芸術家と職人

パリのすてきなおじさん

 すてきな生き方はいろいろあるんだな~と、自由な気持ちになりました。

 

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 モンマルトルの小さな坂道に、こじんまりと素朴なたたずまいのギター工房があった。こういうところにはいい顔のおじさんがいそうだなぁと覗き込んだら、果たして。ギターを弾いていたおじさんが顔を上げて、「こんにちは」と日本語で挨拶してくれた。妻は日本人だという。

「ぼくはスペイン人。しゃべれるのはねぇ……スペイン語、フランス語、日本語、ポルトガル語カタルーニャ語、イタリア語、ギリシャ語、グアラニー語……」

 ニコニコしながら指折り数えていく。カタルーニャ語は主にスペインのバルセロナ付近で使われる言語、グアラニー語は南米のパラグアイとかウルグアイに住んでいる先住民の言語だ。いいなぁ。

 スペインのアルメリアで生まれた。地中海に面した港町。海の向こうはアフリカだ。七歳のときにギターを弾きはじめた。

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「それからずっと、頭のなか、ギターだけ」

 十四歳で地元アルメリアの弦楽器職人の見習いに。それからグラナダに行き、バレンシアに移り、イタリアへ渡り、ドイツやアメリカにも住んだ。演奏家としても頭角を現し、二十七歳でフランスの国立音楽学校の先生になり、三十五歳でパリにギター学校を設立。世界じゅうからギターの注文と演奏会の依頼がやってくる。キューバで伝統的な弦楽器トレスの復興に奔走したこともある。ギター作りを教えに北朝鮮へ行ったこともある。

「ぼくはねぇ、どこにいても自分の家にいる気持ち。昔からそう」

とゆったり話すのを聞いていると、こちらまでゆったりした気持ちになる。・・・

 スペイン生まれなのに、なんでフランスにいるの?って聞かれることがあるんだけど、ぼくは地球生まれだからって答えるんだよ。みんな同じ球のなかに住んでいるんだからねぇ。隣人を尊重しなければいけないよねぇ。ぼく自身は信じている宗教はないけれど、みんなの信仰は尊重するよ。ぼくの宗教は、まぁ、あえて言えばギター教だね、ふふふ。

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 工房を辞し、モンマルトルの坂を下りながら、広岡さんにフランス語を習う。「Art(アール)」は古代ギリシャ語を起源とすることばで、「技」とか「芸」の意味。そこから生まれた単語が、芸術家を意味するArtiste(アルチスト)と、職人をいうArtisant(アルチザン)。芸術家と職人は根っこが一緒なのだ。・・・

 

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 フレデリックさんは、トレードマークのつなぎの作業服を着て、すでに仕事をはじめている。

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 シズラーという仕事をしている。日本語でいうと「彫金師」。ただしオリジナル作品を手がけるのではなく、修理専門である。

 古いアパートを改装した地味な工房で、一日の大半を過ごす。そこそこの広さがあるが窓はない。使い込まれた作業台と使い込まれた道具たちが無口に、頑固に、あるべき場所でじっとたたずんでいる。

「これはナポレオンの時代の壺の取っ手。こっちはルイ十三世の頃の家具の飾り」

 フレデリックさんが、奥から作業中の部品を出してきてくれた。・・・

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 若い頃は、国立造幣局に勤めていた。フランスの造幣局は九世紀から硬貨、勲章、教会の鐘などを連綿と作り続けている、おそらく国内最高峰の彫金職人が集まっている場所だろう。月給は四千ユーロ。

「でもなぁ、十年経って気づいたら、おれより技術のある人間がまわりにいないのよ。それで、もういいや、やーめたって」

 自分の仕事を批判する人がいない職場はつまらない。同じことを繰り返していても技量は下がっていくだけ。

「おれは金のためにこの仕事してるわけじゃねぇし」

 フレデリックさんは、技術の向上にしか興味がなかった。それなら古い時代の作品をたくさん見て、独学で腕を磨いたほうがいい。そう考えて造幣局をやめ、独立した。このおんぼろ工房を買い取って、十数年かけて「自分の場所」にしていった。

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「おれは細かいところまで丁寧にやりたいの。機械を使えば二時間でできる仕事を、手で百時間かけてやりたいわけさ。その気になりゃいまの三倍は稼げるかもしれないけど、それはおれの仕事じゃねえから」

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 偏屈な道を選べば、貧乏は当然のこと。日々のお金の心配をしないでよくなったのはつい五、六年前だという。妻と十一歳の息子と八歳の娘、それから猫が一匹。家族がそれなりに暮らしていけるだけ稼げればいい。一日はたらいて、気持ちよく疲労するくらいがちょうどいい。