養老孟司さんのエッセイ。
かわいいまるちゃんの写真と共に、ゆるっと読める本でした。
P172
天気が良ければ、まるは縁側で日向ぼっこしていることが多い。そんな時は、私も付き合って「おまえ、なに考えてんだ、バーカ」なんて、声をかけてみたり。飽きると家の周りを散歩したりして、夕方になると「腹すいた、メシ」と鳴く。もう老猫なので、寝ていることが多いですね。
以前飼っていたチロとはよく墓地まで散歩していました。最近はこっちに暇がないし、まるもそんなに動くほうじゃないですから。チロは裏山の上まで見回っていましたけれど、まるの縄張りはせいぜい百メートルほどですかね。
夕方に食べて、しばらくすると寝るんです。でも、そのくらいの時間から寝ると、必ず明け方の三時頃に一度起こされる。「腹すいた」ってね。寝室の扉は引き戸ではなくてドアなんですが、ノブに手をかけて開けるんですよ。覚えたんですよ、ちゃんと。敵もさる者、ですな。
仕方がないから、一度起きてエサをあげると満足してまた寝る。無視しているよりエサをやってしまったほうが、面倒がないですからね。夜はだいたいベッドの近くにいます。ところが、こっちがもう一度寝ている間にいなくなっている。朝起きて、仕事部屋に行くでしょう。そうすると、まるが仕事用の椅子の上で寝ているんです。どかすわけにもいかないから丸椅子を持ってきて、それに座ることになる。座り慣れない椅子で仕事をしているわけですよ、こっちは。隣を見ると、グーグーいびきをかいて寝ている。「くそー」って思いますよ。
でも、また腹が減れば占拠も終わる。「腹へった」と言って何かもらって、天気がよければ外へ出かける。天気が悪ければ、娘のベッドでふて寝しています。雨が降っていると機嫌が悪いんですよ。女房がお茶の稽古をしている時は、自分も参加して、茶室のまん中にずでーんと寝転がる。しばらくすると、邪魔だというので私のところへ連れてこられる。
パソコンで仕事をしているでしょう。そうすると膝の上に乗りたがるから、乗せますよね。次はマウスを持った手に自分の首を乗せる。こっちは、重くて手が動かせない。仕事が中断してしまうことはわかっているんだけれど、ついつい膝に乗せてしまう。
キーボードの上を歩くこともありますよ。そうすると、画面に「T」の字が百個も並んでしまう。資料の上にどっかり寝ているから、必要なものが取り出せないこともしょっちゅう。こういうのは、猫飼いの宿命でしょうね。
若い頃にはパソコンのキーボードを打っているところに、わざと押しかけてきたりもしたんですが、最近はなくなってきましたな。
まるも愛用している(寝転がっている)机は、その昔、犬養毅さんが使っていた由緒ある机なんです。譲り受けたんですね。お孫さんの犬養道子さんとは、対談をさせていただいたこともあるんですが、二〇一七年に亡くなられてしまった。我が家にお祖父様の机があることを伝えそびれてしまったのが心残りです。犬養毅といえば、青年将校に「話せばわかる」と言ったエピソードが有名ですが、まるに「話せばわかる」は通用しませんなあ。
猫を飼っている方は、よくご存じでしょう。「やめてくれ」と言っても、必ずやる。旅行に行くので鞄を開けておけば、必ず中に入っている。出てもらっても、また入る。「お、巣穴ができた」なんて思っているんですかね、でなければ「俺も連れていけ」。狭いところに入ろうとする猫の習性って、面白い。箱も好きでしょう。ちょっと前には「猫なべ」なんてのも流行りましたな。うちのまるは、なにせ体重が七キロもある。なのに、A4サイズくらいのところに無理やり入るんです。いつも身体がはみだしてあふれていますよ。
こっちが留守にしている時も機嫌が悪いようで、あちこちで用を足していることもあります。うっかり出かけられませんよ。トイレといえば、まるのお気に入りの場所があるんです。どこだと思います?女房の車の真ん前。バンパーに手をついてふんばっているところを娘が目撃したそうです。姿を想像すると、笑ってしまいますね。
こんなふうに、食べて寝て遊んで、ときどき仕事の邪魔をする。それが、まるの一日。要するに、必要なことやしたいことだけを、好きな時に好きなようにやっている。羨ましいですな。
私もそうできれば、苦労はない。まるを見ていると、働く気が失せますよ。「なんで俺だけ働かなきゃならんのだ」って。