感覚過敏の僕が感じる世界

感覚過敏の僕が感じる世界

 こんなに大変な世界を生きているんだ・・・ということに驚き、また、思考のバランス感覚のすばらしさにも驚きました。

 

P90

「食べられないものが多いのは人類の絶滅回避プログラムだ」と言ったのは僕の母です。

 母自身、僕が食べないことに悩んだり苦労したりしたみたいで、かつ、食べない僕を小さいころはずいぶん叱り、その部分での後悔が大きいようです。

 母とは、僕が感覚過敏研究所を立ち上げてから毎日のように感覚過敏の話をします。感覚過敏について社会にどのように知ってもらおうかとか、感覚過敏の解決方法は何かなどいろいろなテーマで話します。

 そんなある日、母が言った言葉が、「食べられないものが多いのは人類の絶滅回避プログラムだね」でした。

 もう少し説明しましょう。多くの人がおいしそうだと食べているものが、実は体に悪いこともある。誰もが夢中に食べているものに毒が入っていることもある。全員が食べれば人類は絶滅するが、食べない人がいれば生き残る人類がいる。

 そうやって味覚は多彩になり、全員が同じ味を好まないように人類は進化しているのではないか、さらに味覚が過敏な人は味の違いもわかるし、食べ物に警戒心も強い。万が一、人類がなんらかの食べ物で死んでしまうことがあっても、食べない人が必ずいるように人類は進化のプログラムをしている、というのが母の持論です。

 本人はいたって本気で考えているみたいですが、同時に、「食べないということに何かポジティブな意味づけをしないとつらいこともあるでしょう」とも言っていました。

 確かに、味覚過敏やそれによる偏食は生きる上で快適ではない。かなり不便です。

 でももし、人類の絶滅回避のために味覚が過敏で生まれてきたとしたら、まぁ、その人生を受け入れようかなと根拠のないポジティブさは発動できるかもしれない。

 そもそも味覚だけでなく、感覚過敏は本当に人類の絶滅回避プログラムかもしれない。人類の大半の人が受け入れるものを回避しようとしているのですから。

 音も光もニオイも味も触覚も。

 誰もが安全と感じるものに「NO」という反応をするのです。NOと言った人間だけが生き残ることがあるかもしれない。

 この話は、話半分で聞いていただければいいですし、でも案外本当にそうかもしれません。大事なのは、この感覚過敏によるつらさ、生きづらさをポジティブにとらえる思考ができるかどうかだと思います。

 僕はこの話を聞いて、そのポジティブさに救われました。自分なりに納得できる❝感覚過敏で生まれたことの意味づけ❞は、生きる上で大事かもしれません。

 

母の視点

 私は長年ボランティア活動でグリーフケアに携わってきました。

 グリーフケアとは、ご家族や大切な人を亡くした人の複雑な悲しみの感情を理解して寄り添いながら回復をサポートすることです。

 ・・・ご遺族を支えるのは、その死別体験の意味づけや人生の再構築にあるという考え方があります。

 つらい別れだったけれども、こういう価値観を私に与えてくれた、こういう考えを私に気がつかせてくれた……。そんなふうに耐え難い体験に意味づけができたとき、人は強くなり、生きていく力がつくのかもしれません。

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 ですから、「感覚過敏」にもきっと意味があるのでは?と考えるのは悪いことではないと思っています。息子本人はそう感じていないと思いますが、感覚過敏の課題を解決できる人間だと神様に選ばれたというような意味づけだって可能です。

 ほかにも、調味料の変化に敏感なことから、スパイスのブレンダーになるために過敏に生まれたという意味づけだってできます。

 それが正しいか正しくないかではなく、自分が納得できる意味づけができればよいのです。・・・

 

P104

 最近、環境感受性が高い人たちを表すラベルとしてHSP(Highly Sensitive Person)あるいはHSC(Highly Sensitive Child)という言葉が広まっています。

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 感覚過敏は、発達障害や脳神経の疾患による症状として見られる医学用語ですが、HSPは心理学で使用することを想定した研究分野です。

 ただ、ひとつ言えるのは、感覚過敏もHSPも病名ではないので、基本的に病院で診断されるものではありません。よって自己判断してしまうことも多いということです。

 実際、僕も感覚過敏は自己判断です。発達検査は小学生のときに受けましたが、発達障害の診断は出ていません。しかし、自分でも自閉傾向はあると思いますし、感覚特性や脳の特性は本当にスペクトラムです。この線からこっちは感覚過敏で、こっちは過敏でないなんて明確な区切りはありません。

 そういう意味で、みなさんも「私って本当に感覚過敏なのかな?HSPなのかな?」と思われるかもしれませんが、大事なことは、感覚処理で困っていることがあるかどうかだと思います。

 目に見えない感覚の処理で日常生活が難しかったり、苦痛をともなっていたりするならば、正直、名前なんてどうでもよくて、その困りごとを解決する方法を考えたいと僕は思うのです。

 しかし、僕がかつてそうだったように、自分に「感覚過敏」や「HSP」というラベルをつけることで、安堵できる人がいるのも事実です。人はラベルによって、自分の枠をつくって苦しむこともあれば、そのラベルで救われることもあるのだから困ったものです。・・・