なぜ幻覚はいつも起きるわけではないのか

音楽嗜好症(ミュージコフィリア) (ハヤカワ文庫NF)

 病気でなくても起こる音楽幻聴の話と、昨日の記事と似たケース(記憶がないように見えても音楽的能力はそのまま)の話を書きとめておきたいと思います。

 

P112

 コールマンが一八九四年に「精神健常者における幻覚と、感覚器官の局部器質性疾患などとの関連」について具体的に書いているにもかかわらず、「幻覚」とは精神病―脳の総体的器質性疾患―を意味するのだという印象が長いあいだ、一般の人の心にも医者のあいだにも残っていた。一九七〇年代より前、「正気の人の幻覚」という一般的な現象を観察することに抵抗があったのは、そのような幻覚がどう起こるかについての理論がなかったことに影響されていたのかもしれない。一九六七年にようやく、ポーランドの神経生理学者、イエジー・コノルスキーが『脳の双方向性活動(Integra-tive Activity of the Brain)』の数ページを「幻覚の生理学的基盤」に割いた。コノルスキーは「なぜ幻覚は起こるのか」という疑問を「なぜ幻覚はいつも起きるわけではないのか。何が抑制するのか」に逆転させた。彼は動的システムが「知覚、イメージ、そして幻覚を発生させることがありえる……幻覚を起こすメカニズムは脳に組み込まれているが、何らかの特別な条件でのみ作動する」と考えた。コノルスキーは、感覚器官から脳に向かう求心性の連絡だけでなく、反対方向に向かう「逆向」の連絡もあるという証拠をまとめた―一九六〇年代当時はまだ弱かったが、今では歴然としている。そのような逆向の接続は求心性の接続に比べてまばらかもしれないし、通常の状況では作動しないかもしれない。しかしそれが幻覚の発生に不可欠な解剖学的・生理学的手段を提供する、とコノルスキーは考えた。それなら、通常はなぜ、発生しないのだろうか。コノルスキーの説によると、決定的な要因は目や耳など感覚器官からの感覚入力であり、通常はそれが大脳皮質の最高中枢から周辺へ、活動が逆流するのを抑制している。しかし感覚器官からの入力が大幅に不足する場合、それが逆流を促し、知覚したものとの区別を自覚できない幻覚を、生理学的に発生させる(静寂や暗闇の状況でも、通常は「オフ・ユニット」が作動して継続的な活動を起こすので、そのような入力減少は起こらない)。

 コノルスキーの理論が示した簡潔で見事な説明は、すぐに「求心性活動不足」に伴う「解放性」幻覚と呼ばれるようになった。このような説明は今日ではわかりきったことで、同語反復のように思える。しかし一九六〇年代にこれを提唱するためには、独創性と大胆さが必要だった。

 今では脳画像の研究が進み、コノルスキーの考えを支持する揺るぎない証拠がある。二〇〇〇年、ティモシー・グリフィスが音楽幻聴の神経基盤についての詳しい先駆的報告を発表している。彼はポジトロンスキャンを使い、通常は現実の音楽を知覚するときに作動するものと同じ神経網を、音楽幻聴も広範に活性化させていることを明らかにした。

 一九九五年、私はチャーミングで独創的な七〇歳のジューン・Bから、彼女の音楽幻聴を生々しく綴った手紙を受け取った。

 

 最初に始まったのは去年の一一月のある晩、妹夫婦を訪ねているときでした。テレビを消して床に就く用意をしたあと、<アメージング・グレース>が聞こえてきたのです。合唱団が何度も繰り返し歌っていました。テレビで何か教会の礼拝を放送しているかどうか、妹と一緒にチェックしたのですが、月曜夜のフットボールのような番組でした。そこで私は海を見渡すテラスに出ました。音楽はついてきます。静かな海岸線と数少ない家々の灯りを見下ろし、そのあたりのどこからも音楽が流れてくる可能性はないと気づきました。私の頭のなかで鳴っているにちがいなかったのです。

 ・・・

 ジューンはこう書いている。「ある晩、すばらしく厳かな演奏の<ゆかいなまきば>と、それに続いて嵐のような拍手が聞こえました。その瞬間、私はどうやら完全に頭がおかしくなったようなので、詳しく調べてもらったほうがよいと決断しました」

 ジューンは(音楽幻聴を引き起こすことがあると何かで読んだことがあった)ライム病の検査、聴性脳幹反応検査、脳波記録検査、それにMRI検査を受けた。脳波の検査中は<セントメリーの鐘>が聞こえていた―が、異常は何も見られなかった。聴力低下の兆候もなかった。

 ・・・

 ジューンは次のように締めくくっている。「私の音楽はそれほどうるさくないので、とても幸運です。……もしうるさかったら、本当に気が変になったでしょう。静かなときに勢いが増します。何が聞こえているにせよ、ほかに気を取られる音―会話、ラジオ、テレビなど―がすると、たしかに消えていきます。先生は、私がこの新顔と『仲よく』つき合っているようだと思うでしょう。そう、うまく対処はできますが、ひどくわずらわしいこともあります。……午前五時に目が覚めて、眠りに戻ることができないとき、『老いた灰色の雌馬はあのころとはちがう』と合唱されるのは、うれしくありません。これはジョークではなく、実際に起こったことです。同じ句が何度も繰り返し歌われ続けなければ、私も面白いと思ったかもしれません」

 ・・・

 ・・・

 カリフォルニア大学サンディエゴ校のダイアナ・ドイチュは、大勢の音楽幻聴経験者から手紙を受け取り、幻聴が時間とともにどんどん短い楽節になり、一つか二つの音だけになることもある例が、ごく一般的であることに衝撃を受けた。このような経験は幻肢のある人々のそれと似ているかもしれない。幻肢は時とともに縮む、あるいは「入れ子になる」のが特徴的だ。幻覚による腕は縮んで、肩にはさみがくっついたような手になることもある。

 

P488

 ライターのメアリー・エレン・ガイストが、二、三ヵ月前に、父親のことについて知らせてきた。父親のウッディーは一三年前、六七歳のときに、アルツハイマー病の兆候を見せ始めた。彼女の話によると今では―

 

 どうやらプラークが彼の脳のかなりの部分を冒しているようで、父は自分の人生についてあまり憶えていません。それなのに、かつて歌ったことのある歌のほとんどすべてについて、バリトンのパートを憶えているのです。彼は四〇年近く、一二人のアカペラ合唱団で歌っていました。……音楽は彼をこの世につなぎ止めておける数少ないものの一つです。

 自分が何で生計を立てていたのか、今どこで生活しているのか、一〇分前に何をしたのか、彼はまったくわかっていません。ほぼあらゆる記憶が消えてしまいました。例外は音楽です。それどころか、今年の一一月、デトロイトラジオシティー・ミュージックホール・ロケッツの前座をつとめました。……公演の夜、彼はネクタイの結び方がわからず……ステージに向かう途中で迷子になりました―でも、公演は?完璧でした。……彼はすべてのパートと歌詞を思い出し、見事に歌いました。

 ・・・

 もちろんウッディーは、もともと音楽の才能に恵まれていて、その才能を重い認知症になっても失っていないわけだ。そういう意味では、ほとんどの認知症患者は特別な才能をもっていないが、それでも、ほかの心的能力が深刻に損なわれたときでさえ―驚くほど、そしてほぼ例外なく―音楽の能力と好みはそのまま保っている。ほかのことをほとんど理解できないときでさえ、音楽を認識し、感情でそれに反応することができる。ゆえに、コンサートでも、レコードでも、正式な音楽療法でも、とにかく音楽に触れる機会があることがとても大切なのだ。

 ・・・

 ウッディーは歌うことのほかにも失っていない手続き記憶がある。テニスラケットを見せられても、かつては優秀なアマチュア選手だったにもかかわらず、それが何かを認識できない。しかしテニスコートで手にラケットを持たされると、その使い方がわかる―それどころか、いまだに上手に試合をすることができる。ラケットが何なのかわからないのに、その使い方はわかっているのだ。