんな大げさなこと、彼しかしないでしょう。なんだかすごい友情を感じたよ」

 ・・・

「僕と奥さんは一回も観念的な会話をしたことがないの」

 私は思わず絶句した。私など、19歳で夫と一緒になってからずっと観念的な会話ばかりで、その都度うまく折り合いがつかないと喧嘩ばかりを繰り返してきたのだから。

 これほど平和な夫婦関係がこの世にあるなんて!私たち夫婦はなんと無駄な時間を費やしてきてしまったのだろう……と羨望と自戒のため息。項垂れる私に横尾さんは、大自然は図らずともそれなりに調和が取れていて、人はなるべく知識や考えに頼らず、自然にあるがままに生きるのがいい、と言った。

「人が観念を突き詰めていけば、破壊に向かう可能性があるし。僕は絵を描いていれば、それでいい。めんどくさい事はしたくない。毎朝、僕がアトリエへ出かける時、玄関先で奥さんが持ち物を確認してくれるの。鍵持った?財布持った?靴下ちゃんと履いた?って。それがすごく助かるの」

 微笑む顔がまるでいたずら少年のようだ。

「僕は、社会と一体化して生きていない」

 では、どんな世界に住んでいるのか?

 横尾さんのとても狭い世界は、宇宙まで突き抜ける広大無辺な世界。この社会は五感で感じる世界で、自分としては解明できない世界に興味があり「わからない」ことが原動力。だからこそ、運命はすんなり受け入れるというのだ。

「しゃーないやんけ、なるようになる」

 なんて安堵を覚える響きだこと!

 ・・・

「とにかくね、軽いのがいいの。目指すところは、どんどん軽くなること。自分も、絵も。それこそ落書きみたいな軽やかさ。でもそれって、むしろ難しい。『いいかげん』って、『良い塩梅』でしょ?」

 

P254

 ・・・シンプルな黒のワンピース、髪はうしろで一つに束ね、顔はファンデーションの下塗りをしただけの、まだ女性でも男性でもない佇まい。・・・

 マツコ・デラックス。さて、あなたは何者なのですか。

「私はバランスの世界に生きている、太ったおっさんです」

 ・・・

「・・・先の方を見てないと、人って不安で、目標的なものを設けないと行動しづらいでしょう。それが私には今、まったくなくて……」

 先の方に何か見えていたはずなのに、近づいたら、「違う!ただのでかい岩だった」。がむしゃらに頑張っていれば、何かが現れると思っていたが、何も現れず、ずっと同じ荒野の一本道を歩いているような感覚だという。

「よく考えたら、これだけ20年近くも同じ場所に居続けたことがないから、私がここにとどまる時間としての限界を迎えているのかもしれない」

 と言いつつ、数秒の間を置いて「うん……待ってる……」とゆっくり頷いた。そうか、マツコさんはまだ、何かが現れるのを待っているのか。

 ・・・

 自分のセクシャリティについては、こだわりがなくなったという。アイデンティティそのものさえ曖昧だ。

「自己完結できるものと、社会と照らし合わさなければいけないものと、自分が認識しているものと、他者が認識しているもの……アイデンティティとは、様々な相手や状況によって揺らぐものだと、経験でわかってしまったの」

 ・・・

アイデンティティ固執するのはむしろ楽だけど、私は誰にでも公平な目を持ち、どこにも属さない人にならなければいけないという思いが強くなってしまった」

 公平なんてこの世にないはずなのに、公平でありたい。「真ん中にいなきゃいけない」と常に〝中庸〟を意識していることで、自分で自分を苦しめているのは百も承知だ。

「苦しんでこその人生と思っている自分は、ドSでドMね。他人から追い込まれたり、あるいは追い込んだりすることに高い免疫が備わってしまった」

 バランスの世界に生きているとは、そういう意味だったのか。

「そもそも究極の幸福を感じたことがないし、絶望をしたこともない。それはコンプレックスのひとつね。そこを知らないと到達できない域があるはず。だから、極端な域まで振り切れることができるような自分勝手な人に、私は永遠に憧れているの。私自身はつまらない人間なのよ」

 そうだとしたら視聴者たちは、まぜにこれほどまでマツコ・デラックスを求めるのか。

「中庸をやりすぎている人間というのも、面白がられるのかもしれないわね」

 

 ところで一週間ほどブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)