ジョーとの出会いの章はとても印象的でした。
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ジョーの家はバーバンクの空港のそばにあった。ドアベルを鳴らす頭の上を、飛行機が轟音をたてて飛んでいった。
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家の中はきれいに片づいて、古びていた。どの家具も寿命ぎりぎりまでていねいに使いこまれていた。壁には今までにこの家で飼われてきたペットの犬猫たちの写真がたくさん貼られていたが、本物のペットの姿はどこにも見あたらなかった。視界の端に、手作りとおぼしきカードがびっしり並んだ戸棚が見えた。
ミランダ お仕事は何をされていたんでしょう。
ジョー 昔はペインターを、というのは絵描きじゃなくてペンキ塗りの仕事をしていたんだが、こっちに来てからは土建屋になって、ずいぶん繁盛したよ。
ミランダ ペンキ塗りというと、じゃあ家とか?
ジョー そう、家とか。
ミランダ あそこのカードは何でしょう。あなたがご自分で作った?
ジョー うん。これは女房に作って贈ったやつ。まず紙でこういうのを作って、それから雑誌や新聞から写真を切り抜いてくる。それに自分で詩をつけたり、こっちのは五行詩。だがあんたが読むにはちょっとどうかな。かなりエロだからね。
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ミランダ 奥さまはなんて?気に入ってくれてます?
ジョー うん、気に入ってるよ。何年前だったか、自分でもこういうのを作りたいって言いだして、それで女房がちょっとしたやつを作って私にくれたのもこの中に入ってる。カードは年に九回あげている。母の日と、結婚記念日、それに七月四日の独立記念日、一九四八年のこの日に初めて出会ったから。だからほれ、これがいちばん最近作ったカード。それからクリスマス、新年、イースター、バレンタイン。ついこないだが六十二回めの結婚記念日だった。結婚して今年で六十二年。
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ミランダ これは、買い物リスト?
ジョー うん、それは買い物を代わりにやってあげてるの。後家さんが七人と、男やもめも一人―みんな家から出られない人たちでね。店に行くときには必ず同じ上着を着ていくんだ。もとは知り合いの警官のだったんだが、撃たれて死んでしまって、そしたらそいつの兄さんが上着をくれたんだよ。「これから店に買い物に行くときは必ずこれを着てやってくれ」と言って。週に四回は店に行くから、年にすると最低でも二百回、それ掛けることの三十五年か三十六年。だから、そうだね、三、四千回は店に着てってるんじゃないかな。女房が繕ってくれるんだが、そろそろ追っつかなくなってきた。
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ジョーの存在感は強烈だった。・・・ジョーはまるで強迫観念に取りつかれた天使のように、がむしゃらに善をなそうとしていた。彼とは今日会ったばかりなのに、何の義理もいっしょの思い出もないはずなのに、もうそんなことは忘れかけていた。
ジョー あんた、クリスマスにもう一度ここに来るといい。十一月の十五日ごろにクリスマスの飾りつけをして、一月の十五日までそのままにしてあるから。ぜひいらっしゃい。・・・
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わたしたちはやっとのことで外に出ると、車の中でしばらくじっとしていた。だれもが無言で、そしてなぜかみんな泣きそうだった。アルフレッドは、これからはもっとガールフレンドに優しくするとか、そんなようなことを言った。わたしは自分が人生を十分には生きていないような気がした。一九二九年に生まれていたら決してしなかっただろうやり方で人生を無駄にしてしまった、そんな気がした。
にもかかわらず、このインタビューには死が充満していた。比喩ではない、本物の死。犬や猫たちの墓、彼が買い物を代行している未亡人たち、それに彼が何度も口にした彼自身の死―だがそれを彼は淡々と、まるでたくさんのことをやり終えなければならない期日か何かのように話した。わたしにはわかった。たぶんこの人は八十一年間ずっと自分の<やることリスト>を追いかけて、でもいつも追いつかなくて、だから何もかもが切実に輝いているのだ。今でさえ。今だからこそよけいに。・・・
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・・・もしかしたらわたしは計算ちがいをしていたのかもしれない。・・・数えきれないくらいたくさんの小さな瞬間の寄せ集め―一つひとつの祝日も、バレンタインも、新年も、うんざりするほど同じことの繰り返しで、なのにどれ一つとして同じものはない。それで何かを買うことはできないし、もっと意味のあるものや、もっとまとまったものと引き替えることもできない。すべてはただ何ということのない日々で、それが一人の人間の―運がよければ二人の―不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこに固有の意味も価値もないからこそ、それは奇跡のように美しい。それは精微でラディカルなアートそのものだった、・・・