BLANK PAGE 空っぽを満たす旅

BLANK PAGE 空っぽを満たす旅 (文春e-book)

 ご両親を見送った後の空っぽを満たす、谷川俊太郎さんやマツコ・デラックスさんなどバラエティ豊かな方々と出会う旅。

 印象的なエピソードが満載でした。

 

P13

 それにしても、私がいつも嫌だったのは、何か深刻な事態について話し合う際、決まって2,3分もすれば母が冗談を言いはじめ、ケラケラ笑い出すこと。こっちがどんなに悩んだり、真剣に話し込んでいても、お構いなしでどんどん面白いことにしてしまうのだ。引いてみれば、そりゃ、その方が良いのだろう。深みにはまってみても打開策がないのなら、もう笑うしかない。泣いて、怒って地団駄踏んで疲れ果てるのも、笑って、顎が外れそうになるのも、どうせ同じ時間を使うなら、免疫細胞を活性化する方が気分がいい、といった具合に。ところがまだ笑う準備どころか、不安も拭えていないこちらとしては、消化不良でたまったもんじゃない。

 

P40

「死というものがないと、生きることは完結しないんです。僕は死んだあとが楽しみ」

 谷川さんは、とても清々しくそんなことを言う。若い頃から、生と死は反対語ではないと信じ、「死」についての「詩」も多く書いてきた。そして、たとえ身体は死んでも、魂は残ると。アタマではとらえず、自然が神だとハダで感じる。

「とはいえ、もちろん僕だって、死んだことないから、なにもわかりませんよ。ただ、そんな気がするというだけ。昨日なんて、ある禅の修行をする人に〝あの~、悟ってるんですか?〟なんて聞いてみたら、答えはそんな一か八かじゃなく、徐々に考え方が変わってくるのが悟りだと言われたんです」

 と、谷川さんははにかんだ。

 歳をとると無理せずとも、自然と調和してきたという。ごはんも一日一食で充分だし、朝も日の出の頃には目がさめる。そして、少しずつ身体が前より動かなくなってきても、その不自由さから教わることが案外とあり、それまで気にも留めてこなかった「健康じゃない人」に対する、想いがすうっと生まれたりする。それに、体が不自由でも、心が健やかでいることもできる。目の手術もしているから、字を読むのが億劫だけど、だからこそ「せっかく読むのなら」と、自分に合うものを嗅ぎわける能力もついてくる。自然と身体に素直に従っていると、わりと健康でいられる気がすると言う。

 

P53

「ゲーノーカイ」という、他のどの世界とも似て非なる不思議な処に今日子さんは40年近くも生きてきた。・・・

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「いつも、あとから来る人達が、歩きやすい道をつくれたらいいな、と思ってて」

 自分ひとりでさえ歩くのが精一杯の道を、突き出た枝を取り除いたり、つまずきそうな石をどけてみたり、落っこちそうな穴を埋めてみたり……今日子さんは、誰よりも先に険しい道に突き進みながらも、気付かれないうちにさり気なく道を整え、足裏で地面の感覚を捕らえながらズンズン歩いてきた。

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 2017年に出版された対談集『小泉放談』(宝島社文庫)という本の中で、樹木希林が語った一節を紹介する。

<……小泉さんっておもしろいと思う。どこへ行っても、誰とやってもスタンスが変わらないというところが、何か、覚悟が決まっている感じがして。

 ……それがいちばん表れるのは、人を見て態度を変えないかどうかなの。浮き沈みの激しいこの芸能界で、人の立場とか人の状況で自分の損得を考えないということって、実は大事なこと。それはたぶん、資質なのよね。あなたはきっと、小さい頃から覚悟が決まっていた人。そういう感じは、不思議と表れるのよ。佇まいになって。

 ……夢や憧れでこの世界に入るのも、それはそれで幸せなことだと思うけど、持続するかどうかはわからない。やっぱり、浮き上がる前から自分の中に、ちょっと過酷な覚悟みたいなものがある人には、魅力があるのよ。そして、そういう人って、なぜか過剰な上昇志向を持っていなくて、逆に独特のゆとりみたいなものがあるの。>

 

P156

「今から、私は写真家の石内都さんに初めて会いに行くんだ」

 その作品は世界の名だたる美術館が所蔵する。人の皮膚や遺品を撮り続ける人。

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内田 お母様がジープと写った写真もありましたね。

石内 横須賀の米軍基地で撮られた写真ね。・・・父の勤め先に米軍基地の「女性ドライバー募集」の貼り紙があったのを見て母が応募し、採用されたそうです。

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 ・・・社会勉強は横須賀時代に全部やったと思う。住んでいたのはスラムみたいなところで、いろんな事件が起きるの。たとえば、私たちが住んでいるアパートの前の魚屋さんに優しいお兄さんがいて、近くの山で殺人事件が起きたんだけど、犯人はそのお兄さんだった。隣の部屋に住むおばさんは詐欺師だった。すごくおとなしい夫婦は、沖縄から駆け落ちして来た人たちで、子どもの私には駆け落ちがよくわからなかったけど、見つかってひと騒動あったらしい。

内田 波乱万丈な人生に囲まれていたわけですね。

石内 でも、すごく楽しかった。あの横須賀時代があったから今の私があるんだと思う。人間ってすごいな、変だな、おかしいなっていうことを実地でたくさん学んだから。その分、本は一切読んでこなかったの。勉強も嫌いだった。特に数学がわからなかったなあ。

内田 私も同類です(笑)。

石内 それがつい最近、数学に興味を持って、数学は美しいっていうけど、どういうことなのかなと思ったんだよね。そうしたら森田真生君という若い数学者が数学のライブをやっていたり、『数学する身体』という彼の本を読んだら目からうろこで、そこから本を読むのが大好きになった。・・・