まだ大丈夫

わたしの居場所

 

 巻末にあった、本田由紀さんの寄稿文に共感しました。

 

P212

まだ大丈夫、と思えた―前に前に進む人々 東京大教授 本田由紀

 

 私はさまざまなデータを通して、主に日本の社会状況を把握する仕事をしているが、気がめいることがしばしばある。国際比較で見れば、日本は望ましくない指標が飛びぬけて高く、望ましい指標は飛びぬけて低い場合が多々ある。

 また、政治の動向に鬱々とすることも多い。うそや違法が後を絶たず、新型コロナウイルス禍で増える困窮者に無策な与党政治家の言動に、悲憤慷慨し続けている。

 そのような私にとって、「わたしの居場所」の連載は、誇張ではなく、まさに砂漠の中のオアシスのように感じられていた。政策でもデータでもない、思考と感情と体温をもつ市井の人々が、それぞれの場所で懸命に、だがのびのびと生きている。その様子を知ることができて、ああ、この社会はまだ大丈夫なのかもしれない、と思うことができたのだ。

 各回で描かれている方々は、取り組みの内容も、地理的な所在も、非常に多種多様である。苦しい誰かを助ける仕事、怒りの声をあげる活動、楽しい何かを広げる動き、新しい活力を生み出す事業……。古くからあるものを大切に続けたり、古いものに新鮮な装いをまとわせたり、まったく無かったものを創り出したり。

 これほど異なっていても、共通していることがある。それは、世の中の常識や慣例にとらわれることなく、個人として大事だと考え感じることに向かって、かつ周りの人と風通しの良い関係を取り結びながら、前に前に進んでいるということだ。だから、とても魅力的なのだ。

 多くは過去のどこかで何かの転機を経験し、そこから自分の方向をつかみとっている。大きな地理的な移動を伴っている場合も多い。それらはある種、人生の断絶なのだが、それを経たからこそ、いまの状態を自分が選んだ「居場所」と感じることができている。

 居場所。それは、物理的な拠点でもあり、社会的な役割でもある。この連載で描かれた居場所とは、自分らしく存在していられるとともに、周囲や社会に対してがっぷり四つの関係を取り結び、確実に影響を及ぼせるような立脚点のことだ。

 そうした居場所を、私を含む誰もが見つけられる社会、自由で柔軟で個性的な活力が、あふれるように湧き上がる社会であってほしいと思う。

 あるいは、数多くの課題を抱えている社会だからこそ、自分自身の視線と行動によって、居場所を得ていくことはむしろ広く可能なのかもしれない。

 全国各地から、このように勇気づけられる人々とエピソードを見いだし描いてきた記者の方々にも、敬意を表したい。

 大丈夫、この社会は捨てたもんじゃない。ため息ではなく深呼吸をして、また明日に向かおう。