益田ミリさんのエッセイ、楽しく読みました。
P50
お金を拾う夢をよく見た時期がある。
会社員を辞め、あてもなく上京して間もない頃だった。貯金や退職金もあったし、お金に困っていたわけではなかったのだが、夢の中では、お金が落ちていないかと、人通りのない路地を探して歩いている。
夢の中で見つけるのは五百円玉と決まっていた。それも一〇枚、二〇枚まとまって落ちている。大急ぎで拾っているところで目覚めるのだが、しばらくは、てのひらに五百円玉のひんやりした感覚が残っているくらいリアルな夢だった。
夢といえば、ちょっと夢っぽいできごとがあった。夜の駐輪場での一幕である。
駐輪場は有料だった。料金を支払うために精算機に向かったところ、わたしのすぐ前をひとりの若い女性が歩いていた。
夜だし、周囲は薄暗い。
彼女の足元の半歩先に、銀色の丸いものがふたつ落ちていることに気づいた。
・・・百円玉と、五十円玉が一枚ずつ落ちていた。
彼女がちらりとわたしを振り返った。お金が落ちていることを、背後の人(わたし)が知っているのかどうかを、気配というか、空気というか、そういうもので感じ取ろうとしたのだと思う。
わたしがお金の存在に気づいている、ということを、彼女は「感じ取った」。で、どうしたかというと、彼女は百円玉だけを拾い、そのまま精算機へと歩いて行ったのだ。五十円玉は、わたしに「譲る」ということなのだろう。
ふたり同時に発見したから山分け。
しかし、彼女はとっさに高いほうのコインを選んだ。
一連の流れが可笑しくなり、自転車に乗って帰る夜道、声を出して笑ったのだった。
P114
・・・わたしは、いわゆる「ヅカファン」ではないわけだけれど、宝塚の舞台が好き!ヅカファンの友人・知人を頼りに、年に何度か東京、日比谷の劇場で観劇している。
・・・
さて、宝塚のカフェコーナーといえば、劇場でしか食べられない公演限定スイーツもチェックポイント。
公演の演目が変わるたびに、カフェのスイーツも一新する。そして、なぜかそのスイーツのネーミングが「おもしろ」なのだ。
たとえば、一番最近行った『エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)』のデザートに付けられた名は、「最後のダンゴは俺のもの♪」。完全なるダジャレ。されど、白玉の上にチョコレートプリンや、あんずジャムがのっかっていて、結構、手が込んだものだ(食べてないけど)。
・・・過去の・・・『1789―バスティーユの恋人たち―』の公演スイーツに関しては、なんだかすごいことになっていた。その名も、「1789―イイナパクパク―」。イイナパクパク?
しかし、すべてが計算済みなのだ。一幕目が終わり、気分が高揚している幕間に食べるものといえば、このくらい浮かれたスイーツでないとバランスが取れない。今後も公演限定スイーツから目が離せそうにない。
でもって、宝塚観劇において、わたしがもっとも惹き付けられ、楽しみにしていること。
それは、恋に落ちる瞬間、である。
・・・
恋に落ちるシーンには華がある。
それが豪華絢爛である宝塚ならば、なお華々しい。美しいから泣けてくる。美しすぎるせいでこぼれた涙の成分を、科学者たちは調べたことはあるのだろうか?とてつもない免疫力が宿っているのではないかと思うんだけど、いかがなものか。