虫とゴリラ

虫とゴリラ

養老孟司さんと山極寿一さんの対談本、興味深く読みました。

 

P50

山極 ・・・僕は小さい頃、『ドリトル先生 アフリカゆき』なんかを読んで、「鳥や動物たちと話ができるようになりたい」なんて思っていたんですよ。「動物たちは人間のように、それぞれの言葉を持っている。その言葉を学べば、ちゃんと会話できる」って本には書いてあって、ずっとそれを信じていたんだけど、真っ赤なウソでしたね(笑)。アフリカのジャングルを実際に歩いてみて気づいたのは、「我々が言葉を持たなければ、彼らと会話ができる」ということでした。

 言葉を使わない生き物との会話と、言葉を使った人間の会話の何が違うかというと、養老さんがすでに書いておられますけども、言葉を使うのは「分類する」ことですよね。名前をつけることで、本来は「違う」ものを「同じ」カテゴリーに入れる。

 じつはこれ、自然界では起こり得ないことです。そもそも全部が違うものだから、お互いが違うものとしてコミュニケーションをしている。逆説的に言えば、違うからこそ、コミュニケーションをしたくなるんですよね。同じだったら、コミュニケーションを取る必要がない。そういうもので自然界は満ちているのに、人間は分類を始めて、いろんなものを省略して、違うものを「同じ」カテゴリーにどんどん入れ始めた。自然と会話できなくなったというのは、違いがわからなくなっちゃったということでしょうね。

 

養老 そういう「違い」って、感覚で知るものですよね。今の人間の世の中は、できるだけ五感を使わないようにして、違いを排除しようとしています。感覚を重視すると、たちまち生き物の持つ生来の違いに満ちてしまって、人間がつくる世の中とずれてしまうんですよ。・・・

 今もみなさん、感じがいいとか悪いとか、ウマが合う合わないとか、「感覚的な」コミュニケーションはしょっちゅうしていますけど、結局、それらもぜんぶ生来の感覚から離陸させて、論理や概念に置き換えようとしている。「人は乱暴だよ」って、いつも思うんですよ。

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 コンクリートっていうのは一種の「触覚の忌避」ですよね。・・・

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 触覚の「直接性」が人間には嫌なんでしょうね。じつは感覚って、すべての五感が二重構造になっているんです。視覚は目の網膜の他に、光受容細胞を持つ松果体があります。これ、鳥までは間違いなく光受容をして脳につながっていたんだけど、哺乳類では脳との関係が切れちゃっていて、性周期や日照時間といった、自分の体のいわば生物時計としてはたらいています。聴覚の場合、音を「聞く」ようになるのは生物が陸に上がった後だから、わりに新しいんですね。だけど、体の平衡や、重力を感じる半規管や前庭器官はかなり古い器官です。さらに受容器だけではなく、自分の身体全体で、加速度を測ったり、音の振動を感じている。そこも二重になっています。

 触覚もたぶんそうなっていて、もともとは温痛覚で感じる「痛み」ですが、熱いとか冷たいとか、肌感覚であるとか、自分の身体とまさに関係し合います。嗅覚、味覚にも、フェロモン物質のように、我々が意識できるもの、できないものがあって、それぞれに末梢器官が違っています。自分の身体に関係するもの、あるいはその原始的なもの、もっぱら外界の情報を受け取るもの、五感というのは、それらの二重構造になってると考えたほうがいいと思うんですね。

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 しかも、味覚と嗅覚は、解剖でいうと、末梢から入った刺激が大脳新皮質に五十パーセントしか行かないんですよ。五割は辺縁系という古い部分に入っちゃうんです。ところがね、残りの三つ、視覚、聴覚、触覚は全部、大脳新皮質にぼんと入ってきます。

 

山極 ああ、触覚もそうなんですか。この三つの中で視覚、聴覚っていうのは、言うならば「実体化」できるんだけど、触覚は、まさにこう、実体化できない感覚ですよね。触っている人と、触っていない人は、同じ感覚ではないので「共有」できない。

 

養老 だから私、視覚、聴覚、触覚は「一緒にするべき」だって、いつも言っているんです。触覚ってね、例えば、知らない人の手をいきなり握ると、特別な意味を持っちゃう。それを証明するのに、ある時、居酒屋で隣の知らないおっさんの手を握ってみたんです。そうしたら、ぱっと逃げちゃいましてね(笑)。

 

山極 なるほどね。社会的な理由で分けられているんですね。ダイレクトに見る。ダイレクトに聞く。ダイレクトに触る。とりわけ触覚は誤解が生じやすい(笑)。おっしゃるとおり、触覚というのは、非常に直接的ですね。

 人間の赤ちゃんはまず最初に、周囲の世界を触覚で捉えますよね。次は、何でも口に入れてなめてみたりして、味覚で捉える。そして、嗅覚っていう具合に、だんだんと自分の身体と離れたものを、理解の対象にしていくわけですよね。その過程を十分に行わないと総合的な判断を身体ができなくなるんです。最後に視覚がくるんだと、僕は思いますけどね。逆に、人間の身体の信頼性というのは、触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚の順で薄れていく。・・・

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「お母さん、手をつないで」って言いますでしょう。あの感覚は非常に根源的な、個体と個体のつながりを表していると思います。人間同士だけではなく、その先にある世界そのものとつながっているような安心感がありますよね。人間が根源的に求めている感覚なんだと思います。・・・